01 幼馴染
信彦はそれから五条の姫君を思っていた。叶えられないと本人も分かっていて、何度も忘れようとするが忘れられない。寄せては打ち寄せる波のようだった。
そんなある日、信彦は母からお使いを頼まれて市に買い物に出掛けた。用も済んで帰ろうとしたとき、後ろからこう声をかけられた。
「大犬さん、久しぶりね」
信彦は振り返って、声をかけた女性を見た。年の頃は自分と同じだが、痩せていた。しかし、髪はどこか艶がある。ちなみに大犬とは信彦の子どものころの名前だった。信彦はしばらく黙っていたが、ようやく口を開いた。
「お前、まさか...近所に住んでたシキか?」
「そうよ」
とシキ。彼女は嬉しそうな顔を浮かべた。彼女は子どものころから比べるとだいぶ痩せていた。しかし、笑顔と髪は昔から変わらない。シキと信彦は幼馴染で、昔はよく遊んだものだった。しかし、シキとその母親が主人一家とともに地方に下ってからは一度も会っていなかった。
「だいぶ痩せたな。ちゃんと食べてるのか?」
「大丈夫よ。今は食べてるわ」
「ならいいんだが。そういえば十二くらいのとき、紀伊の守さまとともにお前たち母子も下ったじゃないか。あれから消息は聞かなかったが、どうなったんだ?」
「あれからね、私が十五のときに地元の有力者の人のところで妾になったの。母も紀井さまのところにいないで私たちのところにきたわ。でもすぐ亡くなってしまったけれど。そして私は何年かして離縁させられたの。きっと飽きたのね。それから都に登り、遠縁を頼って五条の大夫さま<五位のこと>のお屋敷に仕えているの」
五条の大夫とはこの前倒れていたあの主人に他ならない。今は職もないのでそう呼ばれているのだ。つまり、信彦が恋い焦がれて仕方ないあの姫君のお屋敷だ。
「大夫さまだって?」
「そうよ。どうかしたの」
「実は――――」
信彦は例の姫君を好きになったことや、その訳を話した。
「えっ.....」
シキはひどく戸惑った様子だった。
「戸惑うよな。急にそんなこと言われてもと思うだろうけど、俺は本気なんだ」
「そうなの...」
しばらく間があった。
「シキ、どうにか手紙を姫様に渡せないか?ツテをつかってさ。なあ頼むよ」
と信彦は頭を下げた。
シキは少しの間考え込んでから、笑顔でこう言った。
「分かったわ。だけど、私はただの新入りの下女よ。期待しないで」
「それでもかまわない」
信彦はきれいな紙を買って、恋文を書いた。綺麗な枝を一房取って、恋文を結びつけた。
「はい、よろしくな。シキ」
信彦はシキに恋文を託した。
「分かったわ。じゃあね」
「また、会おう」




