第六十九話 戦局その2
「少し嬢ちゃんらしくなかったんじゃないか?」
グリエルモにそう問われ、セラムは一瞬何の事か分からなかった。が、先程の兵士への態度を咎められているのだと悟り、彼に一切興味を持たなかった事を恥じ入る。
「指揮官の嬢ちゃんが部下の前で深刻な顔をしておると士気に係わる。もっと余裕を演出せんとな」
「仰る通りです」
セラムは自分の頭を小突き、その拳に重みを預ける。
「まあ頭の痛い事案ばかりなのは何となく分かるがの。さっきのだって内容の印象よりも深刻な問題じゃろう」
たかだか飯の量や質が少々違っただけ、と言えば簡単に聞こえるが、こんな死と隣り合わせで女っ気も娯楽も無い非日常でひたすらに命令に従うという酷遇が続いている状況なのだ。しかも全員が全員、それが仕事と割り切れる程に訓練を積んだ者ばかりではない。ここは戦場、娯楽と言えば唯一飯の時間位なものなのだ。
「その飯でのトラブルか。二国間で同じ飯というのは無理があるし、内政干渉と取られかねん。しかもウチは事務職には量が少ない代わりになるべく甘味を付けてたりしてるしな」
「実は不思議に思っとったんじゃが」
グリエルモはそう切り出すと、少し言葉を選ぶように逡巡した後、口を開く。
「前線で戦う兵士が一番良い物を食うのは当然じゃ。肉体労働者に比べ事務職の飯の量が少ないのも分かる。じゃが何故その代わりに甘い物なんじゃ? 正直、この国にそこまで余裕がある訳でもないじゃろう?」
「その事ですか」
グリエルモは直接的には言わなかったが、真意は少し違うだろう。今日死ぬかもしれない兵士には他よりも良い食事を出し士気を高める。また、肉体労働が多い兵士には兎に角腹持ちする物を沢山食べさせる。しかし紙に字を書く事が主な仕事の奴らにそんな上等な食事はいらんだろうという旧世代の考え方から抜け出せていないのだ。いや、今世代の人間も殆どはその価値観を共有している。それに異を唱えたのは他ならぬセラムだ。
「確かに体を動かす事が少ないと飯の量自体はそこまで必要ではありません。しかし頭脳労働というのは存外栄養を使うのです。そして脳の補給に有用なのは糖分が一番です。無ければ炭水化物……米や芋なんかで代用しますが、味が甘いというのは頭脳労働者が疲れを感じやすい精神にも有効な回復手段なんですよ」
「昔は食えれば何でも良いというのが通念じゃったがの。その栄養という概念も儂ら古きもんには馴染みがないもんじゃからのう」
自身のこめかみを突きながら説明するセラムに「すっかり老人になった」と感慨深げなグリエルモ。
「というか甘いもんなら酒でええじゃないか」
「酒じゃあ逆に脳の働きを弱めちゃうんですよ。どの道貴重ですしね」
「そういうもんか」
栄養学という学問はまだこの世界には無い。セラムが主導で医療現場を中心に少しずつ広めてはいるものの、まだまだ国民どころか、政治を行う行政での自覚すら希薄だ。「食えれば良い」から「何を食うか」への意識変化がセラムの目標の一つだ。
「となると問題は飯に対する意識の差が問題なんじゃろうな。飯の盛りではなく、中身が違っている事がいちゃもんの原因になっているんじゃろう」
「頭が痛いな……」
セラムは拳で頭を支えたまま机上の駒を眺める。そこには大量の軍を表す軍棋の駒が並べられている。
「もう一度やってみるか?」
グリエルモが指したのは軍棋の駒が乱立するマレーラ大平原の地形を描いた地図だ。今まさにグリエルモ側の勝利が決定的になったところだ。問題なのはそれがグラーフ王国軍を仮定した駒だという事だ。
「お願いします。次は交代で」
交代といったのは先攻後攻の事を指している訳ではない。今セラムとグリエルモは実際の戦場を模した戦棋盤で、連合国軍とグラーフ王国軍をどう動かすか、それぞれの立場で打ってみせているのだ。
先程まではグリエルモがグラーフ王国軍側を演じ、結果セラム率いる連合国側が僅差で破られた。単純な棋力の差もあるが、こういう手もあるのだと気付かされる棋譜だった。
