10
車座になって5人で座り、荷物を下ろすと生き返るような心地がした。何となく示し合わせたように、全員、水筒を取り出して口をつける。
「にゅ、はー」
変な声を上げたのはやはりというか何というか、マリアベルだ。草の上に座り込んで、下ろしたリュックを膝に乗せて、魔法使いの帽子のつばで顔を扇いでいる。
「疲れたねー。なんだかんだで、けっこう歩いたよね? 僕ら」
律儀に応じたのはハーヴェイだ。ローゼリットは声を出すのもおっくうだったのか、ハーヴェイの隣でこくりと頷く。
さわさわと風が木々を揺らしている。静かだ。モグラはいつ襲い掛かってくるか分からないので、まさか昼寝を始めるわけにはいかないが、昼食にするか、という話になって、各々荷物から固焼きパンやら干し肉やら干し果物を取り出す。初日から無茶をするつもりは無かったから、昼の1食分と、少しの予備しか持って来ていない。
「そろそろ、入り口に戻れてもよさそうなもんだけどな。朝入って、小1時間連れられて、今だろ?」
確認するようにアランが言う。丁度パンに噛り付いたところだったマリアベルが、咀嚼しながら頷く。丁度干し肉を飲み込んだグレイは言った。
「目印になりそうなもんが、無いのがキツイよな」
ハーヴェイとローゼリットが頷いた。あえて言うなら、先程の果物くらいだ。慣れれば、他にも色々なもので見分けがつくようになるのかもしれないが、微妙だ。
「同じ場所を回っているようなことは、無いはずなのですが」
記録者としての責任感のようなものか、ローゼリットが言う。
だだっ広い森とは違い、迷宮の中にはある程度道らしきものがある。無理やり木々の間を通り抜けると、別の道に繋がる場所も1箇所見つけたが、あくまで例外だろう。道に沿って進めば、いつか入り口に辿り着く筈だ。
「大丈夫だいじょうぶ。きっともうすぐ入り口だよー。なんかピリッとした感じが、薄くなって来てるから」
完全に意味不明なことをマリアベルは言う。アランは“怪訝そうな顔”の見本のような表情でグレイを見た。俺に聞くなって、とグレイは思う。ついでに、アラン、マリアベルに慣れてきたな、とも思う。
「……そんな感じらしい」
他にどうとも言いようが無く、グレイが告げる。ハーヴェイが興味深そうに尋ねた。
「それは魔法使い的な感覚?」
問われて、マリアベルは2回、まばたきをした。
それから、にゅー、と唸りながら首を傾げる。一同が黙って見ていると、身体まで傾ぐ。更に一同が見守っていると、倒れた。
「ぐにゅ」
「だ、大丈夫ですか?」
「うにゅー、だいじょうぶ」
あまりそうは見えないが、ローゼリットに答えながら、マリアベルは転がった魔法使いの帽子を拾って被り直してハーヴェイに向き直る。
「あのねぇ、魔法使いって、少ないの」
「うん?」
「それでねぇ、あたし、たぶん、生まれた時から、魔法使いだったの」
ハーヴェイは困惑顔だが、マリアベルも困惑顔だ。それでも何か、この呑気な少女にしては珍しく必死な感じで言葉を続ける。
「だからね、魔法使いはあたしで、あたしは魔法使いだったの。だから、うーん、結局、よく分からないって、ことだけなんだけどね……あっ、でも入り口がもうすぐなのは本当にそう思うよ。何となくだけど」
「ほぅ」
「うん」
ハーヴェイとマリアベルは頷き合った。お互いもんやりした顔をしている。
何処かで、鳥が高い声で鳴いた。
グレイは突っ込みもフォローも入れ難く、パンに口を付けた。ローゼリットも、お菓子だかパンだか微妙なラインの、干し果物が大量に入った固焼きパンを食べている。
「……終わりかよ」
ぼそっと突っ込んだのはアランだ。途端にマリアベルが口を尖らせる。
