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テケテケマシン猛レース

 長く険しく入り組んだ坂道がどこまでも続く、走り屋たちの聖地、大天国峠。

 数々の伝説が生まれては消えてゆくこの地に、今また新たな伝説がひとつ生まれようとしていた。




 季節は夏、時は未明、場所は大天国峠の麓。

 暗い道路をまばらな街灯が照らし、無数の蛾が光に群がる、何の変哲もない森の中の道端。

 すでに十分に暖まった一台の改造スポーツカーが、その瞬間(とき)を待ちわびて排気音という名の雄叫びを上げていた。

 その名は〈暴走鉄塊〉シルフィード。

 総排気量4800ccを超える、度重なる違法改造の末この世に産み落とされたモンスターマシンである。

 燃費は極悪、快適性はまったく考慮されていない。後部座席のあった場所には巨大な燃料タンクが鎮座し、見た目も昨今の流行のデザインとはかけ離れている。

 ただ早く走ることだけを追求した異形の化け物なのだ。

 その硬いシートの上で、俺は携帯電話を耳に当てていた。


「よし、いいぜ。準備はできた。呼んでくれ」

『本当に、いいのね……』

「おう」


 電話の向こうにいるよし子の声はわずかに震えていた。

 しかし、俺の声に秘められた固い決意にもうどうにもならないことを悟ったのか、すうっと息を吸い込み、そしてあらかじめ決められていた台詞を一息に吐き出した。


『ある北国の踏み切りで女の人が電車に轢かれたの、女の人は轢かれた弾みで上半身と下半身の真っ二つに切断されちゃったんだけど可哀想なことにあまりの寒さに血管が収縮して血が止まり即死もできずに苦しんで苦しんで死んでいったそうよ、そしてこの話を聞いた人のもとには未だ見つからない下半身を探しに上半身だけになった女の人がやってくるんだって!』


 その瞬間、夜の空気が一変した。

 なんの変哲もない夏の夜から、瘴気の漂う妖魔の閨へ。

 俺はおもむろにルームミラーを覗き込み、車の後方を確認する。

 ミラーには先ほどまで存在しなかった異形が映り込んでいた。

 小学生ほどの高さの影。しかし人型と呼ぶにははなはだ不完全なシルエットだ。

 なにしろ下半身がないのだから。

 人間の上半身だけが両腕に支えられて宙に浮いていた。

 髪は異様に長く地面に届かんばかり。

 そして地面をがっしと掴む両腕は病的に細い。

 俺は不敵に笑う。

 噂通り、奴は確かに来た(・・・・・)


 奴の名はテケテケ。上半身だけの女の姿をした化け物だ。

 自分の死にまつわる話を聞いた者のもとに現れ、取り殺そうとする性質を持つ。

 その両腕による二足歩行は恐るべき加速力を有し、時速100kmとも200kmとも言われるスピードで目撃者を執拗に追いかけてくるという。

 一般道でそれだけの速度を出されると、ほどなく追いつかれて死ぬ他ないだろう。

 もちろん並のマシンでも奴の速度には敵わない。

 だから俺はシルフィードにかつてない改造を行い、そのスピードを存分に活かせる舞台として大天国峠を選んだ。

 大天国峠の麓付近には、閑散とした市道が網の目のように張り巡らされている。

 これらの道を通り、ぐるりと大きく回り込むように特定のルートを辿ることで、まるでモーターレースの専用コースのように、減速することなく再び峠に突入することが可能なのだ。

 その気になればいつまでも休まずに走り続けることができる。


「よし、おいでなすったぜ、やっこさんだ」

『死なないでよ、あんた……』

「心配すんな、ちょっとドライブしてくるだけだ。朝飯までには戻るさ」


 よし子との通話を切り、俺はシルフィードの窓から身を乗り出し、背後の影に向かった。

 影の表情は長くぼさぼさの前髪に隠れてよく見えないが、怨念に満ちたひどく強い視線を感じる。

 それでいい。

 俺は中指をクイクイと挑発的に動かして奴を誘う。


「さあ、()ろうや」


 俺が笑って呼びかけた瞬間、

 前髪の奥の不吉な瞳がギラリと光った。


 次の瞬間、テケテケの体がわずかにぶれたように見えた。

 と同時に、シルフィードのアクセルを全開にする!