尚、実際の戦場を再現する為に少し駒の規定を変えてある。香車と同様に動く槍兵は前方に無制限に動けるのではなく前方に三歩動ける。盤上には食糧庫という概念を導入し、予め決めておいた位置に敵駒が入ると戦場に設定した食糧庫の数の倍数分の一の割合だけ駒が減る、つまり連合国側だと食糧庫が三つあるので、敵がそこに入れば自軍の駒が六分の一減らされる。尚、食糧庫の位置は一回毎に変更し相手からは分からないが、自分が決めた位置に敵が入った時点で食料が焼かれたと申告する。グラーフ王国軍の食糧庫は実際にも判明していない為、数の設定は自由。一手は交互に行わず同時に駒を動かす。駒数と兵種は実数に即して配置し、本来の戦棋の規定の制限に縛られない等々。
「改めて思えば槍兵の駒って実際の槍兵では考えられない程に強いですよねえ」
セラムが駒を並べながら雑談を振る。グリエルモはその他愛もない話に嬉しそうに返す。
「昔の戦棋では槍兵はこの規定と同じ、動ける枡は三歩だったんじゃ。しかし長槍が出来てから、それを用いた密集隊形が実戦で猛威を振るってのう。その時に規定も変わった。今ではまた戦術も進歩しとるし、槍兵にそこまでの脅威を感じる事は無いだろうが、ま、その名残じゃな。それでも槍が強い事には変わりはないが」
セラムは自身の歴史の知識と突き合わせて得心がいった。謂わばパイク兵によるファランクスや尾張兵の三間槍のような戦術的なブレイクスルーが起こった影響で槍兵は強力なものという概念が固定されたのだ。そしてそれに対抗する戦術が開発された事によって今では違和感を感じる強駒となったのだろう。
「さてここに竜騎を置いて……と」
グリエルモが竜騎の駒を盤上に置く。実際の戦場ではノワール共和国軍の魔法騎馬兵に相当する。
「竜騎といえば、僕は今迄竜騎士を指す駒だと思ってましたよ。違ったんですね」
セラムにとってはゲームのグリムワールにも登場した兵科だったのであまり違和感なく受け入れていたのだが、この世界の実情では竜騎士など普通は見た事も無いだろう。グラーフ王国には竜騎士隊が存在するという話は聞くが、実数は三十にも満たない部隊らしい。翼竜をどこからか調達し飼い慣らすという無謀の産物の為補充すら出来ない部隊なのだそうだ。それが戦棋の駒というのは違和感を感じていたのだが、つい最近それが間違いだと気付き赤面した覚えがある。
「この駒は正式には竜騎兵じゃ。これも昔の話じゃが、騎乗中に飛び道具を扱う兵種をそう言ったんじゃ。投げ槍を使う騎兵や弓騎兵等、これらはそうそう訓練出来るものでもなかった。畏敬の念を込めて『竜』の字を使ったんじゃな。尤もそれも鐙が無かった時代の話じゃが。ま、今でも難しい事には変わりない。正直、先の戦いで騎乗しながら魔法を使った部隊があると聞いて仰天したぞい」
竜騎兵というと、伊達政宗の鉄砲騎馬隊がそう呼ばれていた事を思い出す。それに近い発想なのだろう。
その中でも魔法騎馬隊といえば、確かにセラムもそれが出来るなら作戦の幅も広がると空想を描いた話だ。だが事前にジョージが馬に乗りながら魔法を使うには訓練が足りなかったと言っていた。先の戦いでやってみせたのはかなり条件付きのものだったのだろう。例えば十分な集中が確保出来る状態だとか、魔法騎馬隊の中でも精鋭中の精鋭のみだとか、普通の作戦に組み込むには難しいものだと思われる。あまり期待しすぎるのも良くないだろう。
「さて、では」
セラムがグラーフ王国軍側になって駒を動かす。この時、セラムは「もしホウセンならこう動かす」という思考で対局した。敵側の立場になる事で先入観を失くし戦局の見落としに気付くのだ。参謀部で作戦を立てる時にはよく使われる手法でもある。特にホウセンの事をよく知っているセラムならばその効果は抜群であると期待したのだ。問題はセラム自身がホウセンの思考に追い付けるかという事である。
盤面も中盤に差し掛かったところで、外の兵士が俄かに騒ぎ出した。
「何だ?」
セラムとグリエルモが思考模擬戦を中断し外に出ようとすると、明らかに慌てた様子の警備兵がテントの中に転がり込んできた。
「少将閣下、出てはなりません! 竜が、竜が空に!」
「何!?」
突如テントの中からも分かる何かの噴射音と今迄聞いた事の無いような羽ばたきの暴音、そして暴風がテントを叩いた。




