3-31
「……ぱっと5階まで行けりゃ良いのにな」
階段を登りながら、アランが零した。
「確かにねー」
先頭のハーヴェイが同意する。
「なるべく長く迷宮に居ようとするように、なるよねぇ」
マリアベルがグレイの後ろで溜息を吐いた。
「“ゾディア”の皆さんは、迷宮に住んでいる、とまで言われていますからね」
くすくすと最後尾のローゼリットが笑う。
「どうしてるんだろうね。衛兵さん達みたいに、天幕でも持ち込むのかなぁ」
そう言うマリアベルの声音はけっこう真剣だった。アランが振り返る。
「天幕だけあったって仕方ねーだろ。肝心なのは食料だろうし」
「にゅーん。食料は現地調達って割り切れば、調理器具とか、拾った素材を置いておけば探索が随分楽にならないかな」
首を傾げながら言うマリアベルに、ハーヴェイは言った。
「荷物置いといたりしたら、女神さまが片付けちゃいそうだけどねー……あ、4階、着いた。ちょっと待っててね」
4階は、さすがに笑っていられない階層だ。特に巨大なカマキリが。以前通り抜けた時は、幸運なことにほとんどが仕留められていたけど、今回はそうはいかないだろうし。
ハーヴェイはしばらくすると戻って来た。
「近くには見当たらないかな、カマキリ。木を倒した跡も無いし」
「ま、話によればカマキリの主食はダチョウとヘビで、人間は食わないらしいしな」
前回ダチョウに壊された盾を処分して、随分身軽になったアランがさっさと歩き出す。ギルドに泊まり込みじゃない3人で相談した結果「アランはもう盾持たなくていいよね」って結論に達したから、新しい盾を買うのはやめたのだ。これまでの経験上、あった方がアランは安全だろうけど、『属性追撃』でマリアベルとタイミングを合わせる為には無い方が良いだろうって事で。
もちろん今回の探索で「やっぱり盾あった方が良いね」ってことになったら、キマイラは探さずに帰る予定でいる。やってみないと分からないことは、残念ながらけっこうある。
グレイは深く息を吸って、吐いて、歩き出す。
正解でも失敗でも、もう歩き出した。歩いて、歩いて、遠くまで来たものだと思う。1階で悲鳴を上げる冒険者を懐かしく思えるくらいには。遥か15階に挑む冒険者の背中を追おうと思うくらいには。
何が出来るようになったかと問われると、上手く答えられない。それでも、死にそうになったり、助けたり、助けられたりして前に進んでいる。
ハーヴェイは真剣な顔で先頭を歩いている。ローゼリットが地図を開いて、階段までの道を説明する。しばらく歩いていると、遠くからダチョウの断末魔らしい声がして5人で顔を見合わせた。他の冒険者か、カマキリか。夕刻に近付きつつある時間だ。「5階の駐屯地まで、急ごうか」遠くを見つめてハーヴェイが呟く。「そうだねぇ」マリアベルはのんびりと、でも真剣な顔で頷いた。
2本の道が交差する場所では、ダチョウが猛烈な勢いで近付いて来る足音がしたかと思ったら、グレイ達の前を通り過ぎて、そのまま別の道に走り去って行った。なんだろ、と呟いてハーヴェイがダチョウの駆けて来た方向を見ると、カマキリがいたらしい。ただ、まだ遠いし、グレイ達はそちらに行きたかったわけでは無いから、そのまま通り過ぎる。
それきり何事もないと思って歩いていたら、突然マリアベルが「なぁに?」と声を上げた。急に尋ねられたローゼリットは不思議そうに返す。
「どうしました?」
「あれ、あたしの杖、引っ張らなかった?」
「いいえ……えっ!?」
「にゅわーっ!?」
マリアベルが悲鳴を上げて杖を放り投げる。魔法使いにとって、片時も傍から放さない筈の大事な大事な杖を。手放したはずの杖がずるずると動く。下の方に、紫色の蛇が絡みついていた。
「わ、わわっ、待ってまって! あたしの杖!」
