3-29
あれだけのことがあったのに、何とハーヴェイは依頼の花を持って帰って来ていた。1日以上、鞄の中に適当に突っ込んでいたことになるのに、まだしゃっきりと咲いている辺りが迷宮産だ。
グレイにも、たぶんアランにももう反対するつもりはなかったから、依頼報告ついでに夕食を食べにみんなで穴熊亭に向かう。一番体力の無いローゼリットはまだかなり眠そうだったけど、どうしてもと本人が言ってマリアベルにくっついて来た。どうしたんだろ。
街中を移動する間もローゼリットは、マリアベルのローブの脇腹と背中の間あたりの布を掴んで離さなかった。「どしたの?」とグレイが訊くと、マリアベルが「信頼って取り戻すのは難しいよねぇ」と微笑んだ。何かあったらしい。知らんが。
夕食にしてはかなり早めの時間に出て来たのに、穴熊亭はほとんど満席だった。押し込まれるように隅っこの席に5人で座る。それぞれ食べ物を好き勝手に注文して、待ってる間にマリアベルとハーヴェイが依頼の報告に行った。
戻って来るなりマリアベルは「穴熊亭のご主人に聞いたんだね。やっぱりあいつら話さなかったか、って言われた。聞いたけどね。にゅふふ」と笑って座ってるグレイとアランのつむじを順番に突っついた。アランが切実に嫌そうにマリアベルを追い払う。
「やめろ縮む」
「なぁに、それ?」
「つむじ押されると、身長縮むって言うだろ」
「初めて聞いた」
マリアベルは不思議そうだ。グレイも初めて聞いた。地域差だろうか。マリアベルはわきわきと不審な感じに指を動かす。
「じゃあ、ますますアランが大きくなりそうだったら、押そう」
「だから押すなっつーに」
笑うマリアベルと、目つきの悪いアランはいつも通りで、グレイは内心ほっとする。縁起の悪い話だけど、もしも事故でも、間違えてハーヴェイを斬ってしまったりしたら。グレイだったらしばらく立ち直れない気がする。マリアベルが精神強くて良かった。
飲み物は早々と来たけど、混んでいるせいかなかなか料理は届かない。その間に、またギルド行こうかとか話し合う。アランとマリアベルは「氷精霊行くか!」「ヘーレちゃん頑張ろうか!」とじゃっかんテンション高めに手を叩き合った。
ローゼリットは花から作られたリキュールを飲みながら言う。
「私は『祝福』が良いです」
どんな大怪我でもたちどころに治してしまうらしい。難点としては「今の私では1日に1回しか使えないと、思いますけれど……」とのこと。
「迷宮で安心しちゃいけないけどね。でもそういうのがあるって思うと、安心だよね」
ハーヴェイが頷くと、そうだねぇ、とマリアベルも同意する。
「僕はいい短剣貰ったから、短剣特技が良いなぁ。『影縫』とか」
「「貰ったって、誰に?」」
ぽろっと言ったハーヴェイに、マリアベルとローゼリットが声を合わせて問いかける。2人とも、いつの間にか凄く良いものになっていたハーヴェイの短剣が、気になると言えば気になっていたんだろう。
お陰でグラッドの兄貴とマーベリックさんに関する長い長い話を説明する羽目になった。途中で料理が届いたけど、グレイ達にしては珍しく食べながら話を続行する。まぁ、話してたのはほとんどハーヴェイ1人だけど。
「書庫のマーベリックさんが、7階まで到達していた冒険者だったなんて」
「知ってたけど、盗賊だったなんてやっぱり意外だねぇ。僧侶とかなら、想像出来るけど。ジェラルドみたいに」
話を聞いても、2人は半信半疑という顔だ。マーベリックさんの擬態、完璧じゃないか。実際はアランよりずっと口悪いのにな。そこまではハーヴェイも話さなかったけど。
それからしばらくは、皿を完全に空にするのに専念する。黙々と食べて、飲んで、そろそろ帰るかって雰囲気になったとき、思い出したようにハーヴェイが言った。
「そうだねぇ……あー、そうだ、グレイは?」
「うん?」
マーベリックさんの擬態に思いを馳せていたら、話を振られて一瞬戸惑う。
「あ、特技の話か」
「そうだよー。何覚えるかって話してたじゃん」
すっかり忘れてた。ハーヴェイは楽しそうに笑う。
「で、何にするの?」
「俺は……」
