00 プロローグ
「もし、そこの青年!医師の秦先生を知らないか?ここら辺にいるって聞いたんだが」
と老人が、前を歩いていた青年に尋ねた。
「僕も秦ですが、おそらく父に御用なんじゃないですか」
と青年は振り返って言った。彼は背が高く、顔も美しかった。
「そうだ。こんなに若いはずはないからな。とにかく案内してくれ。殿さまがご病気で」
「どんなご様子です?」
「高熱で、咳も酷いらしい」
青年の家は代々医師だった。彼の一族は、いつからか大陸から渡ってきて住み着いているらしい。しかし、彼らは国の医師になろうとはしなかった。ずっと民間の医師だった。青年の秦信彦も一人前の医師になろうとしている。彼は医術の腕も優れていて、みんなからの期待も厚い。
しばらく歩くと秦医師の家に着いた。医師の家は棟割り長屋であったが、普通の部屋の倍はあった。信彦の父、善行は近所の人と表で碁を打っていた。善行は名医として慕われている。それはただ腕がいいというだけではない。彼は人格者として知られていた。貴族も庶民も同じ人として扱うし、貧しい人からは何も取ろうとしなかった。
信彦が訳を話すと、すぐ準備をした。
「で熱が下がらないのですか?」
と善行は尋ねた。
「えぇ昨日から。食欲もないとか」と老人。
「お屋敷はどの辺りです?」
「左京の五条あたりにお住まいです。ご案内します」
「信彦、お前も来なさい」
「分かった」
言われるまでもなく、信彦はついていくつもりだった。それはただ単に父の腕を見ておこうとの気持ちもあったが、貴族さまの屋敷に行くのだから従者としての役割も担おうとしてのことだった。
老人は五条につくまでに染々と主人のことを語っていた。その人は優秀な漢学者であること。昔はある天皇のもとで出世したが、その天皇が退位なさると、あまり出世には恵まれなかったこと。妻は昨年亡くなり、その間には娘と息子がいること。
そしてお屋敷についた。よほど嬉しかったのか、下人たちは飛び上がらんばかりの人たちが多かった。老人は病気の主人がいるという寝殿へと駆け寄り、
「お医者様がいらしました」
と言った。もちろん信彦も善行も着いて行った。
その直後、老婆が御簾をかきあげて顔を覗かせた。開け方も大胆で、しかも急にやったので中の様子が見えてしまった。
信彦はその時に、寝ている主人のすぐ奥にいる女性と目と目が合ってしまった。その女性はとても美しかった。恐らくその様子から、主人の娘なんだろうと信彦は思った。 老婆はその後、主人にとがめられたのですぐにもとに戻してしまった。その間彼の息は止まっていた。
その後信彦とその父親は寝殿へと上がり、往診をして、お礼をもらって帰っていた。しかし、その間も信彦はあの娘のことで一杯だった。そう信彦は恋をした。常識では決して叶えられない恋を!