第二話 目覚め
「お目覚めですか?」
聞き覚えのない女性の声。見覚えのない天井。どうやらベッドに寝かされているようだ。部屋には布団しかないのに。
「ここは、病院?」
「いいえ、セラム様のお部屋です。覚えておいでですか? セラム様は兵士の方の報告を聞いて意識を失われたのです」
「セラム様? 何を言って……?」
男は発した声がいつもの自分の声よりずっと高い事に今更気づく。そばにいる女性は黒く長い髪を束ね、中世のメイド服のような物を着ている。冷静な感じのこの女性によく似合う、ロングスカートで黒と白を基調としたシックな物だ。
この風景、いやこの画面に見覚えが……!
「いけません。急に起きては」
「鏡!」
嫌な予感に語調が思わず強まる。
「鏡を持ってきてください」
落ち着け。鎮まれ心臓。
「はい。大丈夫ですか? 顔色が優れませんが……」
凝った装飾の手鏡を手渡しながらメイド姿の女性が優しく声を掛けてくる。
「大丈夫です。それより報告というのは」
「セラム様のお父様が、エルゲント将軍が戦死されたとのことです。それを聞いてお倒れに」
「ですよね……」
それは三日前に聞いた、いや見た。
「あの、確認なんですが僕の名前は?」
「? ……セラム様です。あの、本当に大丈夫ですか?」
少し短めの青みがかった銀髪、くりくりと動く大きな蒼い瞳、キメが細かく透き通る程に白い肌、丸っこく幼さの残る輪郭。
鏡には男があのゲームの主人公に選んだ少女に似た顔が引きつり笑いを浮かべていた。
「お水を貰いに行きます」
そう言って侍女らしい女性は部屋を出て行った。さて、今のうちに状況を把握しなければならないだろう。
一、状況確認
今いる部屋は洋風の館の一室のようであり、シンプルながら瀟洒な調度品が室内を飾っている。
窓から見える風景は草木や花、遠くには石壁のような物まで見える。
服装はシンプルなワンピース、おそらく綿で作られた物だろう。侍女もシックなメイド服を着ていた。
鏡に映るのは何度見てもゲーム「グリムワール」で主人公に選んだ少女に似た顔。背丈もかなり小さい。
二、仮説
以上によりここは日本ではなく海外。しかも現代ですらない可能性がある。なおかつ体は元のしがないサラリーマンの男ではなくゲームの女の子だ。
認めたくはないがここはゲームの中の世界、もしくはそれに近い異世界である可能性が高い。
なぜ主人公をこの子にしたのか?
ゲームでキャラメイクをする時、人は二種類に分かれる。自分の分身と考え自分に近い年格好にする者。変身願望丸出しで自分の理想や好みの異性にする者。
男は後者である。今は後悔している。もはや元男である。
それはともかく三、やるべき事。
まずは何を置いても確認せねばならない事がある。元男は壁に掛けられていた小振りな剣を手に取り刃を左腕にあてがう。そして……
それをおもむろに引いた。
「何をなさっているのですか!」
帰ってきた侍女が取り落としたコップと水差しを踏み越えて元男の腕を掴む。
「危ないよ」
「危ないのはセラム様のほうです! まさか自殺しようとするなんて……。だれか! 包帯を持ってきて!」
「大丈夫、もうしない。だから離して。剣も置くよ」
自殺と勘違いされてしまったがその行為の結果には確かな痛みがあった。傷口からは赤い血が流れ、時間をおいても傷が塞がる様子はない。つまり怪我もするし、それが酷ければ恐らく死ぬ。
これは現実なのだ。
死んだら元の世界に戻る、という可能性も無くはないがそれを試す気にはなれなかった。
今更ながら血の気が引く。これから死に怯えながらゲームのように戦争をしろというのか。
自慢じゃないが男はただの平和ぼけした一日本人。元の世界で彼は英雄でもなく、社会の歯車の一つという自覚がある。しかもかなり小さな。
「セラム様はきっと疲れておいでなのです。さあ、もう横になって、ぐっすり眠れば気持ちも落ち着いてきますよ」
そうかもしれない。きっとこれは夢なのだ。起きればまた会社に行くための目覚ましが鳴っているのだろう。仕事はそんなに好きではないがこんな世界よりはずっと良い。
左腕がズキズキと痛む。
どうか眠らせておくれ、変わった夢だったと言わせておくれ。
「お眠りなさい。あなたが無理をする必要なんてありません……」
傍らから聞こえる優しい声に縋って意識を手放す。
どうか、どうか、世界が優しいものでありますように。