ちょっとローゼリットの方を窺う。聖騎士が向いていると思う、とは言われたけど。まだ早いよな? いや、じゃあ何時ならって聞かれると、困るけど。
そのローゼリットは、いつの間にかマリアベルの肩に頭を乗せてくぅくぅと寝息を立てていた。疲れてるのに酒飲むから。とはいえ、もはや天使かって可愛さなので黙っておく。気付いたらしいハーヴェイが、永久に網膜に焼き付けようとするように凝視している。いつものようにアランがローゼリットの頭をはたいて起こそうとすると、しゅぱっ、とマリアベルが手を伸ばしてアランの手を叩き落とした。
にゅっふー、と満足そうに笑ってから、ローゼリットの肩を揺らす。
「ローゼリット、起きて起きて」
「んー……起きます。起きました……」
迎撃されたアランは釈然としない顔だ。
「この反射神経で、魔法使い、だと……?」
うん、まぁ俺もそう思うけど。とはいえ、アランの行動パターンもだいぶ読めるようになってきた。だからマリアベルも迎撃出来たんだろう。それはさておき。
「……ローゼリット、大丈夫?」
「だいじょうぶです……ご心配なく、グレイ……」
目元を擦りながら、だいぶ駄目そうな口調でローゼリットは答える。まぁ、今までは誰かが大怪我する度に、次の日まで寝込んでた。それを思うと、かなりの進歩だ。ぱちぱちと何回かまばたきをしてから、こちらを見つめて来る。
「それで、えぇ、グレイの覚える特技は……?」
けっこう聞こえていたらしい。
「俺は、いわゆる他の人をかばう、盾特技の『後衛守護』とかが、良いかなと思ってる」
グレイが答えると、ローゼリットは満足そうににっこり笑った。
「グレイに向いていると、思います」
もはやご利益とかありそうな神々しい美しさだ。グレイは神妙な顔で頷く。
「ありがとう……」
「どういたしまして。それでは明日からは、ギルド生活ですね……あら?」
ふと穴熊亭の入口を見たローゼリットが、心配そうに眉を寄せた。
「……あんなに小さな子が」
グレイ達もつられてそちらを見る。確かにグレイ達よりは小さい――けど、まぁ2つか3つくらいしか違わないだろう。ミーミルの街の少女らしい。冒険者では無さそうだ。
「なんだろ。お母さんが穴熊亭で働いてるとかかな」
基本的には善良なハーヴェイも、心配そうに首を伸ばしてそちらを見ている。ただ迷って入って来てしまったという感じではなかったからだろう。
真摯、というか、必死、というか。強張った顔で穴熊亭の中を見回して、まっすぐに奥へ歩き出した。慣れているようで、こんなに混んでいる穴熊亭の卓の間をすいすいとすり抜けて行く。給仕女の中に顔見知りがいたらしい。「サーシャ、届いたよ!」と声を掛けられると、別人のようにぱぁっと顔を輝かせる。何か分かんないけど、良かった。マリアベルも同じ気持ちだったらしい。
「良かったねぇ」
「うん、何か分かんないけど、良かった」
グレイが正直に答えると、にゅりゃっ、と頬をつねられる。
「……何で?」
「にゅっふっふっ」
不敵に笑って、マリアベルは教えてくれない。どうもグレイと同じ気持ちではなかったらしい。チェシャ猫みたいに笑って、席を立つ。
「さて、帰ろうか」
ローゼリットはマリアベルとグレイを見比べて、何か思い至ったらしい。やっぱり満足そうに笑って、立ち上がる。
「そうですね、帰りましょうか」
「帰ろう帰ろう」
「うふふ」
女性陣は妙に上機嫌だ。良いことだけど。ハーヴェイはグレイと同じく、よく分かっていない顔で立ち上がる。
「うん、帰ろうか」
それからまた猫の散歩道亭で寝て、起きて、それぞれの職業ギルドに向かう。どこのギルドでも――って言っても、戦士ギルドと、魔法使いギルドの2つだけしか知らないけど――15階と、金色の竜と、ギルド“ゾディア”の話題でもちきりだった。
15階へ続く階段は、雷を自在に操る金色の竜によって塞がれていたらしい。ギルド“ゾディア”が大公宮へ報告し、14階へ到達していた他ギルド――“カサブランカ”と“桜花隊”のパーティが同様の報告を上げて、めでたく認定された。
人間など簡単に丸呑みにしてしまうような巨体であった筈なのに、ギルド“ゾディア”が斃して、15階を探索して、14階へ降りて来たら既に死体は消えていたという。だから、金色の竜の存在を証明するのは、十数人の冒険者の証言と、“ゾディア”が持ち帰った12枚の竜の鱗だけだとか。
