第七十四話 王手
「零!」
戦場が一斉に動き出す。その中で、セラムとその周りだけが動き出す時間に置き去りにされていた。
「あっちゃ~、よりによってセラムはんか。この広い戦場でまさか遭うてまうとはなあ」
その影、カゴメはバツが悪そうに頭を掻く。
「カゴメさん、どうして」
「どうして? どうもこうもあるかい。ウチは傭兵、戦うのが仕事や。旅の途中とはいえ、通り道で戦争があったら路銀稼ぐんは自然な事やろ」
カゴメはまるで久しぶりに会った友人を飯に誘うような気軽さで今の状況を説明する。刀を無造作に握るその姿は、かつての如くやはり隙が無い。
「あー、遭うてもうたもんはしゃあないわなあ。ここらで潮時かなあ。路銀も稼げたし、なんや思たより戦争も長引いとるしな」
「じゃあ……!」
「勘違いすんなや。ウチは傭兵。信用っちゅうんは大事なんや。辞めるにしたって円満にや。ここでの仕事……あんたらの足止めはきちんとやる」
「閣下、ここは我々が」
「手を出すな」
セラムが部下を止める。彼らには悪いが、とても敵う相手ではない。それよりもセラムは今の話で気になった事があった。
「彼女とは知己の間柄だ。僕の事は大丈夫。それよりも五人程先行し手分けして本隊にバッカス隊と連携して敵を叩くよう伝えてきてくれ。僕はバッカス隊に合流しているとも」
「……はっ」
「残りは周囲を警戒、目の前以外の敵を通すな」
「はっ!」
カゴメは伝令役を請け負った五人に反応する事無く素通りさせる。
「追わないんですね」
「セラムはん一人を足止め出来れば上出来やろ」
やはり、とセラムは内心安堵する。他の傭兵連中は、将の首を獲れば報酬がたんまり出ると息巻いていた。にも拘わらず今カゴメは足止めと言った。カゴメだけが報酬の件を聞き逃しているという事は考えにくい。つまりカゴメはセラムを殺すつもりは無い、もしくは殺したくないのだ。
「おいおい、ウチがまるでやる気ないみたいやんけ。心外やわあ、そんな不真面目に見えるかね?」
「いいえぇ。真面目過ぎて生き苦しくなってるんじゃないかと心配なくらいですよ」
セラムが指揮刀を抜き構える。一緒に魔物討伐に行ったカゴメならばその時扱っていた短剣ではなく、体に不釣り合いな指揮刀を抜いた意味に気付くだろう。
何となくカゴメも安堵した……ように見えた。
「握りが悪いわ。剣を構える時は小指から順に指を折り込んでいく。人差し指に向かう毎に柔らかく、そして親指で柄の背を支えるようにぐっと固定する。……そうや」
「達人にご教授頂けるとは光栄ですね」
「はっならこれも受けきってみい!」
カゴメが踏み込む。セラムもまたそれに応えるかのように間合いを詰める。左袈裟に振り下ろした素人丸出しのその一撃は、派手な金属音と共にカゴメの刀によってしっかと受け止められた。
「セラムはんの場合、筋云々よりもまず危機感っちゅうもんが足りん!」
「そういうカゴメさんは秘剣ラプラスをどうやって編み出したんです……か!」
お互い鍔迫り合いのまま顔を近づける。先の瞬間焦って間に入ろうとしたセラムの部下達も、この鍔迫り合いがどういう意味合いを持つかを察して周囲の警戒に戻った。つまりは形だけの一騎打ちなのだ。あまり不自然に見えない程度にじゃれ合っているだけなのだと。
「うちの場合は才能とか、努力やあらへん。ただ生きたいっちゅう本能や。見苦しかろうがただただ生き残りたい、その本能が敵の動きを見極める目ぇを作った」
一旦跳ね上げられた指揮刀は、次の斬撃を受け止められる事によって再び動きを止めた。
「セラムはんには何が何でも生きたいっちゅう欲が足りへん。あんた、いつでも死んでいい思とるやろ」
「そんな事は……」
「そりゃ死にたい訳ではないやろ。けど理由があればまず自分の命から秤に乗せるんや、あんたは」
思い当たる節が無い訳でもなかった。誰かの命を賭けねばならぬ事態になった時、セラムはまず自分の命を張る選択を考える。自分の命だけでは釣り合わない事態の時には自分の命も共に賭ける。自分だけ安全圏で、などとは微塵も考えた事が無い。それはある種の引け目や生き方の類いがそうさせているのだと思っていたが。
「あんたは命の扱いが軽い。事に自分の命となると鳥の羽並みにな。せやから命のやり取りに気迫が持てへん」
「それは違う!」
セラムは叫んだ。魂から絞り出した。
彼女は知らないのだ。セラムの今迄の生を。心を凍結させた最愛の人の死を。感情を闇に沈めた愛念深き人の死を。
