第二十七話 ヴィゴール
翌日、ヴィゴールの了承を得てセラムはヴィゴールの邸に赴いた。セラムには珍しいワンピースのドレス姿にベルは「良くお似合いですよ」と言っていたが、セラム自身はどうにも落ち着かない。
(足元がスース―するのが何とも恥ずかしいな。服の下で太腿同士が直に触れるのも慣れない。大体ひらひらしたこの布一枚で隠れてますよってのが頼りない。早く着替えたいなあ)
そうは思ってもいつもの格好で赴くわけにもいかない。身分の高い人間に会う為の正装という意味もあるが、何よりここに来た目的の為にもヴィゴールの好みに合わせた女性を演じなければいけない。
「はじめましてヴィゴール侯爵。この度晴れて侯爵の位を継いだセラム・ジオーネと申します。どうぞお見知りおきください」
ドレスの裾を大胆に摘み上げ恭しく礼をする。ちらりと見える脚にヴィゴールの視線を感じた。相手の目を見ていなくても見られているという感覚は本当に分かるのだなとセラムは思った。
醜悪な豚、ヴィゴールを見たセラムの第一印象がそれだった。その肉の塊が下卑た笑みを精一杯取り繕って擦り寄って来る。何のしがらみも目的も無ければすぐにでも逃げるところだが、今は彼に取り入る事が目的だ。
「おーうセラム殿、この度は父上の事無念でございましたな。さぞかし口惜しゅうございましょう、このヴィゴール、心中お察し致しますぞ」
頬ずりせんばかりの勢いに思わず仰け反りそうになる。セラムは怖気と吐き気をぐっと堪えその手を両手で握り弱々しい少女の演技をした。
「わたくしの気持ちを組んで下さり嬉しく思います。一時は悲しみのあまり身投げも考えました。ですがヴィゴール様のようなお優しい方がいると心強いですわ。もう少し生きてみようかと勇気が湧いてきます」
内心砂を吐く思いだ。それでもこんな演技をしているのは事前にヴィゴールの好みを調査してあるからだ。それによると失意の中の女性を口説き落とすのがこの男の好みらしい。人が弱っているところに付け込んで口説き落とすとは何とも最悪な趣味だ。が、ここはそれを利用させてもらう。
セラムは自分を見下ろす視線がうなじ、肩、背中と這うように感じられ寒気を押さえるのに相当な努力を要した。この日の為に肩の開いているワンピースのドレスを着こんだ甲斐があったというべきか。どうやらヴィゴールはその微かな震えを心が弱っている事によるものと勘違いしてくれたらしい。おどけるように、というよりあからさまに上機嫌に声を上げる。
「さあさあどうか此方にお座りを。お茶を淹れさせましょう」
そう言ってセラムの横に座るところも殴りたい要素だ。だが改まるよりも色にかまけている方が御しやすいというもの。
「侯爵様、わたくし父上の一件で思った事がございますの」
「んー何ですかな?」
さりげなく、いや厚かましく手をセラムの肩に回すヴィゴール。
(キャバクラ気分かよ!)
殴りつけ唾を吐きつけたくなる衝動を抑えながら続ける。
「グラーフ王国は許せません。それにこの国が一丸となって戦わないと勝てないとも感じました」
「そうですなあ」
「ですが聞くところによるとリカルド公爵はこの国を裏切り分裂させようと画策していると」
「何ですと?」
わきわきと肩を這っていた指が止まる。流石の助平親父も聞き流せないものだったらしい。
「わたくしそのような輩は許せません。ですがわたくし一人ではどうしたら良いか……」
言いつつヴィゴールにしな垂れかかる。かなりの開き直りで顔を胸に埋めるサービスも付ける。ヴィゴールは硬直したままだ。
(しまった、わざとらし過ぎたか?)
セラムが焦る。相手の表情が見えないので成功しているかは祈るしかない。
突然ヴィゴールがガバッとセラムの肩を抱き興奮したように声を荒げる。
「それはいけません、いけませんな! しかしながら相手は公爵、なにぶん位が上故にすぐさま糾弾というわけにもいかんでしょう」
セラムはヴィゴールの守備範囲と鈍感さに乾杯したくなった。ともかくこれで策を進められる。
「ですがヴィゴール様は侯爵、リカルド公爵の次に偉い方なのでしょう? 何か策はないでしょうか。わたくしに出来る事なら何でもいたします」
「何でも?」
ヴィゴールの眉がぴくりと動いた。その口元が緩む。釣り針に掛かった感触を得た。
「んーありますぞありますとも。しかしながらセラム侯爵にそのお覚悟がおありですかな?」
「勿論でございます。わたくしに協力できる事ならなんなりと」
「では私と結婚していただきたい」
「えっ」
掛かった! 一気に糸を巻きたい気持ちを抑え慎重に言葉を選ぶ。
「で、ですがわたくしはまだ十二歳で」
「勿論今すぐにというわけではありません。ですが婚約を表明し侯爵同士の両家の結びつきを強くすれば力関係で勝るとも劣りません」
「あ、確かに」
「なに、まずは形だけのものでござりますれば。いや、すぐにでもその証拠を……」
「いえ待ってください」
下半身が我慢できなくなったのか性急に事を運ぼうとするヴィゴールをとどめるセラム。視線で孕みそうで肌が泡立つ。
「でしたればなるべく大きな舞台で婚約を表明しましょう。リカルド公爵は勿論、なるべく大勢の貴族の前で。早い方が良いですね、この日などどうでしょう」
「おうおうそうですな! そうときまればその舞台は私が整えましょう。いや目出度い!」
おめでたいのはお前の頭ん中だ、と心の中で悪態を吐いてセラムはヴィゴール邸を出る。次の策に移る時だ。




