第五十四話 出陣
いよいよだ。
この日の為に準備をしてきた。情報を集め、装備を整え、練度を上げてきた。それでもやはり不安になる。元より戦争など作戦通りにいく方が珍しい。だからこそ運以外の全てを塗り潰すのだ。その為のペンはいつも細く、潰し忘れが無いか何度も確かめたくなる。
だがこれ以上時間を掛けるのは相手を有利にするだけだ。
出発前にアドルフォが掛けてくれた言葉を思い出す。
「戦場では常に心の中に二割の不安を残しなさい。それがなければ大事な事を見落とす」
セラムは後ろを振り返る。そこには整列した兵士達。皆緊張の面持ちで号令を待っている。
「皆の者、待たせた。我らはヴィグエント奪還に向けて発つ! 出陣!」
地を揺るがす雄叫びが返ってくる。セラム率いる混成部隊二千、ヴィルフレド率いる騎馬隊一千、リカルド率いる本隊五千。総勢八千のヴィグエント攻略部隊が出陣した。
まずはセラム隊が先遣部隊として行軍する。この部隊は工兵や医療兵、学者等の非戦闘員、準戦闘員が三割も含まれる、この時代としては異例の編成であった。そんな部隊が先頭なのもやはり作戦である。
この戦闘におけるヴァイス王国側の条件は正直かなり厳しい。
まず北部の穀倉地帯がグラーフ王国の占領下に置かれているため、動員兵数は八千が限度だった。それ以上は食料が持たない。通常の戦争ならば略奪によって糧秣を賄うところだが、元々はヴァイス王国の領土。グラーフ王国からの解放という大義名分のもと行軍しているのだから当然略奪は禁止、現地調達にも限度がある。
そして攻撃目標のヴィグエントも元ヴァイス王国の都市。これもまたなるべく破壊せずに奪還せねばならない。通常であれば包囲戦により陥とすところだが、都市の規模からいえば兵数は最低でも二万は欲しい。その上敵の増援や食料問題を考えると長期戦は避けたい。
真っ当に戦っては勝てない。これが軍上層部の出した結論だった。ならば真っ当には戦わない、正確に言えば今までの戦争のやり方はしない。それがセラムの提示した作戦だった。
それでも真っ向からの殴り合いは必ず起きる。その為の部隊がリカルドの五千。セラムの役割の一つはこの五千を疲弊させずにヴィグエントまで辿り着かせる事にある。
やがて小さな村落が見えた。セラムが地図と照合する。川と山に挟まれた隘路の村、今日の目的地だった。
「皆、野営の準備を始めろ。数名は僕と村に入る。補給部隊は物資を村に運べ」
この村はヴァイス王国が引いた第三防衛線よりグラーフ王国側にある。村の感情としては国に見限られたと思っていることだろう。まずは通り道にある村落の信頼を取り戻す。背後の民が敵になる事ほど恐ろしいものは無いのだから。
小さな村だ。ここまでグラーフ王国の兵が来ることは無いらしく、寧ろ自国の兵隊が大勢来た事に村民は不安を感じているようだ。
「あなたがこの村の長か」
セラムは居丈高にならないよう、しかし威厳は保つよう声色に気を付けながら話す。
「何ですじゃ? この村は見ての通り何もない貧しい村ですじゃ。大した協力は出来ませんて」
「安心して欲しい、通り過ぎるだけだ。だがグラーフ王国の兵が来ないとは限らない。その時は僕達の指示に従って避難して欲しい」
これは挨拶代わりです、と村にコンテナを置いていく。中身は主に食料品だ。セラム隊がその規模の割に補給部隊が多いのはこの為であった。こうして人心を安堵させ後顧の憂いを無くしてゆくのだ。
ただしこの村に限ってはそれだけではない。これからの作戦における要地として扱われる可能性がある。
陣に戻る前にセラムは村中を隅々まで見て回る。そして作戦の穴を埋めては不安を掘り起こす作業を夜になるまで繰り返した後、寝心地の悪いテントの中で無理矢理目を閉じた。




