第七十八話 敵食糧庫破壊作戦その2
「報告します。全員、隠れ身の装衣を着装完了しました」
「うん」
ベルの言葉にセラムが頷く。その背後では草が編み込まれた縄梯子で作った即席ギリースーツを着込んだ兵達が緊張した面持ちで命令を待っている。落ち着かない様子で装備品を点検している者もいる。
「状況ですが、主にレオン様とジョージ様が陽動部隊となって敵を引き付けてくださるそうです。敵から目を逸らす為にこちらの方面には軍を展開させていません。見つかれば孤立無援の状態となります」
「ああ」
「それと気になる情報が一つ。どうやらモール王国残党軍を名乗る一団が目的地付近で見られているようです」
ベルの眉が微妙に険しいものになる。
「どうやらこの戦場での開戦当初に友軍として参加したいとリーンハルト銀翼公の下に打診があったそうです。ただ、残党軍と名乗ってはいるものの、野党集団と大差無い内情である事を見抜かれてか、その場で断ったそうです」
「それは初耳だぞ」
そんな前の事を今この時になってか、と不機嫌を露にする。道理で戦場跡で不自然な一団がいると思った、とセラムは得心した。てっきりこの大所帯の為に各国で下っ端が小遣い稼ぎをしているものだとばかり思っていた。略奪しようがないこの戦場でのちょっとした発散行為として黙認していたのだが。
「曰く、助力は要らん、我々の邪魔をしないのならば好きにせよ、と。その情報も我々が独力で得たもので、各国に通達すらありませんでした。ゼイウン側が情報共有の要無しと判断されたのではないかと」
「ふうう、最初から全く協力体制が出来ていなかったという訳か」
せめて事後承諾でも一言欲しかったと切に思う。情報を軽んじているのか、それとも敢えて黙して握っていたのか。
「その集団ですが、確かに野党と大差無い実態のようです。一応、王族のご落胤を担ぎ上げ正規軍と名乗っているようですが、実際は敗残兵が寄り集まっているようなものらしく、この戦場に来ている部隊も戦場漁り程度しかやっていないようです」
「早い話が食い詰め者が銭稼ぎに来ただけか」
戦場漁りとはつまり、戦闘が終わった後に死体から武具を剥ぎ取ったり、はぐれた敗残兵を襲ったりして金目の物を奪う、戦場の腐食動物行為をしているのだ。
「積極的に戦闘に参加する様子は無いので杞憂かと思われますが、一応お耳に入れておこうかと」
「分かった、ありがとう」
グラーフ王国と敵対している以上邪魔はしてこないだろうが、結果的に邪魔になる可能性もある。セラムは気に留めておく事にして、一旦全てを忘れて作戦に集中する。目的は敵糧秣の焼却及び拠点の破壊。溜め込んでいる糧秣を失えば敵の戦力は著しく低下する筈だ。
「皮肉なものだな。中央砦を失陥した今だからこそ敵の出方が分かりやすくなり、戦場をコントロール出来るようになっている。そしてこの北経路が軽視されて見つかる可能性が低くなっている」
セラムは改めて後ろを見渡す。バッカス、ベル、フィリーネ、初期からセラム隊に配属されている古参兵、志願してくれた三国の兵達。全員、この戦いで死ぬ覚悟がある決死隊だ。
「……いくぞみんな、目指すは敵食糧庫。みんなの奮戦にこの決戦の……三国の命運が掛かっている!」
皆大きな声は出さない。しかし内に秘めた闘志が昂っていた。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
マレーラ大平原北端の河沿い、グラーフ王国軍が展開する西側の奥地にその拠点はあった。大河を下って来る船を迎える為に作られたその拠点には、その重要度の割に防備が薄い。
