第六十五話 ダリオ・アバッティーニ
「セラム様!」
ベルが二刀を抜きセラムを庇うように躍り出て射線を遮る。倒れゆく男に刺さった鉄製の短い矢を見てセラムは漸く護衛の二人がボウガンで殺され、今自分が危機に瀕している事を理解した。
背後で重い物が地面に叩き付けられた音がする。身を捻ってそちらを見やると、二つのボウガンを地面に落とし三つ目のボウガンを構えた男がいた。
人相の悪いその男に見覚えがあった。
「ダリオ副将軍……」
格好こそグラーフ王国軍の一兵卒の成りをしているが、その男はまさしく先のヴァイス王国副将軍であり中将であったダリオ・アバッティーニその人であった。
「元、だよセラム・ジオーネ。副将軍も中将も昔の話だ」
「セラム様、この男と話すべきではありません」
そうのたまうベルにダリオはボウガンの狙いを定める。
「そりゃあ連れないじゃないか。折角手の込んだ下準備までしてお誘い申し上げたんだ。ちょっとはこの冴えない男に付き合ってくれてもいいだろう?」
「下準備だと? まさかこの腕は貴様がやったのか?」
ボウガンがベルを狙っている以上迂闊に動く事は出来ない。セラムはしゃがんだままの態勢で会話による時間稼ぎを試みる。少し外れの方まで来ていた所為で今この場に他の人影は無いが、辺りでは味方がまだ救助活動を続けている。必ず光明が見える筈だ。
「ああそうさ。態々グラーフ兵の死体を切り取って埋めておいたのさあ。おかげで取り巻きを殺す隙ができた。なかなか良い余興だったろう? それだけじゃない、ここら辺に付け火したのも俺だ。もしかしたら正義漢ぶった馬鹿な小娘が誘い出されるんじゃないかって思ってなあ」
「貴様……っ」
「おおっと、こうやって話をして助けが来るまで時間稼ぎしようって腹なら無駄だと思うぜ。なぜなら……」
遠くで空が紅くなる。街が、燃えている。
「これも仕込んでおいた。今頃皆あっちの対応に追われてるだろうぜ」
セラムの心に怒りの炎が灯る。それはあっと言う間にぐつぐつと腑を煮え立たせ、セラムを突き動かす。
「それだけの為に無関係な人達を!」
「それ以上喋るな下郎」
立ち上がり飛びかからんとするセラムの代わりにベルがダリオに向かって突進する。
「はっ!」
吐き捨てたような嘲笑わらいと共に発せられたボウガンの矢をベルが短刀の刃で滑らせ頭上に受け流す。
「なにぃ!?」
「お前の言はセラム様のお心によろしくない」
咄嗟に引き抜いたダリオの剣に短刀が打ち付けられる。剣を抜ききる前に強引に押し留められ、ダリオは武器を封じられる。
ベルのもう一刀がダリオの首を狙った時、ダリオの手から矢が装填されていないボウガンが離れ、その空の手がベルの鳩尾に当てられる。
「風よ!」
ベルの体が宙を浮き、勢いよく吹き飛んで壁にぶち当たった。同時にセラムの髪が後方へ広がる。
(何だ!? 何が起こった?)
セラムは自分の後ろで崩れ落ちるベルを見る。致命的な外傷は無さそうだが頭を打ったらしく動く様子が無い。
あの時剣を握っていたダリオの片手は塞がり、もう片方の手で突き飛ばしたように見えた。まるで映画で見た寸勁のような一撃だったが、今の吹き飛びようは素手の威力ではない。それにあの突風、あれはまさしく。
「貴様、魔法使いだったのか」
ダリオの体がぴくりと震える。
「まほうつかい、だと?」
次第に全身がわなわなと震えだす。ダリオは足元に転がっているボウガンを持ち上げると、そのままボウガン本体をセラムに向かって力いっぱい投げつけた。
「っ!」
回転するボウガンが髪を掠め、セラムが思わず身を竦める。
「その汚らわしい名で俺を呼ぶなァ!」
その怒りで我を忘れた顔を見て、セラムはダリオの地雷を踏み抜いた事を悟った。




