3-32
明け方のけっこう早い時間に起こされた。もう移動する時間? と思ったら、別の冒険者が来てしまったらしい。防具を付けて、荷物を抱えて天幕を出る。グレイ達とそんなに年の変わらない冒険者が、6人待っていた。白と青の僧服を着た少年が、すまなそうに言って来る。
「追い出しちゃって、ごめんね」
「いえいえ、お気になさらず」
「順番だからねぇ」
ハーヴェイとマリアベルがふわふわ笑って応じる。
「6階から来たの?」
「いや、4階から来たんだ。4階へ降りたところに蜘蛛がみっっしりいるから、降りるなら気をつけて」
「ありがとう。降りるときは気を付けるねぇ」
マリアベルがそう言うと、ようやくローゼリットとアランが天幕から出て来る。珍しくアランが寝起き悪くて、手間取った所為だ。ローゼリットが軽く頭を下げる。
「お待たせしてしまって、ごめんなさい」
男女も職業も問わず、向こうのパーティ6人がぽかんと口を開けて見惚れるのが分かった。うーん、俺も前はこんな顔してたのか。マリアベルが隣でにゅふっ、と満足そうに笑う。ハーヴェイも何か誇らしげだ。うん、お前ら、全然関係無いけど……?
よろよろっ、とした足取りで少年の1人が前に出て来る。真っ黒な革鎧に、同じ素材の兜、それから長剣を帯びている。多分、暗黒騎士だろう。珍しい。彼はローゼリットの前に膝を突くと、両手でがしぃっとローゼリットの手を握りしめた。
「けっ……結婚してください!」
「え……っ!?」
ローゼリットが目を丸くしている間に、向こうのパーティの狩人っぽい少年が暗黒騎士の頭を鷲掴みにした。
「バカ! 恥を知れお前は!」
「やだもうほんと恥ずかしい……!」
盗賊らしい少女も、暗黒騎士の頭をばしばし叩く。
「……何にもない所で転んで頭打って性格が一変すればいいのに……」
やけに具体的な願望を口にして、んー、何だろ。呪術師とかだろうか。後衛っぽい少女がローゼリットの手から少年を引き剥がす。
「……ごめんなさい、うちの変態が……」
「ユーグくん、そういうのは、突然言うのは良くないと思う」
生真面目な顔をして戦士の少年が暗黒騎士の襟首を掴んで後ろに下がらせた。
「本当に、失礼しました……」
まとめのように、僧侶の少年が深々と頭を下げる。ローゼリットは困ったように笑った。
「いいえ、ご冗談でしょうし。そんなに頭を下げたりしないでください」
朝日でローゼリットのさらさらの髪が輝いていて、後光が射しているように見えなくも無かった。真面目そうな僧侶の少年も、眩しそうに目を細めている。
アランとハーヴェイは慣れているのか、仕方ないなって顔だ。アランはローゼリットの背中を軽く押して促す。
「さて、行くか……?」
最後が疑問形になったのは、ぽてぽてとマリアベルが暗黒騎士の少年の方に歩いて行ったからだ。にこにこ笑っているように見えるけど、あ、本気だ、とグレイはすぐに理解する。
マリアベルは、杖の先っぽについている赤い鉱石を暗黒騎士の少年の額に突き付けた。
「――ぜぇったい、駄目だから」
にこにこ笑っているように見えるのに、その気迫はもう尋常じゃなかった。暗黒騎士の少年も、その後ろで立っていた戦士の少年も、狩人の少年も、軽く体を仰け反らせる。盗賊の少女は、うんうんと頷いた。呪術師らしき少女は、マリアベルにすっと右手を差し出す。マリアベルも、右手を差し出して固く握手を交わした。
「……ああいう、ろくでなしを、きっぱり叩きのめすの、凄く、大事……魔法使いさん、いい子……」
「ありがとねぇ。呪術師さん?」
「……そう……呪術師……ふふ、それじゃあ、元気で……」
「うん、呪術師さんも、元気でね」
向こうのパーティも、天幕を使おうとするくらいだから疲れていたんだろう。暗黒騎士だけは元気に「ろくでなしじゃねーよ! 俺は、俺の、この恋は、真剣なんだぁぁぁ!!」とか喚いていたけど、他の5人にずるずると引きずられていく。大変そうだ。
「……えーと、行こうか」
グレイが言うと、おう、とか、そうだね、とか、そうですね、とか返事が返って来る。それから、マリアベルが元気に拳を振り上げた。
「キマイラ、やっつけるよー!」
5階のどこかにいる、と言われる生き物だ。
この広い迷宮の中で『どこか』とかざっくりした話だし、他のパーティが倒してしまうとしばらくの間は現れないらしい。そうそう簡単に出会うものでもないだろう。
ハーヴェイが先頭を歩いて、ローゼリットが地図を描く。マリアベルはぽてぽてと変な足音を立てて進む。幾つもの曲がり角を曲がり、行き止まりの小部屋に入ってしまって引き返し、また別の道を選んで探索を進めて行く。
「僕、キマイラ見つけられるかな……」
迷宮内の強敵の位置を感覚的に把握できるようになる、盗賊の特技『警戒』を覚えているハーヴェイは不安そうに辺りを見回した。暴れ大牛やミノタウロスの時と違って、5階ではぴんと来ていないらしい。歩きながら、マリアベルに尋ねる。
「キマイラって、どんな生き物なの? 前に、ライオンとかヤギとかヘビとか、キーリ達に訊いてたよね?」
「キマイラはねぇ。ミノタウロスと同じ、ウルズよりずっと南にある国の神話に出て来る怪物の名前だよ。ヤギの身体に、ライオンの頭が生えてて、尻尾は毒蛇なの。それで、えーと、口から火を吐いたり出来た様な気がするなぁ」
「……へぇ」
