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少女と戦争  作者: 長月あきの
第三章
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第九十五話 終幕

 その日、ヴァイス王国では論功行賞が行われた。そこではアドルフォ大将が壇上に立ち一人一人名前を読み上げ、階級が上がった者や勲章を賜る者を表彰していく。通例ならば関係者のみで行われるその会場には、何故か該当者でない者や一部の一兵卒、そして文官までもが出席していた。

 その場に居ない者も含めて名前が呼ばれ、出席出来なかった者は代理人が預かる。戦いを最後まで支え抜いたカルロなどは大佐に昇進、この場にいない者の中には、マレーラ大平原で目覚ましい活躍を見せ、今現在もヴィグエントを守護するヴィルフレドなどが勲章を賜った。若い者が実力を発揮し評価され、名実共にこれからの軍の中核を担ってゆく、世代交代を象徴したような式典だった。

 一頻り名前を呼んだ後、アドルフォは口を引き結び目を瞑った。それは短い黙祷のようにも見えた。

 誰もが一言も喋らなかった。皆分かっているのだ。この式典には誰かが足りない。それは共に奮戦した戦友だったり、一人残り戦線を支えた上官だったりするのだろう。だが一番多くその存在を胸中に抱かせたのは、凡そ軍に似つかわしくない少女の姿……。


「最後となるが、昇進した者を発表する」


 今迄の事務的な定型句を外し、アドルフォが厳かに宣言した。


「ここには居ない、また、代理人もいない為にこのままで失礼する」


 会場は静寂を保っていた。誰もがここに居ない者の表彰に納得していた。


「セラム・ジオーネ殿!」


 アドルフォが名前を呼んだ瞬間、どこからともなく嗚咽が漏れた。それに釣られてか、幾人かが鼻をすする。


「貴君は入隊後ヴィグエントの奪還を始め数々の戦地で功績を上げ、国内外の安定に尽力した。そしてこの度、マレーラ大平原の戦いに於いてリカルド中将の副官兼参謀として活躍、敵糧秣基地奇襲作戦では隊長として先頭に立ち、見事この作戦を成功に導いた。依って、本日付けで中将に任命する」


 静かだった会場に控えめな拍手が起こった。それよりも大きいのは、悲しみに暮れる声だった。誰もがその意味を悟っていたのだ。アドルフォが虚空に向かって階級章を掲げている意味を。その声が時折詰まり、感情の高ぶりが声音を震わせている意味を。

 その徽章を彼女が身に付ける事は無い。兵士達がよく知る彼女は……そう、英雄(・・)になったのだ。


「ふぐうっ!」


 込み上げる感情を抑えきれなかった男の泣き声が会場に響いた。カルロだった。この一年以上副官として仕えていた男は、きっと誰より泣く資格がある。一年、というと短く聞こえる。その短い間で、考えられないような多くの出来事があった。その全てに彼女は居た。カルロの脳裏に数々の思い出が去来する。思えば泣かされてばかりいたような気もするが、何と満ち足りた日々だった事か。彼女はもうカルロの名を呼ぶ事は無い。厳しくも優しい、冷徹で温かい、賢しくも純粋なその声を聞く事は、もう無いのだ。


   ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 ヴィグエントの街に築かれた防壁の上に立ち、ヴィルフレドは彼方を睥睨していた。


「大分遠巻きになりましたね」


 グラーフ王国軍の隊列の事だ。マレーラ大平原の決戦後にも敵は寄せて来てはいたものの、包囲らしいものはなく、陣を敷いて散発的に攻撃を仕掛ける程度に収まっていた。


「奴らも疲弊しているのでしょう。それにもうすぐ冬が来ます。奴らも後方に退くでしょう」


 副官のレオが補足する。しかしヴィルフレドの嘆息はその言葉で止まる事は無かった。


「結局全ての国が消耗して戦線は元通りですか。……先の大戦は何の意味も無かったのですかね」


 虚しくはある。この戦争を好ましく思わない向きは兵卒のみならず、民衆、そして将兵にも伝播してきていた。しかしだからといってむざむざヴィグエントを明け渡す訳にはいかない。戦死していった部下達の奮戦を無駄にして良い筈が無い。そして英雄の遺志を残った人間で継がなければいけない。でなければ何の為に彼らは、彼女は死んでいったというのか。


「守り抜きましょう。例え冬が過ぎ、春が来てもなおこの戦争が続いていたとしても、我々が進む道はもう一つしかないのです」


「そうですね。……いえ、それだけでしょうか」


 賛同しかけたレオが難しい顔でヴィルフレドの横に立つ。


「奴らが積極的に攻めて来ないその理由。……今我等には厭戦感情が蔓延しつつあります。それは奴らもまた同じなのではないでしょうか」


「というと?」


「人間はそこまで馬鹿ではない筈です。戦い続け殺し続け怒り続け憎み続け、それでも終わらず疲れ切ったその後にはきっと振り上げた拳を下ろし、昨日の敵とその手を握る日も来るのではないでしょうか」