その理由は二つある。一つは単純にそこに軍を展開させる程の数的余裕が無かった事。幾ら史上稀に見る大軍を用意したとはいえ、マレーラ大平原という戦場は想像を遥かに上回る広大さであった。小国が一つ丸ごと入る程の、しかも自由に駆け回れる平地が広がっているのである。縦深を取って薄く広く展開するのは現実的ではなかった。
もう一つは、大軍を集めて目立ちたくなかったからである。この拠点は補給物資を受け取り集積する重要拠点。出来るだけその位置は秘匿しておきたかった。都合の良い事に、平原といえど水辺である為この辺りの草は高く、少々の建物は隠せる事が出来た。そこで拠点そのものには中規模の守備軍を置き、その周辺には意図的に軍を徒に展開させないよう計らっていた。
「あー、暇」
船を誘導する兵達を見下ろしながら、塀に腰掛けてロスティスラフがぼやく。中央砦を陥とす活躍を見せた彼だが、その後この拠点の防衛任務を任される事となった。
「暇なら手伝えよ。ほら、丁度船が来たから荷受けに忙しくなるぞ」
オットーが呆けている戦友を説教する。ここには開戦当初の威力偵察で先駆けを務めたオットーとブレージが先に防衛任務に就いていた。そこに最近ロスティスラフが加わった形である。
「俺はそういう細かい仕事にゃ向いてねえの」
「品管理じゃなくとも荷運びだってあるだろうが」
「っんで俺がそんな事をしなくちゃなんねえのよ。敵の砦を陥としたっつうのに、これじゃあ左遷だろうが。緒戦でヘマしたおまえや怪我したブレージはともかくよ」
「喧嘩なら買うぞこの野郎」
二人の間に火花が散る。付き合いの長い二人にとってはよくあるじゃれ合い程度のものだが。
「今日も仲良く喧嘩しているようで何より」
そこにブレージが船から降ろされた荷物を運びながら近寄ってきた。
「おうブレージ。肩の怪我はもういいのかよ」
「問題ない。もうこの通り復調した」
ブレージは荷を地面に降ろして肩を回す。言う通り、レオン相手に負った怪我は快復したようだ。
「そんな事より将軍が我らをここに集めた理由を少しは考えたらどうだ」
「ああ? 嫌がらせじゃねえの?」
「あり得る……あのホウセン将軍なら」
ロスティスラフの適当な放言に対してオットーが同意を示す。が、すぐ後に真面目な口調に戻った。
「冗談は兎も角として、ここが重要拠点だからでしょう。糧秣を集積しているのだから勿論なのだけれど、ロスまでここに飛ばされたという事は私達の予想以上に重要なのだと」
「その通りだ。当初はオットー殿だけでも良かったのかもしれん。そこに怪我の療養という名目で俺まで来た時点でそれは想像出来ていた。元々俺は怪我が治るまで後方勤務だろうと思っていたからそのついでだったのかもとも思っていたのだが、ここに来て戦線に戻す訳でもなく更に部隊を増やした。これが何を意味するか」
ロスティスラフは「わっかんね」と草を毟って暇を持て余しているが、察しの良いオットーなどは緊張感を持った面持ちで頷く。
「ここから来る補給船以外の補給路は当てにならないという事ですか」
「そうなのだろう。そしてそろそろ相手もここに気付く可能性があると将軍はみていると思われる」
「つまりなんだ、俺達やべえっていう話なのか?」
ざっくりとロスティスラフが補足する。大規模侵攻に備えての防備増強なのだと捉えたのだ。
「実際、もしここが奪取されたら軍の崩壊すら有り得るかもね。ただ、今は中央砦に戦力が集中しているし、大軍でここに押し寄せて来るという事はないだろう」
とはいえ、と続く言葉をオットーは呑み込んだ。今弱気な言葉を口にしても仕様が無い。
「我々は必ずここを守り抜く、それだけだ」
「結局それまで暇ってわけかあ。どうせなら早く来てくんねえかな」
「敵を望むな。不謹慎だぞ」
大量の補給物資に沸き立つ河際の簡易港を見下ろしながら三人の将はそれぞれに思いを馳せた。