ハーヴェイは目を泳がせた。グレイも想像してみると、凄い生き物になった。絵心が無いとはちびの時から言われてたけど、どう想像しても化け物以外の何物でもない生き物が頭に浮かんだ。「んー、頭、4つあるのか……?」
「え、何で4つ?」マリアベルは2回まばたきをする。「3つじゃないかな」
「だってヤギにライオンにヘビに……」指折り数える。3つだ。何で4つとか思ったんだろう。「あ、ごめん、ほんとだ。3つだ」
「だよねぇ」
「だけどさ、火を吐くのは誰? ヤギ? ライオン? ヘビじゃないよね?」
ハーヴェイが困ったように言って、ああ、それか、と思う。
「あ、そうだ。それだ。火を吐く要員が、俺の頭の中で勝手に増えてた」
「にゅぅん……そういえば……?」
マリアベルもそこまで覚えていないのか、首を傾げる。魔法使いの三角帽子が落っこちそうになるまで傾いで、それから、頭の位置を戻して続けた。
「でもまぁ、その神話を基にして『色んな生き物が混ざったもの』をキマイラって呼んだりもするんだよね。だから、この迷宮にいるキマイラは頭が4つも5つもあるかもしれないし、逆に、火を吐かないかもしれないよ」
「……つーか、あれじゃね?」
不意にアランが足を止めて言って、マリアベルがほにゃっとした口調で尋ね返した。
「あれって?」
「あれ」
アランが指差した先――太い木の影に、何かいる。いや、何かいるとか曖昧な感じじゃない。凄いいる。これは変か。気が付いてしまうと、何で一瞬前まで気付かなかったのか不思議に思ってしまうくらい、圧倒的な存在感があった。
「……」
グレイとアランは黙って剣を抜く。マリアベルが詠唱を始める。のっそりと、そいつ――キマイラが、動く。キマイラです、と首から名札を下げているわけでは無い。けど、見間違えようもない。これがキマイラだ。相変わらず、マリアベルの引きの良さは凄まじい。魔法使い――運命を引く者の2つ名は伊達じゃない。
のっそり動いているように見えた。まだ距離があるように見えた。アランが指差して確認するくらいには。それくらい離れていたような気がしたんだけど。
ヤギの性質なのか、ライオンの性質なのか知らないけど、早い。あっという間に距離が詰まる。
「Goldenes Urteil wird gegeben!」
強化無し、いつも通りの『雷撃』がキマイラを襲う。巨体の割に、俊敏な仕草でキマイラは魔法を回避してみせる。グレイの倍近い体高を持つ巨体の癖に、走ってもほとんど音がしない。盗賊の特技、『忍び歩行』みたいに。
地面から頭の高さがグレイ身長の倍くらいって事は、頭から尾まではもっと長い。特に蛇の尾は立派過ぎる大蛇だ。蛇は蛇で頭があるのか、本体が走っていても独自の動きをして周囲を威嚇している。今まで迷宮で見た中で、一番大きな生き物だろう。あれを、止める……?
ローゼリットがマリアベルの手を引いて木の影に隠れる。
「――グレイ、アラン! 避けて良いです!!」
盾役としては如何なものかと思うけど、リーダーの指示だ。あと、正直ありがたい。
「――っづあっ!?」
悲鳴を上げ損なって、キマイラの巨体を躱す。アランも同じく避けたみたいだ。そのまま走って側面に回り込む。アランの姿が、キマイラの巨体に隠れる。
ライオンの頭がグレイを向いた。たてがみが立派だけど、表情は妙に人間臭く歪んでいる。嘲笑うようにグレイを見下ろしていた。前脚は、ヤギと言うよりライオンのものらしく、凶悪な鉤爪が生えているのが見えた。
ライオンの頭の上には、ヤギの頭が生えている。ヤギの方は、アランかハーヴェイを目で追っているらしい。こちらも動物らしくなく、賢者のような陰湿な瞳をしていた。
完全に偶然だけど、アランと分断されたのは良かったらしい。ライオンは前に進みたがり、ヤギは下がりたがっている。あれ、もしかしてこいつら仲悪い?
「……っのやろっ!」
アランが側面から斬りかかる。マリアベルとの連携は難しいから、『属性追撃』は諦めたんだろう。戦士の初歩にして究極の特技、『激怒の刃』で斬りかかる。キマイラはようやく3匹の意思が統一されたのか、巨体を翻しかける。だけどな。
「させるかっ!」
盾を叩き付けるようにして、こちらに注意を向けさせる。
「ォオオオオオオオオッ!」
獅子の口が咆哮を上げる。単なる咆哮じゃない。熱い。気のせいか。いや、これ絶対熱い。火、吐くんだっけ? 獅子の口の奥が、赤く輝いているように見えた。
「……えいっ!」
ハーヴェイが横手からヤギの頭を狙う。だけど、耳を守る様に、顔の横でくるりと巻いた立派な角に弾かれた。
「Werden die Silbertragödie gewickelt!」
マリアベルが聞いたことの無い呪文を唱える。涼しくなった? と思うと、グレイの横を投げナイフのように尖った氷の塊が飛んで行く。3本中、2本はキマイラの身体に刺さった。氷精霊の魔法か。
怯んだキマイラの、ライオンの顎の下を狙う。盾で身体を守りながら、長剣を突き出す。厚い皮膚を削ったけど、キマイラからしたら掠り傷みたいなものだろう。右の前脚が振られる。鉤爪が迫る。盾を掲げてその場に踏み留まる。それがグレイの役割だ。
ギルドの教官に、棍棒で打ち据えられるより遥かに重い。体勢が崩れる。視界の端っこに、白と青の僧服が映る。
「――やぁっ!」