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少女と戦争  作者: 長月あきの
第三章
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第七十九話 隠れて進め

 背の高い草を掻き分けながら三百人程の一団が進む。もうどれ位奥に入り込んだのだろう、ここはもう敵の領域の筈だ。ガサガサと草を揺らす音以外何も聞こえない。セラム麾下の決死隊はほぼ全員が板や布を噛んで喋らないようにしていた。敵と鉢合わせれば全てが終わる、その緊張感は道程以上に心身を疲れさせる。

 沈みかけた日が一面を赤く照らす。完全に日が落ちれば本格的に隠密の神速行軍となる。何事もなく計算通りにいけば明け方前には目的地に到着するだろう。

 夜の間に距離を稼ぐ為にも状態を万全にしておきたい。


「ここで一旦休憩する」


 セラムは小声で兵に伝える。すぐに手信号によって兵達が歩みを止めた。誰もが張り詰め尖らせた神経を緩め、腰を下ろす。目的地まであと少し、これが最後の休憩となるだろう。


「ベル、フィリーネ、一緒に来い」


 セラムはメイド隊を伴って隊を離れようとする。呼ばれなかったバッカスがセラムを止める。


「タイショー、どちらへ?」


「厠だ。覗くなよ」


 そう言われてはバッカスも引き下がるしかない。彼は粗野だが紳士なのだ。

 セラムは兵達が草に隠れて見えなくなるまで離れると、よろめき半ば倒れるように膝を付く。そしてハンカチで口を覆って咳き込んだ。今迄我慢していた分、喋ったと同時に堰を切ったように肺から空気が散り漏れる。ついでとばかりに嘔吐し、落ち着くまでに数分掛かった。明らかに顔色は悪くなっていた。

 セラムはふらふらになりながらハンカチをくしゃりと手に握りこんでポケットにしまいこもうとする。その手をフィリーネが掴んだ。


「セラム様、失礼」


 セラムの手がフィリーネによって開かれる。ハンカチは赤く汚れていた。


「やっぱり」


 咳の音がおかしいと気付いていたのだ。ベルもそれを見て目を剥く。この場所でなければ確実に悲鳴じみた声を上げていた。調子が悪いとは知りつつも戦況と任務の重要性を認識していたが為にセラムを止めはしなかった。しかしここまでとは思っていなかった。

 何故黙っていたのか、怒りと心配に任せて感情的に引き返したい思いを抑え込むのにベルは相当の努力を要した。

 何かを言われる前にセラムは機先を制するように口早に捲し立てる。


「分かっているな? 僕はこの作戦に全てを賭けている。その為の準備も覚悟も完了している。止めようとするな。過保護に守ろうとするな。自分の身を守れるよう装備も整えている。大丈夫だ、この通りまだ動ける。この作戦が終わったらゆっくり休むさ」


 ベルは口を開いたが、叱り、憂い、呆れ、そのどれもが言葉にならなかった。どう言えば良いか迷い、結局一旦口を閉じて気持ちを落ち着け、一言言うに留まった。


「この作戦が終わったら何を言われても縛り付けてでも休ませます」


 セラムはおお怖いとばかりに口角を不格好に上げ、隊に戻った。どんなに心配してもやるべき事をやらせてくれるベルがありがたかった。


「さあ……」


 出発の合図を出そうとした瞬間、バッカスが空を指さした。黒い点のような物が空に見える。


 ――竜騎士だ!


 すぐさま皆伏せて草に擬態する。即席とはいえ、ギリースーツは多少なりとも効果がある筈だ。高高度から人間の肉眼で見る竜騎士では軍の配置や拠点の位置は見えるだろうが、通りすがりに草に擬態した小規模の隊に気付くかは何とも言えないところだ。


(賭けの要素が大きいな)


 分かっていた事だ。今更祈る回数が一回増えたところで何をか言わんや。兵達は(うずくま)りながら指を組みユーセティア神に祈りを捧げる。セラムはそのような不確かなものは元より信じてはいない。セラムが信仰するのは自分の強運だけだ。

 上空でワイバーンが旋回した。疑われているのかもしれない。どうかそのまま通り過ぎろ、地面を見ながら空に願う。兵達の祈りがユーセティア神に通じたのか、セラムの願いがグリムワールの気まぐれに当たったのか、竜騎士はそのまま方向を変えず南進していった。

 肉眼で見えなくなったのを確認してセラムは立ち上がる。


「よし、ここからは一気に距離を詰める。進軍!」


 敵食糧庫まであと少し――。


   ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 その暫く後、偵察から戻ってくるのを待ちかねたようにホウセンが竜騎士を出迎えた。


「――以上が報告です」


 敵陣営の配置を確認して各個撃破の算段を立てる。敵中央砦を取った事によって図らずも動きが制限されてしまったのは否めないが、事ここに於いてもやはり空偵察は有用だった。

 よし、と自軍の配置を決めるべくゲルに戻ろうとするホウセンを竜騎士が呼び止める。


「そういえば気になる事が一つ」


「何だ?」


「途中で竜が急に旋回を始めました。その地点では特に気になる所は無かったのですが、このような事は初めての事だったので、もしかしたら竜は何か違和感を感じたのかもしれません」


「何? どこら辺だ」


 ホウセンはその報告を受け、急ぎゲルの中にいる他の将軍の元へ赴く。


「チカちゃん、ユーリの旦那、ここは任せた!」


「どうしたんだい急に」


「俺は河岸の食糧庫の様子を見に行ってくる。俺の操術師隊を連れていくぜ」


「何かあったのかえ?」


「今のところは特に無い。だが気になる」


 根拠の無い不安をホウセンが口に出すのは珍しい。あまり見られない落ち着きのないホウセンの様子に、ただの勘とはいえその行動を止めるのは憚られた。


「あそこはこの軍の『烏巣(うそう)』だ。万が一でもあっちゃいけねえ」


「ウソウ?」


「あそこを取られたら負けるっつう事だよ」


 烏巣とは、三国志の時代、当時中原の二大勢力を誇った袁紹と曹操が行った天下分け目の合戦、官渡の戦いで袁紹側が食糧庫を築いた場所である。長江を渡り遠征した袁紹は度重なる曹操の輜重隊襲撃を受け、多くの食糧を烏巣に集め補給を円滑に行う一点集中型の補給構想で以てこれに対抗した。しかし部下の裏切りにより食糧庫の位置が曹操に漏れ、烏巣を襲撃された袁紹軍は飢餓に見舞われ退却、これが後の趨勢を決める決定打となったのである。

 そんな歴史の二の轍を踏まないように守備は厳重に配置したつもりだ。見込みがある将で固め、位置情報の漏洩には特に気を付けた。しかし予想以上に首尾良く中央が取れてしまったばかりに今は中央突破の陣形に傾いており、守備に割ける兵数が少ないのも事実だった。


「そうならないように様子を見に行ってくるんだ」


「ならば兵を連れていかんでも良いのか?」


「今兵力を削る訳にゃあいかねえ。だから軍隊戦では少数過ぎてあまり役立たねえ操術師を連れていくんだ。局地戦なら魔法の対応力は役立つし、俺が指揮を執れば万が一も起こさせねえ」


「お主にしては随分心配性だの」


「そうか? 俺ぁいつでも色んな心配をしてるぜ? 小心者なんだ」


「君が小心者かは兎も角、そういう事なら分かったよ。こちらは任せてくれ」


「ああ、頼んだぜユーリの旦那」


 ホウセンは早馬を走らせる。嫌な予感は止まらない。その判断は吉と出るか凶と出るか、想定外の事が起こるのが戦場の常というものだった。


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