第四十五話 服
偶の休日、セラムはベルと一緒に自領内の市場を見て回っていた。
「それにしてもセラム様、眠そうですね。昨日は随分と遅くまで何かやっていらしたようですが」
「ああ、財政担当の文官に簿記を教えていたんだ」
学生時代の記憶を辿っての事なのでかなり苦戦した。教科書が無いので自作のテキストで説明したが、複式簿記の基本だけとはいえここまで頭を使ったのは初めてかもしれない。
そんなセラムをベルは困り笑顔で見ていた。どうやら理解が追いつかなかったらしい。
「簿記っていうのは、資産管理する為に体系化された記録のやり方だよ。今までのやり方は僕からすると結構どんぶり勘定だからね。もっと公平に税を取る為に先ずはきっちり帳簿をつける事から始めないと」
ベルは感心したような、呆れたような複雑な顔をする。
「相変わらずセラム様は……。しかしご無理をなさるのはよくありませんよ。今日くらいは羽を伸ばしましょう」
「はいはい、と言ってもこの後ガラス職人と材木屋と商談するつもりなんだけど」
ベルは深く深く溜息を吐く。
「分かりました。ですがまだ時間はあるのでしょう? 服屋とか見て回りましょうよ」
そう言ってベルはおどけるように駆け出す。目的の店まで着くと輝くような笑顔で店内を物色する。
女の子は服とか大好きだよな、とセラムは自分の性別を棚に上げて呆れる。
「ほらほら、これなんかどうですか? セラム様にきっと似合いますよ」
そう言ってミニスカートを翳してみせる。
「勘弁してよ……。今でもスカートは抵抗があるんだから」
普段はスカートの下にだぶついたズボンを履いている。馬に乗る時などにも便利な恰好なのだ。折角だから可愛い服を着たい気持ちも無いではないが。
「しかし……」
セラムも店内を見回す。
「改めて思うけど、服の種類が随分多いよね」
男性服も綿や絹でできたスーツがあるし、女性服はドレス風の物からカジュアルな物まで幅広い。チャックやゴム、化学繊維は無いが縫製技術はかなりの物だった。
「それはですね、今から三十年程前に天才がいたからなんですよ」
「天才?」
「ええ。今あるデザインの多くは彼女が創ったものです。新しいデザインや技術を次々と創りだし服飾に革命をもたらしたのです」
「それはすごいな」
「それらの服は瞬く間に国中に広まり、王が綿花の栽培を主産業に切り替えた程の影響力がありました」
「それはさぞかし儲かっただろうな。是非とも会ってみたいものだ」
今の服には現代風のデザインも多い。もしかしたら自分のように異世界からの放浪者かもしれない、という期待もある。
「それが……。今は行方不明なのです」
「何があったんだ?」
「国が彼女の存在に気付き城に招聘しようとした時には既に彼女は旅立った後でした。どうやら極貧生活で住む場を求めて旅に出たという話です」
「創作者の才能はあっても商才が無かったという事か、勿体無い。失った国益は大きいな。国で保護すれば第二次産業を特産品に出来たのに」
基本的に綿花のような第一次産業より第二次産業、つまり加工品の方が利益率が高い。クリエイティビティな才能の保護は国にとって重大な責務と言える。
「例えば……そう、特許を作れば商才が無くてもそのような人物を救えるな」
上手く使えばセラム自身にも莫大な利がある。城に行ったら早速ガイウス宰相に提案してみよう、そうセラムが考えていると、ベルが不満そうに顔を覗きこんでいた。
「セラム様、また考え事ですか? 羽を伸ばすと仰ったばかりなのに」
「ああ、悪かったよ。それで買う服は決まったのかい?」
「ええ、これとあれとそれと……」
「ま、待て待て。そんなに買うつもりなの?」
「他の店にも行きますよ!」
「ええー」
「ちなみに全部セラム様の分です」
「僕の!? まさか……」
「屋敷に帰ったらファッションショーですね!」
げんなりするセラムを尻目にベルは馬車一台分もの服を買い込んでいった。




