第五十九話 隘路の村攻防戦その4
「取り付けばこちらの勝ちだ! 走れ!」
キルサンが号令を掛ける。だが間断なく飛んでくる矢の中を進むのは狂信的な集団でない限り難しいものだ。しかもこちらが援護射撃をやめて走りぬけようとするとすかさず大量の矢が上から降ってくる。敵の司令官がいる場所は分かっているのに排除出来ないもどかしさでキルサンは歯噛みした。
「こんな事なら重装鎧部隊を連れてくれば矢なぞ無視して前進出来たものを……!」
今更である。敵が寡兵である事、防衛地点を離れる事を考えれば判断は決して間違いではなかった筈だったのだが。
両側を川と山に挟まれた天然の隘路に簡易砦と化した村からの射撃。こちらの被害が徒に増えていく。
焦れる。このまま押し勝つのは被害が大きすぎる。少々危険を冒してでも迂回させるべきだろうとキルサンは判断した。背後の遊兵を無くす意味でも攻撃の手を増やすのは良手だろう。
「二隊に分ける! 山を登り村を強襲せよ!」
その判断も間違ってはいない。山に入れば木が障害になり村からの射撃は届かない。だがどんなに合理的でも失敗する事はあるのだ。
部隊が山に分け入り村を目指す。その時、またしてもあの甲高い音が鳴った。
「何だ!?」
今度は青い長布が垂れ下がった矢が天に昇った。時を同じくして山に入った部隊から悲鳴があがる。
伏兵! その瞬間キルサンが声を張り上げた。
「構わず突撃せよ! 敵は寡兵ぞ!」
合理的な考え、即座に反応する決断力、キルサンは間違いなく良将だった。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
青い布の合図で木々の上に伏していた兵達が一斉に矢を敵に突き立てる。荷台前の弓兵は荷台の中から矢を補充し、尽きること無く敵を穿つ。
それでも敵は前進を止めない。
「ひたすらに矢を放て! 敵は無限ではない! 一度に迫る数もそれ程ではない!」
セラムの鼓舞に皆が応える。だが敵との距離は着実に狭まっていた。
村の外周では槍を持った兵が山側からの敵を食い止めている。敵は簡易柵まで押し寄せてきていた。
後方ではカルロが馬に乗り待機していた。味方が押されている、その事実が握りしめた彼の拳を濡らすが、彼には別の大事な役割がある。今は忍ぶ時だ。
矢弾はまだある。兵の損失もほぼ無い。あとは士気をどれだけ持たせる事が出来るか。
どちらが先に音を上げるかのチキンレースだ。
セラムは伝令兵が持つ籠の中身をチラリと見た。
赤い布の鏑矢、それは撤退の合図だった。セラムの胸中に甘い誘惑が染みこむ。
(今なら撤退も間に合うんじゃないか?)
セラムは奥歯を噛み締めた。もとよりこの戦いに撤退はあり得ない。敵を追い払うか、さもなくば敵に甚大な被害を与える。それが出来なければ正面から激突するより悪い結果になるのだ。指揮官が徹底抗戦の覚悟を失えばすぐさま全滅に追いやられるだろう。
敵の指揮官を直接狙えれば、そうは思うが遠い。打開策が浮かばない。どれだけ時間が経ったろう。時の流れが、遅い。
「殺せ殺せ! 手柄の大バーゲンだぞ!」
セラムが片膝立ちで吼える。飛んでくる矢を大盾の兵士が弾く。
「あまり無茶をなさいますな」
屈強な兵士が冷や汗をかいている。セラムはそれに笑みで応えた。握りしめた手は汗でぐっしょりと濡れている。
じわりじわりと敵が迫る。その時だった。
地響きがした。後方から鬨の声が聞こえる。
川の向こう側を騎馬隊が駆けていた。
「あれは……ヴィルの騎馬隊! 渡河して追い付いてきたのか!」
後方から村に向かっている筈のヴィルフレドの部隊が川を渡って急行してきたのだった。すぐさまセラムが喉を嗄らすほどに哮る。
「皆、鬨の声を上げよ! 勝ったぞ! 勝ったぞ!」
セラムは急いで望遠鏡を動かす。望遠鏡のレンズが退却の指示を出す指揮官を捉えた。
「伝令兵、黄の鏑矢!」
天に黄色の布がはためく。荷台が退かされ後方に控えていたカルロの騎馬隊が突撃を開始する。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「増援だと!? いや、もしやこちらは囮で騎馬で背後を突くつもりか!」
キルサンは動揺を隠せない。敵騎馬隊は川の向こうにいるためすぐに突撃される恐れは無いが、じきに追い抜いて背後に回られるだろう。橋を抑えられても厄介だ。何らかの策をもってヴィグエントに強襲するかもしれない。最早目の前の敵に拘泥する状況ではなくなった。
「反転する! 全体、後方に向かって全速力!」
退却の太鼓が響く。命令したキルサンを中心に回れ右をしてゆく。声が届かなかった兵達も周りの様子を見て反転する。前線の兵は少し後に気付き慌てて逃げる。
狭い地形も相まってまるで波のようにゆっくりと撤退命令が伝播していく。
(敵に比べて我が兵のなんと鈍いことか!)
なかなか進まない部下の足に苛立ちを覚えながらも後方への進軍態勢が整う。しかし隊列が整い走りだしたのも束の間、すぐに立ち往生することになる。
異変はキルサンの目にも映った。
前方が、赤い。
燃えているのは惰弱な敵兵が投げ捨てていった荷物だった。
「中身は油と干し藁か! 奴らめ、山の中で攻撃してきた奴らが伏兵の全てではなかったか!」
恐らく先程見えた黄色の布矢が点火の合図だったのだろう。このままでは逃げることも叶わず包囲されてしまう。
後方から悲鳴が聞こえた。亀のように籠城していた敵が攻勢に出たのだった。
槍が。馬が。部隊を蹂躙してゆく。前方は火、右方は山、後方は敵。
「川だ、川に逃げろ!」
誰かが言った。一人が渡れば皆我先にと川に入る。
「くそっ、全軍、川を渡れい!」
最早収集もつかずそう命令するしかなかった。
流れに足をとられる者。味方に押され流される者。途中で矢にうたれる者。
水は紅く染まり、川は死体で堰き止められ、その上を人が走り逃げる。逃げた先でもまた多くの者が騎馬に踏み潰されていった。
それはまさしく虐殺だった。




