第六十九話 セラムの戦いその3
「広い……」
横幅でも大人の大股で三歩分程の幅がある。街と外を区切るその壁は果て無く視界の外まで続いている。人間相手だけでなく魔物の襲撃にも備えなければならないこの世界は、人間社会を守る防壁に重きを置かれている。現代の建造物でこの光景を凌ぐ物は万里の長城しか思いつかない。
「これが只の観光だったら良かったんだけどな」
セラムが自嘲する。とうとうダリオが防壁上まで上ってきた。高さ十メートルを超える果てしない一本道。どこにも隠れる場所は無い。武器と呼べる物は腰に差さった一本の矢だけ。セラムはその矢を握り不恰好に構える。
「観念するんだな。なあに、殺しゃしない」
「残念ながらおっさんの犬になる趣味は無くてね」
ダリオが剣を抜いておもむろに歩み寄る。セラムはここが正念場と覚悟を決めた。ダリオの剣が縦に斬り下される。セラムはその刃を受けるように両手で矢を横に構えた。
矢は呆気なく両断され、刃はセラムの肩から腰まで届いた。殺すつもりは無いと言った通り本気で斬ったわけではないらしい。その斬撃はセラムの軽鎧の留め革を切断し、服と肉を浅く裂いただけに終わった。
ダリオの下卑た嘲笑い、だがセラムも挑発的な笑みを浮かべ声高に言い放った。
「これを待っていた!」
セラムは後ろに跳んだ勢いでそのまま後転し、態勢を立て直すと同時にクロスボウを構える。そしてその台座に斬られた矢を装填した。短く斬られた矢はクロスボウには丁度良い長さになっていた。
「こんな時単純な機構の兵器はいいよなあって思うね」
「ほう」
クロスボウを向けられたダリオは尚も余裕の表情でゆったりと剣を構える。小娘が一発限りの飛び道具を持ったところで何も怖くはないといった面持ちだった。
「それで俺を撃つというのか。その妙な矢で? 面白い、やってみるがいい。それで俺を殺せるのならな」
「勘違いするなよ。これはこうやって使うんだ」
セラムはクロスボウを持った腕を上げてゆき、その矢を天に向かって撃った。鳥の断末魔のような鋭い音が辺り一帯に広がる。
予想外の動きの目的を、ダリオは一瞬遅れて理解した。
「貴様、仲間を呼んだな!」
「鏑矢というんだ。いい音色だろう?」
あとは如何にここを動かず時間を稼ぐか、そんな事を考えていたセラムはあまりに悠長だったと言わざるを得ない。
「あああああああああっ!」
「ひっ」
目を剥き出しダリオが突進してきた。その狂気の色にセラムは思わず身を縮め体を硬直させる。