「終わりだよー。だってなんか、ハーヴェイは分かったでしょ?」
無理に話をぶん投げられて、ハーヴェイはちょっと困った顔をしながら頷いた。
「あー、分かった分かった。うん。分かったよ。なんだかなぁって感じで分かった」
「どんなだ、それ」
「えーと、だから、そんな感じで分かった。具体的に言うと、あれだね。マリアベルは、魔法使いだけど、マリアベルだから、きっとこれからいろんな魔法使いに会えばいいと思うよ」
「ハーヴェイ、良いこと言うね!」
「お前ら2人は、感覚だけで生きてるなー」
わぁわぁとマリアベルとアランとハーヴェイが言い合っている。
魔法使いはあたしで、あたしは魔法使い。
マリアベルが言った言葉が、グレイには妙に引っかかった。その通りだったからだ。マリアベルとグレイは子供の時からの付き合いだが、マリアベルは、後に師匠となった旅の魔法使いに『お前は魔法使いだ』と認定される前からずっと魔法使いだった。
魔法が使えたわけではない。どうしようもなく、何かが他人とずれているという意味で、誰とも分かり合えない、孤独な魔法使いだった。そして魔法使いだと認定されてからは、魔法使いだから、誰とも分かり合えないだろうと思われていた。もしかしたら――グレイ達の故郷の人間は全て、マリアベルにとても酷いことをしていたのかも、しれない。
グレイが考え込んでいると、ローゼリットが慌てたように立ち上がって錫杖を構えた。
「どうし――」
言いかけて、他に何があるのかと気付いてグレイは慌てて長剣を取る。遅れて気付いたらしいマリアベルが、うにゅあ、とか変な悲鳴を上げた。
「敵です!」
ローゼリットが鋭く叫んで、全員の意識がはっきりと切り替わる。敵だ。確かに。初めて見るが、またデカい。
大きさは、マリアベルが両手を広げた位の――蝶だ。しかも4匹。手のひらサイズだと、おそらく綺麗な模様と色の羽も、特大になると妙に気持ち悪い。鮮やかすぎる青い羽。なんか触りたくない感じの鱗紛を纏っている。毛の生えた胴体部分も妙にリアルだ。いや、現実なのだが。
アランが踏み込んで、上段から蝶に長剣を振り下ろした。戦士の特技、『激怒の刃』。羽は狙っていない。胴体に上手く食い込んで、蝶はあっけなく地面に転がった。まだ地面で蠢いているところに、マリアベルが杖を振り下ろす。お前かい。
アランがもう1匹の蝶と向かいあう。グレイも別の蝶2匹に掛かっているが、ひらひらと飛び回って当たらない。そのくせちょくちょく体当たりを繰り出してくる。対して痛くはないのだが、鱗粉が目や喉の粘膜に沁みる。
「わわっ、ちょ、モグラも出た!」
ハーヴェイが短剣でモグラの爪を弾きながら叫ぶ。モグラも2匹。1匹はローゼリットが受け持っているが、2人とも押され気味だ。ハーヴェイもローゼリットも、完全な前衛では無いのだ。
「……えぇい!」
ローゼリットが腹立たしげに叫んで、モグラを押し返した。
「マリアベル!」
「ふ、にゅあ!」
呼ばれて、初めの蝶に止めをさしてからは後ろに控えていたマリアベルが驚いたように返事をする。
「『雷撃』の準備をお願いします! 準備が出来たら合図を! アランはマリアベルの合図があったら離れて、私のモグラをお願いします、ハーヴェイのモグラは私と2人がかりで何とかしましょう!」
「分かったよー!」
元気にマリアベルが応じる。味方を巻き込みさえしなければ、マリアベルの魔法は確かに強力なのだ。味方を巻き込みさえしなければ。
「おいっ、合図ってどんなだ!?」
巻き込まれかねないアランは必死な感じで尋ねる。答えずマリアベルは詠唱に入った。