「……沙耶。ヴィレムさん……ッ」
セラムは心の中の憎悪が再燃し、煮えたぎった感情のマグマが溢れ出ないように歯を食いしばった。
「僕にも有った。有ったんですよ! 絶対に守りたい人が! 捨てられない命が!」
セラムは今の状況も、戦いの芝居も忘れてカゴメに斬りかかった。何度も、何度も刀を振る。振るう度にセラムの目から雫が降り落ちる。
「足掻いて! それでも」
セラムの上段切りが激しい金属音と共に受け止められる。
「僕の手から零れ落ちていく……!」
「セラムはん……」
カゴメはセラムの斬撃を全て受け止め、目を細めた。
「あんたは他人の為に命を張れる人間なんやな。それならいつか出来るかもしれん。絶対にここで死にたくないと思う瞬間が」
不意にカゴメは刀を払って横に向き直り誰も居ない空間を斬った。小さく鋭い金属音と共にボウガンの矢が地面に突き刺さる。カゴメの刀が飛来した矢を切り払ったのだ。
「ちっ」
離れた場所でグラーフ王国兵が舌打ちしていた。セラムに気付いた敵がカゴメ諸共射抜かんとしていたのだ。
「あの敵を逃がすな!」
セラムの命で護衛を務めていた騎馬隊が敵を追いかける。いつの間にか戦場の様相が変化しており、本隊が近づいていた。
「ここまでやな。あーあ、さっきので帰るに帰れんくなってもうた」
自分の命を守る為に防御したとも取れるが、グラーフ王国の兵士は折角の敵将を討てる機会を邪魔したとしてカゴメを目の敵にするだろう。報酬を支払われるか怪しいどころか、下手をすれば命まで取られかねない。
「ウチはどさくさに紛れて姿を眩ますわ。もうちょい稼ぎたかったけど、まあこの広い戦場でセラムはんに会うた時点で引き際やろ」
「カゴメさん!」
「ん?」
もう会えないかもしれない。振り向くカゴメに何か声を掛けねばと呼び止めたはいいが、「また会えますか?」と問いかけるのは違う気がした。そもそも敵として遭うか味方として会うかすら分からない。少し逡巡した後掛けた言葉は、二人の間柄に最適なものだったとセラムは思う。
「また今度剣の稽古をつけてください」
カゴメはその言葉に失笑し、それ以降振り返る事は無かった。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
一方その頃、中央に築かれた砦では敵の襲撃に備え慌ただしく迎撃の準備を整えていた。主将はライモンド・フュプナー中佐。まだ三十歳と年若いがヴァイス王国の伯爵であり、大貴族故に一軍を任されたというだけの、名ばかりの中佐である。
貴族制を採用している国家特有の病巣というべきか、貴族がいなければ兵士が集まらない。大きい軍勢を持つ貴族程、軍の中での地位も高くなるのは仕方がない部分もあった。
「セラム少将から早馬が来ました! 援軍が急行中、南の軍との挟撃を以て敵軍を撃退せよとの事です!」
「そうか! それで南の軍はどうだ?」
どうだ、という問いかけもあまりに曖昧で、情報を持たない兵士が困っていると、その空気を払うようにもう一人の兵士が一報を持って室内に転がり込んできた。
「南軍大将のピエル・ステッカ少佐からの返答を持ってまいりました!」
「どうだった!?」
「読み上げます! ……我が軍は、正面に敵軍が布陣し……これを迎撃する為動けず。先方への援軍は……見送らざるを得ない……っ」
「ピエルぅぅぅぅ!!」
恨みを込めた絶叫が室内に響き渡った。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「良いのですか? セラム少将からも要請があったものですが」
ピエルの部下が問う。
「正面の敵の動向が気になるのは嘘ではない。それに横にいるのはゼイウン公国軍だぞ。こちらの兵力を減らしたらその隙に何をされるか分かったものじゃない。それに……」
ピエルはライモンドと同じく伯爵位を持つ貴族である。領地も近く、何かといがみ合いが多い間柄であった。
ピエルは周りを見渡し、自らの信頼の置ける部下だけしか居ない事を確認すると、声を潜めて言う。
「この戦いであの若造が戦死してくれれば良し。そうでなくても砦を失陥したとなれば、その責任を追及して立場を失墜させれば良い。これぞ政治よ」
ピエルはそう昏く笑った。
この戦いで、戦力を誘導され薄くなった中央砦は、カルロ達諸将の善戦虚しく挟撃ならずグラーフ王国軍の手に落ちた。ライモンド中佐は戦死、連合国軍は喉元に剣を突きつけられた状態になったのである。