 テケテケテケテケテケテケテケテケテケテケテケテケテケテケ!

 ギュオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオン!


 二足歩行のモンスターと四輪駆動のモンスターの急加速!

 たちまち時速100kmに到達した二者は、荒れ狂う峠の風の中で視線を交わした。

 驚いたようなテケテケの顔。

 これまではどんな獲物にも瞬時に追いついていただろうからな。

 俺は奴の血走った瞳をまっすぐ見据えて鼻を鳴らす。


「お前の世界についてこれた奴は俺たちが初めてだったか?

 心配すんな、俺とシルフィードが夜明けまでお前の相手をしてやるからよ。

 だから――お前も一緒に、踊ろうぜ!」


 二者は加速に加速を加え。

 一般公道にあるまじき速度で大天国峠に突入していった。




 大天国峠を大小二つの影が疾風(はし)る。

 怒りに我を忘れた獣のような唸り声を上げ、憎き獲物の喉元を食い破らんと駆ける鋼鉄の猛獣シルフィード。

 ざんばらの髪をスピードに靡かせ、執念だけが形を成したような異形で猛獣の速度に食らいつく妖魔テケテケ。

 この平和な峠に非日常の狭間から突如として出現した二柱の悪神は、焦げ付くような影だけをアスファルトに残しながら、熾烈な先頭争いを繰り広げていた。

 落下即死亡の崖のガードレールを、R70の急な右カーブを、見通しなど存在しないS字の路面を、幾多の走り屋たちの魂を飲み込んできた冥府のトンネルを。

 無謀と速度の権化たちが、走る、走る。

 たとえ一歩でも先んじてみせようと、たとえ一歩でも先を行かせてなるかと、まったくの横並びで小便ちびりの競争(チキンレース)を繰り広げていた。

 先にビビッて風から降りた方が死ぬ。

 二者にとってはそれだけが真実であり、それだけで十分であった。


 ギュオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオン!

 テケテケテケテケテケテケテケテケテケテケテケテケテケテケ!