だからその鱗は、鱗一枚に金貨数十枚の値が付いたという。たまたま他の冒険者がその話をしている時にアランと一緒にいたけど、2人で変な声を上げて噎せたのは言うまでもない。マリアベルが貰ったアレ。黄色の光ってた四角いアレ。アランと、声に出さずに頷き合う。そんなモンを持ってる新米冒険者がいるとか、絶対に口に出しちゃいけない。
つうか、マリアベル、もう迷宮行かなくていいんじゃないの……? そういう問題でもないか。にしても、お土産と言ってそんなモンをぽんと後輩の頭に乗せるハーティアはたぶん頭おかしい。
ちなみに竜の名前だが、命名権を得たギルド“ゾディア”は『黄色い竜』か『竜(黄色)』と本気で命名しようとしたらしい。あの人達っぽいと言えばそれまでだが、ミーミルの名も無き官吏が書庫で「どうかそれだけは!」と懇願した結果『雷竜』になったという。
その書庫の管理人は、後世にまで語り継がれる様な素晴らしい仕事をされたと思う。そういう大人に、私はなりたい。なれるかな。目指すべきは、命名を止める方じゃなくて、命名する方だろって突っ込まれるとその通りだけど。
さて。
「お、か、え、りー!!」
男部屋に入って来るなりマリアベルは狭い部屋の中を走って、ベットに座っていたローゼリットに飛びついた。っていうか、そのまま押し倒して抱き付いた。
何で帰って来たくせに『ただいま』じゃなくて『お帰り』なんだとか、その体勢は目の毒だからやめろとか色々突っ込みたい。ハーヴェイは顔を覆って肩を震わせている。頑張れ。ほんと頑張れ。ここで顔ぶつけたって言い張るのは厳しい。
ローゼリットは何が何だかよく分かっていない顔で2段ベットの天井とマリアベルを見比べてから、にっこりと笑った。
「ただいま、マリアベル」
ありだったらしい。グレイからしたら、ちょっと距離近過ぎません? って感じだけど。女同士はよく分からん。マリアベルはひたすらに上機嫌だ。
「にゅふふっ。お帰りー。7日ぶりだねぇ。僧侶ギルドはどうだった?」
「僧侶ギルドは、15階から持ち帰られた植物の話でもちきりでしたよ。今まで治療薬が無かった黒欠病に、効果があったという話でした。まだ症例が少ないので、本当にその植物の効果なのかはこれから確認する必要はありますけれど」
「へぇ……黒欠病は、高位僧侶にしか治せないって言われてるのに」
「近い将来、言われていた、になるかもしれませんね」
とか何とか小難しい話をしてるけど、体勢は押し倒したままだ。何なの。もしかしてそういう趣味でいらっしゃるんですか。それにしても部屋でやって頂けますでしょうか。
「……あー、お前ら、ちょっとそれ、後で良いか」
声も出ないグレイとハーヴェイの代わりに、アランが言った。ありがとうアラン。すまないアラン。いつか恩返しするから。人の気も知らずにマリアベルは口を尖らせる。
「にゅー」
「不満の意を表すな」
「あ、アランが考えないで感じ取れるようになった」
とうとうその高みに到達してしまったアランを祝福するようにマリアベルは微笑む。
「にゅっふー、それじゃあ、仕方ないねぇ」
「何が、それじゃあ、だ」
「にゅーふふ。ないしょー。よいしょっ、と」
マリアベルはベットから下りて、ローゼリットを引っ張り起こす。それから、ローゼリットの横にちょこんと座り直した。
「さて、迷宮の話をしようか」
すこぅし首を傾げて微笑むマリアベルは、凄く魔法使いっぽい。こうでなければ、金貨数十枚分の価値がある竜の鱗を持ってるんだから、故郷に帰りなよって言えるのに。
アランが目を細めて座り直した。ハーヴェイも、まばたきをしてマリアベルを見つめる。
「とか言ってかっこよく仕切り直しても、やることはそんなに難しいことじゃないけどね。5階に行って、キマイラを探す。もしくは6階に行く。そうだよね?」
「キマイラを探して、倒せたら倒す、じゃないか?」
グレイが少しだけ訂正すると、マリアベルはますます満足そうに笑った。
「そう。その通りだね。他に疑問はありますか? ――無さそうだね。それじゃ、また明日から迷宮に行こうか」