 レオは握り拳を前に出し、その手を広げてみせる。その手が象徴するのは平和。例え一時でも、それは皆が望んだ真なる平和となるだろう。


「そうありたいですね」


 ヴィルフレドの視線の先を鳥が飛んでいく。まるでレオの広げた手の意思を届けるようにグラーフ王国の陣営が広がる方へと進む。人間がいつしか引いた境などまるで意に介さず、どこまでも。


   ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 グラーフ王国北部、人も寄り付かないような山間で、空を見上げていた男が独り言ちた。


「お、鳥か。こんな所では珍しいな」


 ここは近づくだけで死に至る呪いの地と呼ばれている場所が近くにある。普通の鳥が上空を飛んでいる事自体珍しいのだ。その代わりといってはなんだが、ここ一帯では変わった泉質の熱い水が湧き出る泉がある。追われる身の彼らにとって、士気を維持しつつ隠れ住むには最適な地だった。


「明日はどうだ?」


 近づいてきた別の男が訊く。


「明日は雨だろうな。しかも暫く降り続くとみた」


「そうか、じゃあここ数日はお休みってところか。あの戦術をやるのは雨じゃない方が良いらしいからな」


「あのグラーフの連中に一泡吹かせたっていう……」


 男達はグラーフ王国に滅ぼされたモール王国の残党軍だった。王家のご落胤を連れて大臣が纏めている寄せ集めとも言える。忠義を誓う騎士崩れ、追われつつも賊になるよりはマシだと集った敗残兵、グラーフ王国の統治に馴染めなかった逃亡者、理由はそれぞれだが、各地に散りつつ割と大規模な団体となっている。反乱を抑え内政に尽力する前にグラーフ王国が他国と大規模な戦争状態になったからこそ、敵の目を盗み彼らは生き永らえていた。

 しかし隠れ住むばかりでは賊となんら変わりが無い。寧ろ大所帯になったからこそ大規模な反抗作戦が必要になっていた。そしてその切っ掛けは二か月前に転がり込んだ。


「あの黒騎士発案の胸糞悪いやつだ」


「死にかけにした魔物の子供を攫って魔物の大群を敵に突っ込ませるっつう……」


「よせ、口にするのも(おぞ)ましい」


 呪われるぞとばかりに口を閉じるよう手振りをする。

 通称黒騎士と呼ばれるその者は軍の中では新参だ。常に黒い鎧兜を身に付け、その顔を見た者は非常に少ない。小さい背丈と声からして女であろうという程度しか知られていない。素性の知れぬ輩ではあるが、大臣が一軍を預けた謎多き人物だった。但し、その手腕は確かなようだった。先の戦いでは非常に少ない人数で軍の中で最も多くの敵を殺している。しかしながらその作戦は魔物を使う、しかも魔物とはいえ子供を贄に使って敵にけしかけるというものであり、味方にすら畏れ気味悪がられていた。


「声だけ聞くと美人そうなんだがなあ」


「よせよせ。あんなまともな神経してない奴だ、どうせ顔面も碌なもんじゃないさ」


「そういやその黒騎士サンは?」


「もうこっちに帰ってきてる筈だぜ。今頃王子に謁見してる頃だろ」


 奥にある建物の方角を見る。その先、一際厳重に守られた大きめの建物の中では、十歳になったばかりという王子がモール王国の旗印として鎮座している。しかし凡庸で幼すぎる王子に代わって実権を握っているのは、かつてモール王国の王を傀儡化して権勢を欲しいままにしていた宰相だった。


「このたびのいくさ働きご苦労、黒騎士」


 幼い王子が声を掛け甲冑を纏った黒騎士が跪く。王子の隣に立っている宰相が手で合図し人払いをした。


「よい、兜を脱げマダラよ」


 室内に三人のみになると、宰相の言葉に促されマダラと呼ばれた黒騎士が兜を脱ぐ。抑えつけられていた髪が自由になり肩を撫でる。白髪が斑に生えてはいるものの、元は綺麗な青みがかった銀髪だったのだろう。その蒼い目は少し澱んではいるものの、美しさを損なってはいない。

 少しどぎまぎした様子で幼き王子が舌足らずに少女を労う。


「今後もより一層の活躍を期待するぞ、黒騎士」


「はっ」


 その出で立ちに似つかわしくない少女の声だった。宰相が少女を見下ろし笑みを浮かべた。


「うむ、我が義娘ながら頼もしい。義父は嬉しいぞ」


「ありがとうございます。お義父様」


 嬉しそうに微笑む少女を見ながら宰相は内心でほくそ笑む。


(目を覚ましたら記憶を失っていた時にはどうしようかと思ったが、これはこれで拾い物じゃわい。噂通りの強さ、しかも王子と結婚させてしまえば記憶が戻ってからもヴァイス王国との繋がりが出来る。余る所が無い極上の肉じゃわい。……しかし王子にやるのは少々勿体無い器量よのう)


   ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 その様子を見ていた人間がいた。三人以外誰も居なかった筈の室内を頭上から見下ろすように彼らの一挙一刀足をつぶさに見ている人物。名をマクスウェルという。魔法に革命をもたらした大賢者と言われた男だったが、二十年前に旅に出て以降行方不明扱いされていた。しかし彼自身がその場にいた訳ではない。黒曜石に似た不思議な壁面にその室内は映し出されていた。


「やったぞ、漸く見つけた」


 嬉しそうにはしゃぐその姿は本来の彼とは容姿が程遠く、幼い少女のような姿をしている。そんな彼に三メートルはあろうかという大柄な老人が声を掛けた。


「何を喜んでいるのだ、我が友よ」


「ニール! これが喜ばずにいられるか! 神の目の新しい検索方法が分かったんだ。それでとうとう見つけたぞ、セラム・ジオーネを!」


「誰だ? ……ん、ああ。我が友が言っていた同郷かもしれないという人間か」


 ニールが納得すると、畳みかけるように喜色満面でマクスウェルが詰め寄る。


「そうさ! こことは違う異世界から来た人間だ。正確には私の仮説では異世界の記憶がある人間だが。そういう人間なら何かしらの痕跡は残す筈。例えばこの世界に無かった技術を扱うだとか、通常の発想では成し得ない偉業を達成するだとかな。その中でもこいつは有力候補なんだ」


 山賊の根城のような場所で傅く少女を指しながらマクスウェルが興奮する。


「ニール、君の伝手でセラム・ジオーネをここまで連れてくるように仕向けてもらえないか?」


「私の伝手?」


「君はグラーフ王国の六将軍筆頭に顔が利くだろう。そこから交渉に持っていける筈さ。そうだな、例えばモール王国残党軍の根城の場所を教える代わりにセラム・ジオーネがここに来るよう取り計らってほしい、とか」


 ニールは考えた。彼の使命はここにある神の目を守護する事だ。あまり人間に場所を知られるのは好ましくない。しかしマクスウェルが会いたがっている人間は異世界人だという。これは非常に興味を惹かれる。彼の長い年月の中で唯一友として対等に見られるマクスウェルの同郷の人間、もしかしたらマクスウェル並みに自分の生を刺激してくれる人間かもしれない、そうニールは思った。


「良いだろう、話を付けてみよう。……しかし我が友よ」


 ニールは顎髭を撫でながらマクスウェルの小さな体を見下ろした。


「なんだい?」


「何故魔法を使って変えた体がそのような小さな体なのだ?」


「老化を止めるだけでなく、強靭な肉体を得ようとした結果さ。魔法で作り替えたとしても肉体を構成する成分の量が増える訳ではない。君がその体に変化するにあたって体の大部分を切り離して保管せざるを得ないようにね。となると小さく凝縮させた方が強力なパワーが出るし、効率も良い」


「それにここに来た当時は雄だった筈だが、性別まで変える必要はあるのか?」


「女の方が何かと便利そうだからね。敵が油断してくれるとか、店の主人がおまけしてくれるとか」


 そういった後、マクスウェルはこれが本音とばかりに力強く付け足した。


「あとは趣味だ!」


「……そうか。私には分からん」


 異世界人の感性なのだろうか、それとも人間というのは全てこういった感性を持っているのだろうか、ニールは悩む。何せ彼はドラゴンなのだから。


   ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 マレーラ大平原の決戦を境にセラム・ジオーネは二年間歴史から姿を消す。この空白の二年に歴史家としては浪漫を感じずにはいられない。何故表舞台に立たなかったのか。その間は何をしていたのか。その間も半年間戦争は継続していた。また、彼女が戦い続けたグラーフ王国と和平を結ぶとなった時にも動きを見せないというのは考え難い事だ。セラム・ジオーネの活躍はグラーフ王国との戦いから始まったのだから。

 行方不明となってからのセラム・ジオーネについては諸説ある。傷や病によって療養をしていた。一線から身を引き和平派として暗躍していた。はたまたグラーフ王国の北方方面でモール王国残党軍として戦った黒騎士こそがセラム・ジオーネなのだというトンデモ説まである。どれも証拠となるものは足りないが、これまでの人生を激しく戦ったセラム・ジオーネが何もしていなかったとは思えない。そしてどの説が正しくあったとしても不思議ではないのが彼女なのだ。

 次にセラム・ジオーネが表舞台に上がるのは行方不明となってから二年後。グラーフ王国と和平を結んだヴァイス王国に再び動乱が起こる時である。


   ルドヴィコ・サリ著「英雄の軌跡」より抜粋


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