第六十三話 ヴィグエント奪還戦その2
「距離よし、威力よし、右に三メートル、下に一メートル修正」
等間隔に並んだ蒸気圧力式大砲五門の脇でセラムが望遠鏡を覗き込み成果を告げる。各大砲の後ろにはおよそ戦場には似つかわしくない風体の男が一人ずつ控えている。彼らはセラムが連れてきた数学者達だった。非戦闘員の彼らには重大な役目がある。
「計算開始」
その男達が一斉に紙の上にインクを走らせる。セラムが望遠鏡で弾着観測をし、数学者が弾道計算して次弾の誤差を修正する。恐らくこんなやり方はこの世界ではセラムが初めてだろう。
「セラム少将、火矢です!」
「焦らず自分と学者の身だけを守れ! 大砲は火に強い!」
木で作られた従来の攻城兵器と違い鉄製の大砲は引火しない。万が一筒の中に射込まれたとしても火薬式とは違い暴発の危険性も無い。
学者たちは火矢に目もくれず計算に没頭する。戦場においても数学者としての本分を全うできる事に彼らは満足していた。セラムもまた彼らが計算と研究に専念出来るよう全力をもって守りぬく事を約束していた。そのコストの高さゆえ「トレブシェット三台分」と揶揄された蒸気圧力式大砲、その真価を発揮するには彼らの存在が必要不可欠なのである。
「辺りの消火作業急げ!」
「計算完了しました!」
「角度修正!」
位置の違いも考慮して計算された結果に基づき角度を修正する。改良版のこの大砲はクランクを回すと歯車によって仰俯角と方位角を調整出来るようになっている。砲兵がクランクを回しメモリに合わせる。このメモリもセラムとロモロと数学者達の技術の結晶だ。
「二番砲発射!」
見事砲弾が門扉に当たるのをセラムが確認する。
「よし、全門、斉射ぁ!」
轟音、そして破壊音。体が震える快感を砲兵も感じたのであろう。小さな歓声が周りから上がった。望遠鏡の向こうで木の門がボロボロになっている。
「最後の仕上げだ。破城槌、歩兵、突撃準備!」
兵が隊列を整える。緊張が辺りを支配する。その間にセラムは後方へ駆け出しなるべく高い所に登って西南西に望遠鏡を構える。本隊が交戦中の砦の方角だ。
遥か遠くで狼煙が上がっているのが見えた。砦陥落の合図。そしてすぐにこちらに合流する手はずになっている。
「西の砦は陥おちた! もうすぐ本隊がここに来る。皆の者、後顧の憂いなく一番槍の手柄を立てい!」
セラムが腰の剣を抜き天に向かって構え、ゆっくりと下ろし三十度のところで止めて切っ先を敵に向ける。
「突撃!」
大気を震わす声と共に兵が突貫する。矢を払うのも煩わしいとばかりに駆け抜け、その勢いのままに門扉に肉薄する。
既に崩壊しかけている門扉は破城槌が触れると同時にひしゃげ、殺気立った兵が雪崩れ込む。
見る間に防壁の上でも交戦状態になり矢を射掛けてくる兵はいなくなった。
セラムはその場で戦局を静観する。その内側では興奮のあまり一緒に飛び込みたい気持ちと恐怖で足がすくむ心地とがごっちゃになり、全身むず痒くいても立ってもいられない感情が渦巻いていた。
「セラム少将、貴女は大事な身。軽率に動いてはいけません」
逸る気持ちを察したのかカルロが諌める。「わかっている」と言葉に出しては苛立ちが紛れてしまいそうだったので、深く深呼吸し手を上げる事で返事の代わりとする。
どれだけ経っただろうか。一時間? 三十分? それとも十分くらいだろうか。焦れた心にはただ戦闘が終了するまで眺めるだけというのは苦痛に過ぎた。まだか、まだかと報告を待つ。
そこへ伝令が転がり込んできた。
「お味方、門前の広場を制圧!」
周りから歓声が上がる。セラムは急いで望遠鏡を取り出し戦況を目に収めようと動かす。しかし……
緋の色。
広場より少し外れた所で火の手が上がった。民家が、焼けていた。
「ばかな!」
セラムは望遠鏡を下ろし目を凝らす。肉眼でもはっきりと煙が見える。
「誰が街を焼けと言った!」
駆け出そうとしたセラムの腕をすんでの所でカルロが掴み止める。
「落ち着いてください少将! そのくらい部下達だって分かっています。火を点けたのは敵です!」
「あの辺りはまだ交戦区域だろう!? むざむざ敵の焼き討ちを許したというのか!」
「いざ戦闘となれば火ぐらい燃えます!」
そう言ってからカルロは自分が失言したと気付いた。セラムの顔に明らかな怒りが浮き出ていたのである。
戦闘行為の過程で火が燃え移る事だってあるだろう。敵が足止め程度のつもりで火をかけたのかもしれない。そんな事はセラムにだって分かっていた筈だった。しかし燃えるヴィグエントから逃げた記憶が蘇る。
住民から財産を接収した負い目が、怪我を押して街を守ろうとした兵士達の想いが、救い切れなかった兵士の血がセラムの心を蝕む。
あの時死んだ兵士の命に意味は無いのか? 彼らはあの街を守る為に死んだ。全ては無駄死にか?
――沙耶。
セラムの脳裏に最愛の幼馴染の顔が浮かぶ。
あの時沙耶を守ると言った僕の誓いは、深く後悔を残す沙耶の死に溺れた僕の無力は、僕を慕う人を絶対に守ると心を縛るこの呪いは、
こんなものか。
セラムの心に燃え上ったのは怒りだった。ただ自分に対しての深く暗い怒り。
セラムはカルロの手を振り解いて駈け出す。張り裂けんばかりに吠えた。
「全軍我に続け! グラーフ軍に総攻撃を掛ける!」
それを聞き兵士達が喊声を上げて続く。
「しょ、少将ぉー!」
「セラム様!」
カルロとベルが焦ってセラムの傍に走り寄った。
「少将! あと半日も持たせれば本隊が合流するんです! ここで無理をするのは愚策です!」
「もう止まらんぞ! カルロ、お前は突撃部隊を指揮しろ!」
「し、しかし!」
「カルロ様、セラム様は私がお守りします。こうなっては街の中にあり比較的安全な制圧地域で指示を出して頂く他無いかと」
ベルの言葉にカルロの胃がキリキリと痛む。しかし一度突撃を始めた軍が止まらないのはカルロとてよく分かっている。顰め面のまま渋々と頷くしかなかった。
「分かりました。しかし広場で指揮を執ってください。例え街を奪還しても少将が倒れればこのいくさは敗北です」
「ああ分かっている。僕が危険な目に遭わないようにさっさと奪還してこい!」
非戦闘員とその防衛部隊だけを残し、セラム隊全軍が突貫する。セラムにとっての始まりの場所、因縁の地ヴィグエントへと。