1度放り出した杖を慌てて掴み直して、マリアベルはぶんぶん振って蛇を追い払おうとする。でも蛇は全然逃げない。アランが剣を抜いて叫んだ。
「ちょ、1回杖置け! 蛇殺すから!」
「で、でもでも、杖、木で出来てるんだよ!? 斬れちゃう!」
半泣きでマリアベルは抗議する。
「僕が蛇だけ斬るから!」
ハーヴェイが短剣を抜く。だけど、急に左足を引っ張られたように足を止めた。
「ん……?」
「うわ……」
グレイが見ると、ハーヴェイの左足首にも紫の蛇が絡みついていた。
「わー!?」
「お、落ち着いてください、杖は直せませんけど、ハーヴェイの足なら治せますから!」
錫杖を握りしめてローゼリットが言うけど、それは落ち着いて良いのか。
ハーヴェイは座り込んで足から蛇を剥がそうとする。だけど剥がれないどころか、茂みからまた別の蛇が現れた。絡みつく蛇が2匹に増える。
「や、やだやだ! 痛っ!」
マリアベルは魔法を使うどころじゃない。噛まれでもしたのか、悲鳴を上げた。
「マリアベル!」
マリアベルの杖に絡みついてる蛇の首辺りを掴む。感触が得も言えないけど、掴めたと言えば掴めた。立派な荒縄くらいの太さがある。絞め殺すのは難しそうだ。「にゅー、わー!」マリアベルが杖を引っ張ると、蜷局を巻いた蛇の胴体からするっと杖が抜けた。そのままマリアベルは勢い余って茂みに背中から突っ込む。
「いたた……」
「だ、大丈夫ですか」
ローゼリットはマリアベルを引っ張り起こすなり、祝詞の詠唱を始める。怪我でもしたんだろうか。まぁ人の事を気にしてる場合じゃない。マリアベルの杖を放した蛇は、今度はグレイの腕に絡みつこうとして来る。何とか、蛇の口に剣を突っ込むようにして刺し殺す。薄暗くなりつつある迷宮の中で、妙に黒ずんだ牙は嫌な感じがした。
「けふっ、あ、はっ、ふ、にゅっ……!」
案の定、うずくまったマリアベルが苦しそうに息をする。毒、あったのか。
「我らが父よ、悪しきものを打ち消す力をお与えください!」
ローゼリットがすぐに『解毒』を使うけど、マリアベルは青い顔をしてぐにゃっとしている。
「ちょ、わ、まだ居るから移動しよう!」
何とか噛まれずに蛇を始末したハーヴェイが言うけど、マリアベルは歩けそうにない。
「でも、マリアベルが……!」
ローゼリットが言い返しかけると、アランがマリアベルの首根っこを掴んで抱え上げた。
「俺が!」
「にゅぇーい……」
たぶん、逃げよう、的な感じでマリアベルが杖で前方を示す。ハーヴェイを先頭にして、ばたばたと走って逃げる。一瞬、グレイの足にまた蛇が絡みつこうとする感触があったけど、振り切る様に走る。結果として、噛まれることも無く逃げ切れた。
少し広くなった道の真ん中で、休憩にする。ローゼリットの膝に頭を乗っけたマリアベルは、しばらく休んだらだいぶ顔色が良くなって来た。わきわきと、手を握って開いて、起き上る。
「うん、もう大丈夫かな」
「無理はしないでくださいね」
「にゅふふ。ありがと、ローゼリット」
小さなころから飼われてる猫みたいに、マリアベルはローゼリットの首元にふわふわの金髪を擦り付けた。くすぐったようにローゼリットが笑う。
「マリアベル、猫みたい」
「にゅーふふー」
幸せそうなマリアベルの肩を、ハーヴェイが引っ張った。
「……行こうか、マリアベル」
血涙でも流しそうなハーヴェイの形相に、さすがのマリアベルも引いたみたいだった。殊勝な顔をして立ち上がる。
「そだね。行こうか」
「おい、負けるな魔法使い」
アランがマリアベルの頬っぺたを突っつく。「そうは言ってもね」マリアベルは突っつかれた頬っぺたをぷくっと膨らませた。
ダチョウから逃げたり、蜘蛛を魔法と弓で追い払ったりして、5階に続く階段まで辿り着いた頃にはもう辺りは暗くなっていた。5階で、またミーミル衛兵から天幕を借りて寝た。