詠唱が完了すると、ちょいっ、とローゼリットの袖を引く。ローゼリットとマリアベルがほとんど同時に叫んだ。
「アラン離れてくださいっ!」
「Goldenes Urteil wird gegeben!」
おい、今、隙あったか――とかアランは突っ込みたかっただろうが、ともあれ即座に蝶から離れてモグラに向かった。アランが先程までいた場所に、突如落雷が発生して蝶を打ち据える。羽を無残に焦がして、蝶が地面に転がった。マリアベルが杖を振りかぶって、追撃に走る。
モグラに手間取っていたローゼリットと入れ替わり、アランがモグラを1体受け持つと、ローゼリットとハーヴェイがモグラの1匹を挟みうちにする。こうなると楽だ。ローゼリットが正面で錫杖をふるう間に、ハーヴェイが背後から危なげなく仕留める。
アランもモグラを片付けると、グレイが引き付けていた蝶を1匹受け取った。
「もーいっちょ、は、いけないなぁ……」
焦げた蝶の頭を叩き潰して、杖の鉱石をその辺の草で拭きながらマリアベルが呟いている間に、グレイとアランで1匹ずつ蝶を叩き落とす。1度攻撃が当たれば蝶は脆い。
何とか片付いて、だいぶ鱗粉を吸い込んだグレイは座り込んだ。ローゼリットがすぐに駆け寄る。
「我らが父よ、慈悲のひとかけらをお与えください」
『癒しの手』の名のごとく、わずかに光る錫杖を向けられると、ほんのりとした温かさを感じて、途端に呼吸が楽になる。
「毒、は、まだ私では治せないのですが……」
気遣わしげにローゼリットが言うが、グレイは首を振った。
「いや、助かった。多分、もう大丈夫そうだ。あー、蝶、長引くとヤバいな」
ちょうどグレイの手の届くところに落ちていた水筒に手を伸ばす。「それあたしの」とマリアベルが言うが、あんまり気にせず口をつける。「あーたーしーのー」と歌うように言うが、マリアベルも場合が場合だと分かっているのだろう。真剣に止めるつもりは無いようだった。手袋を外して手のひらに水を取って、一応、目も洗う。
水筒以外の荷物をリュックにしまって背負ったマリアベルと、アランが蝶の死骸の傍にしゃがみこんで何かを拾っている。
「どした?」
マリアベルのリュックに水筒を差し込みながらグレイが尋ねると、マリアベルが手の平に何か載せてグレイに見せてくる。
「なんかね、この子の傍にだけ落ちてるの。きれいじゃない?」
マリアベルが言う通り、宝石――というほどではないが、親指の先ほどの大きさの、黄色い結晶が輝いている。
「何だろうな、コレ」
言いながらアランも数粒拾って、腰のポーチに入れた。
「他の蝶の傍には、落ちてないねぇ」
モグラの爪を集めながら、他の蝶の周りを歩き回っていたハーヴェイが言う。気味悪そうに、蝶やモグラの死骸を見ていたローゼリットがそっと口を挟んだ。
「……魔法で、倒したからでは?」
「あ、そうかも。雷精霊ちゃん、とってもいい子」
魔法使いにとって精霊は、信仰のようなものの対象になることもあるそうだが、子供を褒めるような口調でマリアベルは言った。
「マリアベルもいい子だよー」
ハーヴェイが言いながら、魔法使いの帽子の上からマリアベルの頭を撫でる。にゅふふ、とか変な笑い声をマリアベルが上げた。
改めて休憩する気にもなれず、各々荷物を持ち直す。休憩したことと、昼食が減った分、足取り軽く一同は進む。
その後、一度、遠くにまた巨大青虫を見かけたが、戦闘にはならずに済んだ。
そして――
「つ」
「い」
「「たー!」」
いつの間にかすっかり息の合ったマリアベルとハーヴェイが歓声を上げる。お前らなー、とかアランは言うが、アラン自身も嬉しそうだ。
「……入り口、戻ってこられましたね」
