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少女と戦争  作者: 長月あきの
第三章
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第七十二話 絢爛なる華は毒を持ち

 ここには何も無い。有るのは血と鉄と自分達で掘った穴ぼこだけだ。ここが自分の住処であるかのように風が自由気ままに吹き抜けてゆく。


「見ろ、またあいつだ」


 ワルターが塹壕の中から空を指さし吐き捨てる。その指の先でワイバーンが悠々と上空を通り過ぎていこうとしていた。


「糞! あいつ射抜いてやる、貸せ!」


 ワルターは隣の弓手から弓矢をふんだくると遥か上空のワイバーンへ向けて弦を引き絞る。


「貴様あ! 誰がそんな命令をした!」


 しかし小隊の指揮官に殴り飛ばされその矢が放たれる事はなかった。


「矢の無駄はやめろと言った筈だ!」


 顎を押さえるワルターに叱責と唾が降り注ぐ。その様子を少し離れた所からダニエレが心配そうに覗いていた。


「大丈夫かなあワルター君」


「お知り合いなんですか?」


 同じ工兵の部隊である二コラが顔を覗き込む。塹壕に隠れて尚見上げるような格好になるのは、彼が少年兵だからだ。まだ十三歳の二コラは、どちらかといえば背が低い方のダニエレよりも更に頭一つ分小さい。


「ああ、彼はゼイウン公国への援軍の時から同じ部隊だった人でね」


「ダニエレさんはセラム少将の隊の中でも古参だと聞きます。何でもあの伝説のメルベルク砦攻略戦にも参加されたとか!」


 堅固かつ五倍近くの兵が詰めるメルベルク砦を二日足らずで攻略したあの一戦は、良くも悪くも伝説となり、その現場を知らぬ兵達の語り草となっていた。当時まだ軍隊入りしたばかりの二コラには、セラムやその隊の古参兵が英雄に見えるのだろう。


「ああ、でもあまり良い事ばかりでもないよ。特にあの戦いで戦友を亡くしてからあそこのワルター君は少しばかり不安定になっていてね。……いつも三人で組んでいたからね」


「あ…………」


 落ち着いて見えるダニエレもこの時ばかりは少し表情に影が差した。三人で組んでいた、その意味を察したのだろう。夢を見ているような眼差しの少年兵に話すような事ではないと理解しつつも、余りに戦争の華々しい所ばかり見ている二コラに釘を刺しておくべきだと思った。


「すまないな。こんな事をあまり君に話すべきではないかもしれないが。……君は何故その歳で軍に入ろうなんて思ったんだい?」


「じ、実は僕、セラム少将と同じ歳なんです」


「うん?」


「それで、そんな人が軍の少将で。……もちろん、身分が違うっていうのは分かってるんですけど。それでも周りの大人に埋もれる事無く活躍してるのが凄いなあって……。憧れてるんです、セラム少将に」


「そっかあ。それはまあ、分かる。あの人は本当に凄い人だよ」


「そうですよね! 戦場での活躍とか、色んな発明品とか、音楽会の時も! いつも信じられないような事ばかり成し遂げて、それでいて気取る事もなくって。あの颯爽と歩くお姿をたまに拝見するたびにまるで神に使わされた天使のような……」


「二コラ君、少将は人間だよ」


 二コラの言葉を遮るようにダニエレが口を挟んだ。まるで誰かに言わされたような、無意識に突き動かされたような強い言葉だった。

 言ってから疑問に思う。少将は本当に人間だろうかと。いや、我々と同じ人間の範疇に入れてしまっても良い人物なのだろうかと。

 戦場で兵を鼓舞する姿を見る度、戦傷者の慰問で病院に足を運んだと聞く度に、彼女は神のご加護を一身に受けた特別な存在なのではないかと思った。

 戦場で敵を鏖殺せよと命を受ける度、返り血に染まった笑い顔を見る度に彼女は悪魔の申し子なのではないかと思った。


「人間だから正しい行いをする。国が軽々しく諳んじる正義などという言葉ではなく、人として善き事を行う。でも人間だから間違いも犯す。普通なら大罪となる事だってやる。それは美化しちゃいけない」


 ダニエレは自分に言い聞かせるように言の葉を紡ぐ。かつて自分は間違えかけた。彼女は特別なのだと、そう思っていた過去の自分が目の前にいる。


「少将だって人間なんだ。僕らと同じ」


 その言葉を二コラはどう受け止めただろう。自分の思いが伝えられただろうか、それも分からない。もしかしたら今は彼の心に何も響かないかもしれない。それでも将来、彼の盲目が晴らせたらと祈る。