 地獄から響く怨嗟のユニゾンが山を揺らし、真夏の夜の非常事態を報せるサイレンと化した。

 この状況下で平和に眠っているものはすでにどこにも存在しない。

 ――そう、理性なきけだものであっても、体温なき亡者であっても例外はない。

 山のすべての生者と死者の注目を集めながら、炎を吐き散らす双つの軌跡が暗い山麓に刻み込まれる。




「噂通りだ……! やるじゃねえか!」


 ステアリングを切るたびにゴウンゴウンと重低音が鳴り響く棺桶の中。

 俺は確かに笑っていた。

 奴が俺に食らいついてくる。俺が奴に食らいついている。

 今この世界には二人しかいない。

 この喜びを知っているのは、俺と奴の――二人だけだ。


「お前も! そうなんだろ! テケテケ!」


 楽しいんだろう! と快哉を上げて、俺はアクセルを吹かす。

 一手間違えただけで即死する突風の中、俺は目の前のルートから目を離せない。

 だが奴の禍々しいオーラがビリビリと肌に届く。

 確かにそこにいると伝わってくる。

 呪いだけではない何かも伝わってくる。


 俺にはわかる。

 あいつは、今、笑っている。


 ここは生と死の境界だ。

 現世からはすでに遠く、しかし死者の国にも至らない。

 俺たちはそのどちらにも属していない。

 シルフィードとテケテケは顔を合わせず対話していた。

 エンジンの熱が、赤黒く燃える魂の炎が、音のない言葉となって峠に響く。


 ゴウン!と同時に風の塊をぶち抜き、その先へ。

 何もかもがほどけて消える因果の果てへ。

 スピードの向こう側へ。


 テケテケは人間だった頃、どんな目に遭ったのか。

 何を知り、何を思い、何を憎み、何を喪い、何を呪ったのか。

 鬼と化した彼女を衝き動かすものは何か。

 そんなものはわからない。

 頭の悪いただの走り屋の俺にはわからない。


 だが今やすべては風に消えた。

 重い物は悉く置き去りにされた。

 ここはそういう世界だ。


 風の轟音に包まれた、ひどく静かな空間の中を。

 過去も未来も存在しない、ひたすらに空虚な世界を。

 シルフィードとテケテケは並んで走っている。


 なあ、いい場所だろう。

 お前のことを聞いた時から、俺はお前をここに連れてきたかったんだ。


 ここは何もない淋しい場所だが、二人でいるならそう悪くない。

 お前もそれは知っていたんだろう。

 知っていたから、目撃者を追っていたんだろう。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


 もう心配するな。

 俺がどこまでも付き合ってやる。

 夜を越えて、道の果てを過ぎ、音を突き抜け、天に至るまで――




『よう! 楽しそうなことやってんじゃねえか! おれも混ぜろ!』


 突然、シルフィードの無線から陽気な声が響いた。

 同時に山の暗がりから無骨な車体が出現し、新たな辻風となって最高速度のシルフィードとテケテケに並んだ。

 テケテケが驚愕したのがわかる。

 俺と似たような奴が他にいると思わなかったんだろう。

 ああそうだ、俺はこいつを知っている、こいつは俺と同じ道を走るクソ野郎だ!


 ゴアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!


 廃棄戦闘機から流用したクワドラブルジェットエンジンを搭載した、地上最悪の違法改造モンスターワゴン、グレイト・ストライド!

 グレイト・ストライドの運転席で明るい笑い声をあげているのは、アメリカ南西部の過酷な砂漠地帯を含む4200kmを三日で走破した伝説を持つ凄腕の元プロレーサー、〈コロラドの狼〉〈汚れた腕(タトゥーアーム)〉のジェイミー・タカハラ!


『あッは! 先輩! どうしてぼくを誘ってくれなかったんですかぁ!』


 続けて響く幼い声は場違いに軽やかで。

 声に見合わぬ鉄の巨体が爆音を上げ、加熱のあまり溶けそうな三つの流星のすぐ後ろにつく。

 テケテケに、シルフィードに、グレイト・ストライドに無邪気なケンカを売りやがる。

 運転席のチビを思い浮かべて俺は笑う、こんなやつまで来やがったかよ!


 ドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドド!


 恐怖の排気量16600cc、重量と速度のハンマー、粉砕機(ザ・クラッシャー)の異名を持つ異常巨体のスーパーマシン、ミョルニール!

 ミョルニールを駆るのは日本が世界に誇る若き天才ドライバーにして最強の大会荒らし、表の顔と裏の顔を巧みに使い分ける稀代の愉快犯、〈轢き潰し〉〈悪戯猫(チェシャキャット)〉こと豪賀院浩太郎!


『フッ、こんな素敵なレディとこっそりアバンチュールを楽しんでいたとはね』


 刃のような流麗な車体が夜の熱気を真っ二つに裂き、極悪集団に白い剣筋が刺さる。

 気障ったらしい嫌味なデザインのマシンが馬鹿どもの旅路に加わった。

 どうせ乗り手も格好つけて笑っているのだ、また鼻の骨を砕いてやろうか!


 フィイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイ!


 最先端科学を駆使した人類の英知の結晶、車であり舟であり飛行機でもある未知の車体。知性と狂気の禁じられし落とし子、〈泣き叫ぶ娘(ベネトナシュ)〉!

 そして声の主はベネトナシュの生みの親にして彼女を運転可能な世界唯一のドライバー、オストクレトロフ財閥のクソッタレ御曹司にして孤高の天才科学者、〈刺殺(ペネトレイト)〉〈茨の庭(トロン・ガーデン)〉のユーリィ・バイネン・オストクレトロフ!