ローゼリットも地図に『入り口』という文字と矢印を書き込んで、ほっとしたように羊皮紙とペンを鞄に仕舞った。
「つっかれたなー」
グレイも大きく息を吐いた。数時間前に入った筈の入り口。兜で見えないが、多分苦笑しているミーミル衛兵たち。
マリアベルは辺りを一通り跳ね回ってから、グレイとローゼリットの方ににこにこ笑いながらやってきた。何となく察しが付いて、グレイは口を開く。
「よし、逆方向行こう!」「却下」
森の中を指差してファンキーなことを言いだしたマリアベルと、即座に却下したグレイを、驚いたようにローゼリットが見比べている。マジか、とかアランが呆然と呟いた。元気だねー、と、年寄りくさい口調で言ったのはハーヴェイだ。
「にゅー」
マリアベルが不満そうに言ったが、後ろからミーミル衛兵が何かを差し出して言う。
「戻ってきた新米冒険者。残念だが、お前たちは一旦、これ持って大公宮に行かなきゃいかん」
一番近くにいたアランが受け取る。丸められた羊皮紙だ。広げてみる。
「……証明書?」
アラン達の証明証の裏に刻まれた数字5種類と、『以上の者をミーミル衛兵が冒険者と認める』という文言が書かれている。
「この証明書を大公宮に提出すると、迷宮から持ち帰った物品を売る権利が与えられる。あとはまぁ、大公宮への、迷宮内部の報告義務だな。これを持ってって、ようやく迷宮の内を自由に駆け回って稼ぐ冒険者になれるってことだ」
「にゅーん、お役所さま!」
アランの手元の証明書を見ながら、マリアベルが口を尖らせた。
「まぁまぁ、1つずつこう、色々手に入れていくのも冒険っぽいよ」
とりなすように言ったのはハーヴェイだ。ミーミル衛兵は笑って言った。
「手続きばっかり、と言いたそうだな。新米」
「昨日から手続きばっかりですよー」
マリアベルは遠慮なく言うが、おそらく責任者らしきミーミル衛兵は気を悪くした様子もなく言った。
「手続きばっかりやってるお前たちは珍しいよ。最近は新米も減ってきたし、時々来る新米も、どこかのパーティやギルドにくっついて入るからな。この仕事も久しぶりだ。大体お前ら全員、昨日ミーミルに着いたんだって? 普通は、冒険者登録所で登録して、その後、パーティ集めるのに手間取って迷宮に入れないか、無理に少人数で入って俺たち衛兵に保護されて帰って来て証明書を受け取れないかで、なかなか次の手続きに進めないもんだが」
そう、言われて――思わずグレイはマリアベルを見た。アラン達も何となくマリアベルを見ている。
4人の視線を受けて、マリアベルは胸を張って言った。
「まぁ、あたし、迷宮踏破するから。のんびりしてられないよー」
ちまっこいくせに、妙に偉そうに胸を張って言うマリアベル。
「迷宮、踏破」
さすがに驚いたように、ミーミル衛兵は繰り返した。
「あー、いえ、まぁ、なんか、それくらいの目標を持ってるっていうか、そんな感じでして」
何故かグレイの方がしどろもどろになって言い訳をしてしまう。マリアベルはちょっと不満そうに、「……まぁ、いいけどね」と呟いた。
「よし、のんびりしてられないから、さっそく大公宮行こう! 行ってきます!」
すぐに気を取り直したようで、証明書を持っているアランの腕を引っ張って、ミーミル衛兵たちに手を振りながらマリアベルは言う。
ミーミル衛兵たちも思わずといった感じで手を振り返し、ハーヴェイもアランとマリアベルに続き、そして残されたグレイの横で、ローゼリットはちょっと恥ずかしそうに、ミーミル衛兵に向かって言った。
「あの……大公宮は、どこにありますでしょうか?」
「だよな」
グレイは深く頷いた。他にどうしようもなかった。