第五十三話 ベルの決意
「とうとう戦場に赴かれるのですね」
ベルは普段通り落ち着いた声音でセラムに問う。彼女は出陣の前に取り乱したりはしない。自分の感情を押し殺して送り出す。本当の修羅場を知っているからだ。
「ああ」
そんな彼女の気遣いがあるからこそ平静でいられる。そして帰ってきた時に思い切り甘やかされるのだ。非日常に身を置いても日常に帰ってくるからこそ正気を保てる。
だが今日のベルは少し様子が違った。
「私も連れて行ってくださいまし」
「なに?」
ベルがこのような我儘を言った事は初めてだった。驚きはしたが論外だと思った。
セラムが守ると誓ったのは自分を大切に想ってくれている全ての人。そこには当然ベルも含まれている。守るべき対象を戦場に連れ出すなどあり得ない。
「駄目だ」
「何故です? 貴族が戦場に身の回りの世話をする従者を連れるのは普通の事です」
「そんな常識に従う必要はないな。僕が身分を笠に着るような行いや合理的でないものを好まないのはベルならよく分かっているだろう?」
「存じ上げております」
「ならこの話は終わりだ」
セラムが一方的に切り上げ立ち去ろうとする。しかしベルはなおも追い縋ってみせる。
「それでも連れて行ってもらいます」
こんなに頑ななベルは見た事が無かった。セラムはきちんとベルを見据えて話し、その上で断るしかないと思い直した。
「分かってくれ。今度の戦いはヴァイス王国民同士の戦闘じゃない。異国との戦争だ。容赦なく殺されるし、捕まれば死ぬより悲惨な事になるだろう。僕がそんな所に大事な人を連れて行こうなどという奴に見えるか?」
「だからこそでございます」
ベルの目力はなお衰えない。それどころか意志の強さは更に増し、威圧感すら覚える。
「そんな所に主君を、……いえ、違いますね。無礼を承知で申し上げます。憚りながらこのベル・レンブラント、セラム様を主君と仰ぐと同時に我が妹のように、我が娘のように想っております。そのような大切なお人が危険な戦場に行くと言う。それを待つだけというのはいかにも耐え難く……」
感極まりベルの声が震える。崩れた顔のままに、胸につかえた感情を吐露する。
「耐え難く存じますっ!」
「ベル……」
セラムの心が揺らぐ。ベルの気持ちが痛い程分かってしまった。
沙耶の声が脳裏に反響する。
大切な人が自分の手の届かない所で死ぬのは、もう二度と会えないと知ってから過去の自分を後悔するのはもう二度と……
(二度とごめんだ!)
セラムとベルの心が重なった。
「くそっ!」
らしくない悪態を吐いたセラムにベルがびくりと体を震わせる。構わずセラムは早口に捲し立てた。
「戦場では君を守る余裕は無い!」
「伊達にメイド隊を率いているわけではありません。自分の身を守るのは当然として、セラム様の御身も守ってみせます!」
「殺し殺される所に行くんだ!」
「この国に亡命した時は家族を全て皆殺しにされました。そんな場こそ私の原点です!」
「僕は君に修羅道に落ちて欲しくない!」
「っ……!」
ベルの勢いが止まる。どう言うべきか逡巡したベルだが、肩を震わすセラムをそっと抱き、包み込むような優しい顔で言葉を紡ぐ。
「貴女の父上に連れられてここに来た日、まだ幼子だったセラム様の手を握った時に感じました。全てを失ったと思っていた私の心をセラム様が埋めて下さった。あの日から確信しているのです。セラム様に仕える事こそ私のメイド道、セラム様がいれば道に違う事は無いと」
柔らかなぬくもりに包まれ、セラムの目に涙が溜まる。どうして自分が泣いているのか、セラム自身も分からなかった。
(何だこの体、勝手に涙が出てきやがる。涙もろすぎだろ)
少女の歔欷が辺りを震わす。ベルは手を回しセラムの頭を撫でる。
「私はずっとセラム様のお傍にいます。必ずです」
沙耶の死で空白になった心、十年以上もの月日を以てしても埋まらないその傷が小さくなる。
大事な人を突き放したまま亡くすのはもう御免だ。そして大事な人に自分が味わったような哀しみを背負わせるのは絶対に駄目だ。その時、僕は僕を二度と許せなくなるだろう。
守ればいい。セラムは決意を胸にベルの嘆願を受け入れた。




