第三十五話 リカルドその3
「国防か。……今更だな」
用意された部屋でリカルドが溜息を付く。一度国を裏切った身、全て無かった事にするなど虫のいい話だ。
部屋には多少の本や資料らしき物がある。あの少女は考えろと言っていた。これらにも目を通せという事だろう。
「それにしても、何故私が密約を交わしているとばれた? それにどうやら私以外にも捕まった者は少なくないようだ。こんな大胆かつ強引な手にどうして出る事が出来た?」
不可解な事が多すぎる。貴族との関係がよろしくないガイウス派の動向は気にかけていたが、少なくともリカルド側に密約を気取られるような落ち度は無かった。他の貴族から情報が漏れていた線はあるが、よっぽど確実な証拠でもない限り公爵を直接逮捕するような強引な手には出ないだろう。少なくとも今迄のガイウスならば薄々感づいていても表面上は緩やかな協調関係を崩さない筈だ。
確かに国の法律で定められてた数以上に常設軍を増やす等の違反はあるが、戦争中の今そんなものをまともに守っている貴族の方が少ない。それに兵員も恩赦を条件に犯罪者を使ったり、増えた分の人員で公共事業を行ったりして領民の負担が少ないように計らっている。全ては領民の為にやっている事であり、グラーフ王国との不可侵条約とて領民の事を思えばこそだ。その密約も自分以外では信頼する部下一名しか知らない。領内から裏切り者が出たとも思えない。
密使がリカルドに接触してから一か月しか経っていない状態でこの逮捕劇、電光石火の如き足の速さは国家という重い荷物を背負うガイウスには難しいように思えてならない。
しかし、とリカルドが思案する。
「最初から疑われていたのか?」
少なくとも一か月以上前からずっと身辺を探られていた、考えにくい事だがそう考えれば彼らの動きにも納得がいく。密使が接触してきて以降、正確に言えば密約を持ちかけてきて以降身辺には特に気を付けていた。当局に疑われないよう慎重に事を進めてきたのだ。その途中で企みがばれたとは考え難い。しかし最初に密使が接触してきた段階で見張られていたのなら話は別だ。もしそうならばリカルド側からではなく密使側からばれたという事は有り得る。
「しかし……考え難い。常に私の動きを監視するなど、それではまるで初めから私が裏切ると思われていたかのようではないか。そんな懸念を抱かれるような事をした覚えは無いし、実際この戦争が始まった当初私自身そのような二心は抱いてない。だとすると誰がそのような懸念を抱く?」
ガイウスが一番リカルドを怪しむだろうが、穏健派の彼らしからぬ手口だ。この逮捕劇に関わったのは確かだがずっと違和感を感じていた。彼ならばもっと慎重に裏で事を進め遠回しな方法でリカルドを締め上げるだろう。そう、今迄の貴族派とガイウス派の対立に血が流れなかったのは彼の性格によるところが大きい。このような直接的な方法に出る人間ではない。それだけ公爵の裏切りという事実が大きかったというだけかもしれないが。しかしガイウスは一番警戒していた人物だ。彼に怪しい動きは無かったし、流石に最初から疑われていたとは思いたくない。仲が良くないといってもそれは立場上、職務上の話であり、お互いに恨みを抱くような行いはしていない。
エルゲント将軍はこういう時の嗅覚が異常に鋭かったが、これは無いだろう。そもそも彼の生前には裏切るどころか彼と共にグラーフ王国と戦おうと誓っていたし、敵国と密約を結ぶなどという発想すら無かった。彼との関係も良好だった。彼が後事に備え遺命を残していたというならば別だが、あらぬ疑念を抱かせ要らぬ裏切りを呼ぶような行為をする男ではない。
エルゲントの後釜となるとアドルフォ、しかし彼は戦場での指揮は巧みだが政争や謀略には疎い。彼が計画したとは思えない。
ダリオ、これは論外だろう。将軍亡きあとリカルドはダリオに従っていたが、人の上に立ちたいだけの愚物だった。あの侯爵家の子倅は殊更にリカルドを敵視していたようで、よくリカルドの領民兵を酷使するような命令を下していた為、最終的にはリカルドも我慢の限界がきて戦列を離れてしまったが、その後裏切りを警戒し優秀な密偵を付けるような切れ者だったとは思えない。
アルテア王女は聡明であると聞く。表立って動いた事は無いがずっと牙を隠していた可能性はある。だがあの優しく争いを好まないレナルド王、そのご息女がこんな奸計を考えつくような育ち方をするものだろうか。微妙なところだ。
「いや、もう一人いたな」
エルゲント将軍のご息女、セラム・ジオーネ。正直実行犯であるにも関わらず今の今迄疑惑の外に押し出していた。そうしたかった理由がある訳ではなく、単純に若すぎる故にそのような考えが練られるとは思えなかったのだ。思い立ってみれば切れ者のエルゲントの娘であり、立場的に何らかを聞いていたとしてもおかしくはない。先程話した様子を見るに確かに理知的な光を見た。しかし未だ軍に入りたての、貴族社会にも身を置いていない彼女がここまでやれるとは思えないが……。
「まさか……な」
よぎった考えを振り払うように顔を横に向けたリカルドの視界に机の上の資料が映る。
「この資料、この前の軍制改革の物か」
混乱した軍部を立て直すには良く出来た代物だとリカルドは思っていた。細かい階級分けには命令系統の優先順位が明記されており、上にいくほど給金が良くなるのは勿論、死亡した際の遺族年金も設けられている。かつては無かった制度だ。死亡した場合は勲功がない限り遺族に対する保証が無かった。それも特に金額が定められているわけではなく、場合によってまちまちだった。だがこの制度なら分かり易いし、上の階級ほど保証が手厚い。勿論死にたがる者などいまいが、これなら戦場に行く兵士の心配事も一つ減るだろう。戦費が増える事になるが、死後二十年まで一年毎にいくらという支払い方法なのですぐに多額の軍事費を用意しなければならないという事もない。これで士気と労働意欲が増すのなら決して安くはないが良い制度である。
つらつらと見ていくと信じがたい文言が目に入った。
「発案者、セラム・ジオーネ……!」
信じられん。これをあの少女が考えたというのか。しかも軍に入る以前に。リカルドが驚愕する。
だが、今回の発端となったあの会。あれに係わっていたのはヴィゴールと彼女だった。そのヴィゴールはリカルドと同じく念入りに取り調べを受けている。あの会場での様子では謀に一枚噛んでいるとは思えない。しかしセラムはどうだろう。先程の様子ではすぐに無罪として釈放されているのだろう。それ自体は何の不思議も無いが、あの態度。ガイウスの手先……いや、共謀者だったとしたら納得がいく。
「……もう一度信じてみるか。この国の可能性に」




