第八十七話 稲妻のように
バッカスは途中で合流した仲間と共に拠点の奥へ向かっていた。出遅れはしたものの、まだまだ活躍の場は残っているだろう。何より彼がタイショーと呼び慕う、敬愛すべき上司を守るという役割は、自分こそが担うべきものだと彼は未だに自負している。
「どこにいるんでいタイショー」
周りを見回しながら走っていると、遥か奥の方が明るくなっていた。既に火は点けられ始めているらしい。となればバッカス達は方向転換する味方に対し逆走している事になる。気付かぬままに追い抜いてはいかんと、バッカスは手近な建物に目を付ける。
「バッカス隊長、どうなされたので?」
「上から見回す」
部下の問いにそう答え、鎧を着ているとは思えない跳躍力で屋根の縁を掴むと、そのままの勢いで軽々とその身を屋根の上に乗せる。ぐるりと見渡すと、既に炎は広がり始めているようだ。肝心のセラムは恐らくその緋と黒の境に居ると思われるが、扇状に広がるその境界のどこにいるかまでは見当も付かない。
「隊長は軽々と登りますがね……っと、こんな夜中にそうそう見えるもんですか?」
苦労して登ってきたらしい仲間に、バッカスは事も無げに返答する。
「星明りも、篝火も、付け火の明かりだってあるんだ。割と見えるぜ。あそこで火を点けてる味方とか、あっちに集団でいる敵とか」
「それは隊長が夜目が利く上に目が良いからですよ……」
登ってきた仲間が呆れ顔をする。構わず周囲を注視していたバッカスがある集団を捉えた。
「……あのバカ」
「ん? 何ですか隊長」
隣の仲間がバッカスが見ている方角に目を凝らす。広間に篝火、そこに集まる敵と、交戦中らしい味方。
「フィリーネだ」
「あそこに姐さんが? よく見えますな。……って隊長、どこへ!?」
屋根伝いにその方角へと跳ぶバッカスを止めようにも、そもそも鎧を着たまま屋根から屋根に飛び移るなんて芸当を真似出来る気がしない。
「あいつを助けに行く」
「セラム少将はどうするんです!? 我々の第一優先はセラム少将を無事逃がす事でしょう!」
「…………そいつはお前らに任せる。目の前の女を見殺しにしたとあっちゃあ漢の名折れなんだよ」
バッカスは振り返って軽く手を上げ厳しい顔のまま口角を上げてみせた。
「頼むぜ」
それを最後に迷いを捨て、バッカスは野生の獣のように屋根伝いに最短距離で交戦中の広場へ向かって行った。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「さて、後はお前一人だ」
驕るでもなく勝ち誇るでもなく、淡々とオットーは言った。潜んでいた部隊が襲撃してくるのも計算済みの事であり、征圧するのは容易い仕事だった。意外だったのは率いていた者が女だった事。そして何故か戦場で場違いなメイド服を着ていた事くらいだ。
「くっ」
百人近くの敵に囲まれたフィリーネが口惜しさを滲ませた。こんな時、暗殺者だった時の自分ならば敵に情報を与える前に自害していただろう。しかしセラムのメイドとしての新たな生を受けてからは諦めるという選択肢は捨て去っていた。
背後は家壁にまで追い込まれ、周囲を見ても敵だらけ。敵が射たか味方が射たか、乱戦の最中利き腕に矢まで受けてしまっている。
――それでも。
(セラム様の為に。ベル様の名の下に。敵将だけでも討つ方法は……)
弓だけは手放していない。矢筒にはまだ矢が十分残っている。
「大人しく投降してくれると助かるのだが」
「まだだ、まだ私は戦える!」
諦めない。その強い意志をオットーも感じ取ったのだろう。溜息一つ、オットーは片手を静かに上げた。取り囲んでいる部下が弓を構える。
「女性をいたぶるのは趣味ではないのだが……仕方ない」
一人であっても油断はしないという事なのだろう。部下を迂闊に近づかせない用心深さは大したものだった。
そして、オットーが。
その上げた手を。
突き出した。
無数の矢が一斉に放たれる。
(ここまでか……っ)
フィリーネも覚悟を決めたその瞬間、地響きを伴って大きな影が落ちてきた。
豪快な風切り音、金属を弾く音、木材が圧し折れる音が同時に何重にも重なり、フィリーネは脳髄を焼き切る筈の痛みがまるで無い事を不思議に思って細めた目を開く。そこには見覚えのある背中があった。
「バッカス!」
「おう」
回転させた青龍偃月刀で大半の矢を弾くという離れ業をしてみせたバッカスがそこに居た。
それでもやはり何本かの矢がバッカスの体に刺さっている。身を挺してフィリーネを庇ったのだ。
「お前、何でここに!? 血がっ、私の事なんかよりセラム様をっ」
「あー一気に喋んな。訳分かんねえ」
噴き出た感情のまま纏まりの無い言葉を吐くフィリーネを落ち着かせるように、バッカスは良い笑顔でキメてみせた。
「惚れた女を守ンのは当然だろ?」
「なっ……!」
それはバッカスなりの冗談だったのか、それとも本気だったのか。フィリーネは篝火の頼りない明りでも分かるくらい顔を赤くして喚いた。
「だっ誰がっ何がっ!?」
「そんな事より、大丈夫かフィリーネ」
その一言でフィリーネは現実に戻る。
(右腕に矢が刺さり力がうまく入らない。しかし)
流れるような、優雅とさえ言える動作で背中の矢筒から矢を取り出し、まるで琴を弾くように三連射する。その全てが二射目を番えようとしていた敵の眉間に当たった。
「引き絞れないなら瞬間だけ引っ張るようにして引き絞らなければ良い」
それで狙いが定まるのが異常なのだが、フィリーネから言わせれば狙いを定めて手を止めるというより、矢を飛ばして当たる位置に弓を押し出す感覚で射れば良いのだ。
(威力、四割減。射程、五割減。速射、問題無し。命中率…………問題無し)
その離れ業に驚愕し二の足を踏む敵兵を余所にフィリーネは冷静に答えた。
「問題無い」
「よっしゃ、ならとっととここを突破するかあ! 死にてえ奴から掛かってきな!」
バッカスが唸り声を上げて敵の密集地帯に次々と飛び込む。先々で鎧の壁が裂ける。バッカスの死角から攻撃しようとする輩は即座にフィリーネの矢の餌食になっていく。逆にフィリーネを狙おうとする兵は、稲妻のように戦場を駆け巡るバッカスに轢き殺された。
「盾兵前へ! こちらは百人からいるのだ! 数で圧し潰せ!」
オットーの号令が浮足立ちかけた兵士達の気を引き締める。広場は血の赤で染まっていく。




