第三十九話 カルロ・サリ
セラムはダリオの後任としてキーレフ砦に着任した。とはいえ実戦経験も無い階級が高いだけの小娘が何故このような重要拠点の守将に任ぜられたか、それには幾つかの理由がある。
一つは中将の代わりという、任務の重さ故である。当然それに近い階級を持つ人間である必要があるが、先の大戦で多くの有能な人材が失われ、今ヴァイス王国軍部は未曽有の人材不足であった。特に上級将校が務まる人間が非常に少ない。
中将に近いとなると将官、最低でも大佐級となるが、階級の高い貴族は先の一斉取り調べもあり難しい立場になっている。国から無罪のお墨付きを受け、尽力を尽くすと誓ってくれたリカルドはその後始末の為に貴族の取り纏めに奔走していて、とてもではないが手が回らない。そして少将は他にもいるが、それは海軍の人間だった。
結果、陸軍唯一の少将で、何の役割も与えられていないセラムに白羽の矢が立ったのである。勿論、幾ら非凡な才の片鱗を感じるとはいえ、一人だけでその大役を任せる程アドルフォは莫迦ではない。補佐役にヴィルフレド少佐を付けての人選だった。
(高慢な貴族が配置換えになったと思ったら今度はお守りか。……はあ、頭が痛い)
カルロは美青年を供に連れ立派な服に着られている少女を見て額を押さえた。やはり貴族という地位ありきの抜擢。後任に淡い期待を抱いていただけに落胆も大きかった。
「君がここの責任者か?」
姿勢と表情だけは堂々としている少女に問われカルロは少々困惑した。後任は女性だと聞いていたし、実際に到着した中で女性はこの少女しかいなかったのだから、ダリオの後任はこの少女で間違いないとは思うのだが、背丈が自分の胸位までしかないような子供に偉ぶって言われても俄かに上官だと信じられない。
思わず助けを求めるように隣の美青年に視線を流したが、その青年は軽くお辞儀をするだけだった。
(というかこの男もやたらと顔が良いな。なんだ? もしかしてお貴族様の愛人か何かか?)
カルロがそう思うのも無理は無い。だがその態度はセラムを苛つかせるものだった。
「おい、君に聞いているんだ。貴様はここの責任者なのかと」
子供が精一杯低い声を出しているようなその声は、普通なら滑稽さがまず出るものだろう。だが、この少女の目に射竦められ、その口調もまるで年上の者に怒られているような錯覚すら覚える。不思議な威圧感を持った少女だった。
「はっ、自分はカルロ・サリ中佐であります。上官はダリオ中将と共にノエ砦に赴任した為、先任中佐として自分が代理をさせて頂いております」
気が付けばカルロは畏まって敬礼していた。その様子に満足したのか、セラムは相貌を崩す。
「カルロ中佐、ここを案内してくれ」
「はっ」
威圧感は無くなっていた。やはり気のせいだったのかとカルロが歩き始めた瞬間、下の方から言葉を投げかけられた。
「君はどうやら僕に不満があるようだ。貴族の我儘お嬢ちゃんが振り回しに来た、そんなところか?」
カルロの心臓が跳ね上がった。脇を見下ろすと、セラムが小悪魔の笑みを浮かべている。
「中佐、君はこれから僕の副官として傍にいろ」
カルロは苦々しい表情を隠しきれなかった。これが只の嫌がらせの命令であり、やはり我儘お嬢様だったのだと確信したからだ。しかしセラムはそんなカルロの感情を理解したかのように頷くと、カルロが思ってもみない事を言った。
「やはり君は僕を良く思っていない。だからこその副官なんだ。僕の立場だと部下が只のご機嫌取りになりかねないからね。君には忌憚ない意見を言ってくれると嬉しい。不相応な立場で間違いの多い上官を正す役割が必要なんだ」
そう言ったセラムに、カルロは威厳すら感じた。その微笑みに、今迄の思いは誤解があったのだと思い知らされた。人は見かけによらない。その言葉の意味を、カルロは理解していない訳ではなかったが、この小さな少女が第一印象よりもずっと大きな人物だったのだと、自分の狭量さを恥じ入るばかりであった。
(この国はマシになっている。今のこの苦難の局面もきっと良くなるだろう)
そんなカルロの安堵は、焦った様子の兵士の報告に掻き消された。
「一大事です!」
「どうした、簡潔に述べよ」
「ノエ砦にてダリオ中将が反乱を起こしました!」
「なっ!?」
驚くカルロ。しかしセラムは落ち着き払った様子でカルロに命令を下す。
「急ぎ討伐隊を編成せよ。ここからは速度の勝負だ。僕と一緒に来た兵士は既に出撃準備が整っている。ヴィルフレドの騎馬隊と僕の手勢は先行して現場に向かう。カルロは速度重視の編成で僕に追いつけ」
「待ってください、もう出撃準備が整っているですって!? 少将はこの事態を予測していたのですか!?」
カルロの疑問にセラムは事も無げに返答した。
「こうなるかも程度にはな。そう誘導したのは他ならぬ僕なのだから」
カルロはこの日何度目かの驚きを味わった。すぐさま出撃するセラム。その背中を縋る様に追う事が常になるのは、思えばこの時からだったかもしれない。後にカルロはそう述懐する。