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少女と戦争  作者: 長月あきの
第三章
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第八十二話 不”凶”和音その2

「生きていたのか」


「そりゃあないぜえセラム・ジオーネェ? お前のところのメイドの所為で崖から落ちるわ左腕が動かなくなるわ散々だったんだからよお~。お前に会う為に敗残兵に紛れて一兵卒で参加してよう。お前の噂を聞く度に憎しみで眠れねえ夜を何度越えた事か」


 どうやらベルが投擲した短刀の当たり所が悪かったらしい。もう少し悪ければその存在ごと抹消出来たのにと思わざるを得ない。


「会いたかったぜセラム・ジオーネ」


「僕は二度と会いたくなかった…………いや」


 反射的に言いかけたセラムの胸の内から沸々と憎悪の感情が浮かび上がる。


「お前をこの手で殺せるならばこれも良い運命かもな。神の遊び心だとすると複雑だが」


「ほっほーう、いいねえ活きがいい。お前に追放されて一年以上、どれだけこの日を待ち焦がれた事か。そのくらいの気概を見せてくれないと面白くないからなあ」


「酷い逆恨みもあったもんだ。だが此方は純然たる恨みがあるぞ! 今こそヴィレムさんの仇を取ってやる!」


「ヴィレムぅ? 誰だそいつは?」


 ダリオは嘲るように上擦った声で口を曲げた後、得心がいったように首を伸ばして歯を剥き出した。


「ああ~あの時お前を庇った男か。そうか、死んだか。あへひゃひゃひゃ!」


 セラムの髪が逆立つ。こうまで人を憎いと思った事は未だかつて無い。


「貴様ああああ!」


 セラムが腰の短剣を抜き放ち怒りに身を任せ突進する。今こいつを殺せるならばどうなってもいい。周りは憎悪に塗り潰され赤黒く霞んで見えた。ただダリオの歪んだ面だけが見え…………


(あんた、いつ死んでもいい思とるやろ)


 不意に浮かんだ脳裏に浮かんだのは、何故だろう。以前カゴメに言われた言葉だった。途端に視界が開ける。敵の顔がはっきりと見える。敵は此方を待ち構えて、ここを好機と捉えた目をしていた。


「っ!」


 半身をずらしよろけるようにダリオの正面を避けた。突風と共に目に見えない何かがセラムの背後の地面を穿つ。

 セラムの視線はダリオの顔を捉えて離さない。少々の驚きとセラムの肩口を突き刺すような視線。ダリオの右腕が上から抉りこむように突き出される様を見た……ような気がした。まるで一瞬後の出来事をスローモーションで見るような錯覚。かつてない程感覚が鋭敏になっているのをセラムは感じていた。しかし体が付いていかない。敵が動き出すよりも一瞬早くセラムは短剣を体の前に滑り込ませる。

 途端に世界の速さが通常に戻る。気が付いた時には鋭い金属音が胸元で鳴っていた。ダリオの剣先を寸でのところで短剣の腹で受け止めたのだ。


「っほう!?」


 ダリオが驚嘆する。しかし偶然はそこまでだった。すかさず放たれたダリオの蹴りをもろに顔面に食らい小さく軽い体が吹っ飛ぶ。


(受け身を……っ)


 地面に激突する刹那、全身を回転させ地面を転がって衝撃を吸収すると共に頭を守る。それでも顔を蹴られた衝撃は一時的に神経系を麻痺させる。


(ぐっ動け! 僕の体!)


 追撃が来る前に体を起こそうと試みるが、体が痺れて思う通りに動かない。地面に接した頭を通じてコツコツとダリオの足音が近づくのを聞く。セラムは一瞬大きく息を吸い込むと、反射で激しく咳き込んだ反動を使って素早く飛び起きた。果たしてダリオは、愉悦に歪んだ笑みを湛えたまま此方を攻撃する素振りは見せなかった。


「い~い面だあ~。更に歪めばもっといい……っ。もっと激しく抵抗しろ! そのお転婆な手足を折って持ち帰ってやる!」


「冗談……っ」


 ダリオはこの状況を、これからセラムを好き勝手いたぶる妄想を楽しみ、すぐにとどめを刺すつもりは無いようだ。

 立ち上がったセラムは咳き込み口に広がる血の味という体の不調とは裏腹に、頭の中は冷静さを取り戻していた。


(そうだ、僕はこんな所で死ぬ訳にはいかない。退却の鏑矢を上げないと皆が死ぬ。その為にはこいつを撒くか殺さなければならない)


 セラムはそっと左腕を撫でる。


(こんな時の為の備えは、ある。だがこれは一撃必中でなくてはならない。相手を油断させ、絶対に当たるという状況を作り出さなければ……)


 セラムは呼吸を整え深く息を吐く。頭の中でバッカスの声がした。


(相手の呼吸に合わせるんスよ)


 セラムは息を止め敵の顔を見る。魔法使いでないセラムは魔力を感じる事は出来ない。だが敵の呼吸の気配で何か仕掛けてくるという事は分かった。離れたこの距離で仕掛けてくるとすれば、それは魔法――。

 セラムはダリオの呼気に合わせて大きく斜め後ろに飛んだ。三度目となれば見えずともその正体は分かる。突風と共に今迄居た地点を高速で通り過ぎたのは、恐らく空気の塊。ダリオが魔法で射出した空気弾だろう。

 元々ダリオは魔法の才があった。それに加えホウセンの独自理論と訓練により「魔法」を「操術」として昇華させた。言ってみればあれは風、いやもっと踏み込んで空気を操る風操術といったところか。何の道具も無く殺傷力まで備えるに至ったその力は恐るべきものだ。しかしどうやらそれを形成するには溜めが要り、尚且つ使った後に息を吸い込む癖があるようだった。


(今!)


 ダリオが息を吸い込んだ瞬間を狙って前に飛び近づく気配だけを飛ばす。思わずダリオが身構え硬直した隙にセラムは後ろに向かって脱兎の如く逃げだした。


「ああっ!」


 ダリオの苛立ちを背中で聞きながら全力疾走する。まともにやって勝てる相手ではない。怒りで覚醒してパワーアップとか、そんな都合が良いもので身体能力や才能と今迄の訓練の差を埋められる筈が無い。


(部下が見つかるまで逃げ回るのが正解だ)


 自分が死んだら部下が死ぬ。大切な部下を……仲間を守る為にもこの場を生き残る。例えヴィレムの仇だろうが、殺しても拭い切れない程憎悪している相手だろうがそれが正解。


(そうだろ、沙耶)


 ベルの、フィリーネの、バッカスの、ここまで付いてきてくれた仲間達の命がセラムの足を突き動かしていた。


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