第四十八話 異国の旅人
近頃ジオーネ領は急速な発展を遂げ、様々な人が集まっている。セラムの発明品や彼女が主導する新たな試みにより実験都市と呼ばれたジオーネ領を一目見ようと、学者、職人、職を失った貧乏人、観光客などで人で溢れかえる有り様だった。
そんな中、一人の若者が街の中心部を歩いている。旅人というには軽装で、よくよく見れば小物や布地などに高級品が使われていて、金持ちの物見遊山といった風体だ。
「うーん、これは予想以上に活気がありますねえ」
感心しながら露店を回る。食べ物屋以外にも土産屋が多くあり、観光の楽しみには事欠かない。
「兄上達にもお土産を買っていかないと。んー、どれがいいかなあ」
目に付いた珍しい物を片っ端から手に取っては店を巡る。あまりに楽しかった代償だろうか、それとも単純に一人歩きに慣れていなかったからだろうか、若者はいつの間にか目印を失いどこから歩いて来たのかすら分からなくなっていた。
「迷ってしまった……」
がくりと肩を落とす。
「このままだと楽しい筈の時間を無為に探索に費やす事に……」
帰れなくなる等の心配は全くしていないようだった。基本的に楽観主義な若者なのである。
「あの」
そんな若者の背後から可愛らしい声が掛かった。振り向くと頭一つ分は小さい女の子が若者を見上げている。短めの青み掛かった銀髪に理知的な碧眼、真っ直ぐと人の目を見る様は年に不相応な貫禄すら感じられる。
服装はブラウスの上にしっかりとした生地の若草色のベスト、同じ色のロングスカートの中からだぶついたズボンが見える。赤いリボンタイが可愛さと凛々しさを引き出している。女の子らしさを損なわない程度に動きやすさを重視した格好だ。
若者が見惚れていると、差し出された少女の右手が開いた。その上には若者が先程買った土産物が乗っている。
「これ、落としましたよ」
「おお、これはこれはありがとうございます。ちっとも気付きませんでした。危うく家の者へのお土産を失くしてしまうところでした」
少女の手からそれを受け取る。小さく、柔らかい手だった。
「これがお土産ですか? 土産物としてはあまり面白くないと思いますが。だってこれ只の留め具ですよ?」
「いえいえ、僕の国には無い珍しい物ですので。それにここの特産品だというじゃないですか、このボルトという物は」
「ああ、やはり外国の方でしたか。それでしたら一つ申し上げておきますが、そのボルトだけでは使えませんよ。対応したドライバーが無いと」
「おう、そうでしたか。これはご親切にありがとうございます。ところで……」
若者はばつが悪そうに切り出す。
「ここはどこなんでしょう。迷ってしまって……。出来たらそのドライバーというのも買いたいので付き合って頂けるとありがたいのですが……」
若者が情けなく破顔する。その様子に堪りかねたように少女が噴き出す。押し殺した笑いを何とか封じようと口元に手を当てる少女に、若者もつられて笑いだす。
「失礼、いえ、そういう事なら案内しましょう。これが下手なナンパでなければ、ですが」
「滅相も無い! 本当に困っておりまして、助かります」
若者は首を横にぶんぶんと振り下心が無い事を必死で示す。では、と横を歩く少女に若者が慌てて言った。
「申し遅れました。僕はヴィレムと申します。面倒事を頼んでしまいすみません」
「……僕はセラムといいます」
そうしてヴィレムはセラムと共にジオーネ領の中心街を巡った。
「こうして見ると本当に珍しい物が多いですね。それにこんなに人が多いのに街が清潔だ。どこにでも水路が張り巡らされていて『水の都』といった風情ですね」
「はは、水はここの自慢でして。全家庭に水道を引く事を目標として掲げています」
「全家庭に!? そんな事が出来るものなんですか?」
「その為に熟練工が配管を鬼のように作っていますよ。実際この街はもうすぐ八割方の普及を達成しそうです。ほら、あの家を見てください」
セラムが指さした家は特に裕福そうでもない普通の家だが、女性が軒先にある手押しポンプで水をくみ上げている。
「あれは一体……?」
「手押しポンプの事ですか? ああやって取っ手を上下に動かすと水が汲めるようになっているんです。あそこの家は地面の下に水道管を埋めているんですよ」
「なっ、下水ではなく井戸でもなく、飲める水を人工的に通しているという事ですか? それにあの『手押しポンプ』というのも見た事が無い物だ……」
「でしょう? 色々目新しい物が多いからここを実験都市なんて言う人もいますよ」
セラムがけらけらと笑う。だがヴィレムは驚きばかりが先に出てとても笑いなど出ない。