 二コラは何も言わなかった。子供なりにダニエレの言葉を咀嚼しているのだろう。考え込むように俯いていた。

 言い過ぎたかもしれない、ダニエレは話題を変えようと周囲を見渡した。ワイバーンはとっくに過ぎ去っていた。


「竜騎士が飛んで行ったという事はまた移動になるぞ。命令があるまで少しでも休んでおこう」


「はい」


 戦力の厚い所から薄い所へ。今迄何度もそうやって敵の侵攻を防いできた。今回もまたそうなのだろう。ダニエレは工兵の兜を深く被って日差しを遮り目を瞑った。


   ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


「また来たか」


 セラムは上空を悠々と飛ぶ竜騎士を苦々しく眺め吐き捨てた。同時に現時点での隊の配置図を頭に思い浮かべ頭中で戦局を動かす。


「移動の準備をさせろ」


「はっ、今度はどちらへ」


「もう少し北に布陣する。上の奴が完全に見えなくなったら移動するぞ」


 カルロにそう伝えてセラムは手で口元を隠す。不安を悟られない為だ。


(全てが後手に回っている……。竜騎士が飛んでくる度に兵達が消耗していく。移動、その後に戦闘、その繰り返しで体力も精神力も擦り減っているんだ。この戦術は間違っていたのか? ……いや、だがこうでもしないと僕らは間違いなく防衛線を破られていた。元よりこの戦場全体をカバー出来る程の兵数も無いんだ。その為の塹壕線だったんだが)


 塹壕は計画通りマレーラ大平原の北端、河まで築く事が出来た。更に二重、三重にして縦深を深めていけば北から中央にかけてはまず破られないだろう。不安材料は中央のヴァイス王国軍と南部のゼイウン公国軍の境。結局、塹壕を南まで進め平原を縦断する作戦は難航していた。今回の件でセラムが提唱した流動戦術が受け入れられなかった事で、ヴァイス側とゼイウン側の戦術思考が決定的に異なるのが露呈してしまった。ゼイウン公国の将達はもうセラム独自の戦術を受け入れる事はまず無いだろう。

 今迄は何とか防いできたが、このままずっと防ぎきれるかは不安が拭い切れなかった。


(それに敵がどうにも元気すぎる。そろそろ敵の食糧事情が厳しくなってくる頃合いの筈だ。リーンハルト総司令からは補給線の分断は順調だと伺っている。空元気か、誤魔化しだったら良いのだが)


「夜ごとの歌の効果が出てきましたね」


 考え込んでいたセラムにカルロが話しかける。人の邪魔をするような気の利かない男ではない。セラムから暗い雰囲気が滲み出ていたのだろう。一般兵に気取られ、不安が伝播するような事があれば士気に係わる。そういうものは何かの切欠で決定的な趨勢を呼び込んでしまうものだ。

 そんなに難しい顔をしていたか、とセラムが反省し、カルロの話に乗る。


「ちょっと思い出して使えないかと考えた程度のものだったのだがな」


「それぞれの故郷の歌を歌い敵に届ける。実に少将らしい作戦です。敵の前面に出ていた戦奴達は元はといえば各国の民ですからね。夜の感傷に浸りやすい時間に故郷の歌を聞けば嫌でも我々の国の民なのだと思い返します」


「望郷の歌、か」


 セラムだからこそ思い至る作戦だったのかもしれない。かつて日本で聞いた歌を口ずさんでは懐かしみ、その想いのあまり此方の世界でも似たような楽曲を作ってしまった身としては当然の発想とも言える。それに「四面楚歌」の故事を思い出して実行に移したのだ。

 四面楚歌。中国は楚の国の項羽の最後を飾る故事だ。漢を打ち立てんとする劉邦の軍に敗れ敗残兵となった項羽だが、戦争の天才ともいえる項羽はそれでも強かった。劉邦軍の将軍韓信は、八百余りとなった項羽軍の四方を囲みそれでも尚油断も無理攻めもせず、項羽軍の故国、楚の歌を部下の兵士達に歌わせた。これによって項羽軍の兵達は戦意を失い、包囲されている事を悟った項羽も死の覚悟を決めたという。


「実際、戦奴達を入れ替えさせずにはおれなかったようで、別方面から来た戦奴も数が少ない。まだ元気なグラーフ軍の正規軍が前線に出張っています」


どうやらカルロにはセラムの懸念もお見通しのようだ。これにはセラムも苦笑し、心の中で礼を言った。


「そうだな。……本当にそれだけならば良いのだが」


 それでも小声で呟かずにはいられない。戦場に立つといつも思う。何か見落としは無いか、思い込みは無いか、勘違いはないかと。


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