 こんな場所に偶然現れる連中ではない。

 きっとこれはよし子の仕業だ。

 こいつらがこんな楽しそうな話を聞いたら居ても立ってもいられなくなることを知っていて、わざとけしかけたに決まってやがる。


 まったく、どいつもこいつもふざけやがって!

 俺は口が張り裂けそうな笑みを浮かべて吼える!


「畜生てめえら、デートの邪魔をすんじゃねえよ!」


 大天国峠に五つの悪夢が揃い、何もかもを蹂躙する行軍を開始した。

 悪鬼も逃げ出す竜巻が山を揺らし、恐怖そのものと化して暴れ回る。

 狂乱する哀れな風が五つの伝説に悲鳴を上げ、峠の熱気が致死寸前まで上昇した。

 もう誰も俺たちを止めることはできない!


 テケテケが速度を上げるとすかさずミョルニールが追走し、

 グレイト・ストライドはシルフィードと火花を散らす。

 ベネトナシュがその隙をついてトップに躍り出ようとし――


「させるかよ!!」


 シルフィードが、テケテケが、グレイト・ストライドが、ミョルニールが、ベネトナシュが横一列に並ぶ。

 脆弱なアスファルトが摩擦に耐えきれず爆煙を吹き出し、真っ赤に溶けた走行痕が峠の裸体に無数に走る。

 もう二度と忘れられることのない傷跡が、幾重にも大天国峠に刻み込まれる!


 途方もなく素敵でくだらない夜が果てしなく続く。

 誰も彼もが笑っていた。

 五匹の怪獣が素手で殴り合いを演じ、誰かが一歩前に出れば、次の瞬間には違う誰かが前に出ている。

 勝利という名のたったひとつの生肉を奪い合う飢えた獅子の群れは、どこまでも前しか見ない。

 走り屋にそれ以外のものは要らない。

 その場にいた誰もがそのことをわかっていた。

 



『見たまえ。夜明けだ』


 やがてユーリィからの通信がイカレた夜の終わりを告げた。

 深い藍色に沈んでいた空はいつの間にか顔を上げ、世界に新しい朝をもたらさんと頬を染めつつある。

 褥の暗闇に隠されていた秘密が白日の下に暴かれ、恥ずかしがって身じろぎした。

 そして新しい世界が始まり、旧い世界は終焉を迎えるのだ。


『おい、嬢ちゃん! 行っちまうのか!』


 ジェイミーが濁声で叫んだ。

 テケテケの気配が風に呑まれていくのがわかる。

 夜の住人は夜ではないどこかへ旅立とうとしていた。 


『ハハハ、次こそ決着をつけてやる!』

『また一緒に遊びましょうね!』

『今度は私がデートに誘おう、楽しみに待っていたまえ』

 

 ゴキゲンな馬鹿どもの声に、テケテケは笑顔で応えたようだった。

 遥かなるスピードの中、彼女はこの世ならざる力でぐんと加速して。

 四台の同胞を置き、白み始めた空の彼方へ還ってゆく。


「じゃあな。

 ……また逢おうぜ」


 風になびく長い黒髪は朝陽にきらきらと輝いていた。

 涙の粒のようにも見えたそれは眩い光の中に溶け、

 俺の呟きを道連れにして、テケテケは走り去っていった。




 その日大天国峠に生まれた新たな伝説は、幾人かの幸運な目撃者たちによって瞬く間に燃え広がった。

 テケテケが現れることは二度となかった。

 しかし四台と一人の熱い夜の物語は、いつまでも忘れられることなく語り継がれた。




 (終)

なんだこれ。

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― 新着の感想 ―
[一言] このなんだこれな感じ、嫌いじゃないです。
[一言]  いやほんと「なんだこれ」w  とりあえずホラーではないかな、と。  でもこういう雰囲気、嫌いじゃないどころか大好きです。
[一言] なぁにこれぇ・・・
感想一覧
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