第六十六話 大物見の成果
「んでぇ? やられっぱなしでのこのこ帰ってきたわけだあ」
ホウセンはにやけ顔で部下達に嫌味な言葉を投げつける。
「や、やられっぱなしでは……ありません。あと一歩でした」
バツが悪そうにブレージが反論する。六将軍のユーリ、チカ、ホウセンを前に、ブレージ、オットー、ロスティスラフは敗戦の報告をせねばならなかった。元々勝つ事が目的の戦いではなかったとはいえ、グラーフ王国の将として大軍を動かすからには当然それなりの成果が求められるという自覚はある。
「おいおいおい無理すんなヨ。馬を失って右肩も痛めたんだろ? その上必勝の戦術も見事に相手副官に抑えられちまって」
「容赦ないねえうちの軍師殿は」
「こういう時いっきいきしとるのあやつは。まったく性格の悪い奴だ」
生き生きと嫌味を言うホウセンの後ろでユーリとチカの二人がホウセンに呆れている。耳打ちのような動きを取っているが、その声量は明らかにホウセンに聞かれる事を恐れてはいない。尤もホウセンもホウセンで聞こえていても何食わぬ顔で無視する肝っ玉の持ち主だが。
「んでぇ、いっちばん被害が大きかったのはオットーだ。おめでとう」
「ああいや、……面目ありません」
オットーは最早何を言っても言い訳になると観念して項垂れた。脇の二人が気落ちしたにも関わらず未だふんぞり返っているロスティスラフの胆は大したものではある。尤もそんなものホウセンの前には何の意味も無いが。
「ほほう、いやてっきり中央軍んとこが一番消耗したんじゃないかと思ってたんですがね」
「ロスぅ、おめでとう。お前んとこが一番被害が少ないぞ。敵のな」
「ま~じですかい!? あんだけ頑張って敵の陣も突破したんですぜ!?」
ロスの驚嘆にホウセンも満足いったように頷く。
「こっちの被害の割にゃあ敵の損害は少ねえ。軽微っつうか、殆ど被害無しっつってもいいくらいだ。それだけ堅固な陣だったっつうこったな」
その言葉に流石のロスティスラフも肩が落ちる。三人を思うさまへこませたところで、ホウセンは一転真面目な顔に戻って言葉を続けた。
「あの陣の基本的な破り方はロスがやった通りだ。だがそれ相応の被害を覚悟しなきゃならねえ。出来れば避けたいところだな。それが分かったのが十分な収穫だ」
ホウセンはロスティスラフの肩を軽く叩きブレージに向き直る。
「よくあのつええゼイウン軍を互角に戦ってみせた。これで俺ら将軍格じゃなくても十分に奴らと戦えるっつう事が証明された。お前にはまだまだ働いてもらうぜ。……が、まずはその怪我の療養が先だな。暫く前線を退いて怪我の完治に専念しろ」
最後にオットーの肩を掴み力強く発する。
「おめえの持ち帰った情報が一番有意義だ。ノワールの奴らの魔法はハマるとやべえ。けれど守りはからっきしだ。一番放ってはおけん戦力だが、一番脆い。奴らの魔法の集中に要する時間から射程にその範囲、威力まで纏めたお前の情報は必ず役立たせる。よくやった」
三人の視線がホウセンに熱く注がれる。
「「「将軍!!!」」」
抱き着こうとするロスティスラフの腕を掻い潜りホウセンがしっしと手を払う。
「やめろやめろ野郎なんぞにモテても嬉しかねえ。はい解散」
「「「はっ」」」
三人はしっかと敬礼して退出する。その様子をチカとユーリは微笑ましく、或いはにやにやしながら見守っていた。
「んだよ?」
「なに、お主も上に立つもんとしての心構えが出来てきたのかと思うての」
「いや良い人心掌握だったよ」
「っせーな」
照れながらホウセンは後ろ頭を掻く。元々傭兵時代は一兵士として戦ってきたホウセンではあるが、戦友ならば兎も角部下を持った事はこの世界に来るまで無かった。それでもそれなりに率いてみせてはいたのだが、大部隊を率いる将の、更に上に立つ者としての責任に重荷を密かに感じていた事を、この二人には見破られていたのだろう。人の上に立つ者としての先輩である二人に心の中で敬意を払い、それでも素直には礼を言えないホウセンであった。
「さて、そうなるとどこから攻めるかだが」
ユーリの言葉に我に返り、ホウセンは戦局図に視線を落とす。
「ノワールは今の内に叩いておきてえ」
「だろうとは思うたが、奴らもそれを一番警戒しておるだろうの」
「逆にこっちが警戒すべきはゼイウン軍の動向だろうね。彼らなら攻勢に出かねない上にそれが十分出来る戦力を有している。他方、放っておいて良いのはヴァイス軍かな」
「確かに奴らは亀のように守って、打って出ては来ないだろうな。けどあの塹壕は平原を縦断するまで広げられたら厄介だ」
「そこまでやるかね」
「やる。つーかそれが奴らの防衛の最終形だ。何重にも縦断、穴で補給線や移動線も繋がった土竜状態」
まるでライン戦線だ、とホウセンはぼやきながら戦局図にその予想図を書き込んでいく。まるで大河を渡河攻めするかのような未来予想図にチカとユーリも辟易する。
「確かに、そうなる前に決着を付けなくてはいけないね」
「んで、もし外交上の軋轢が無ければ奴らはまず北方を強化していく筈だ」
「だろうの。そこら辺の工作は出来んかったのか?」
「間に合わなかった。他の仕込みはやりつつあるが、どこまで効果があるかは分からねえ。当面は真っ当な戦闘をやるしかねえ。ああくそっ、俺の秘策その二が間に合えばなあ」
「秘策その二? 例のあれとは違うのか?」
チカが眉を顰めて尋ねる。
「それはその一だ。そいつもあんた方にしか話してねえもんだが、それとは別に準備してるのがあるんだ。が、そいつは来る保証がねえから言わなかった。もし来ればもうけもんって程度で考えてはいるんだが」
「へえ、是非聞かせてもらいたいね」
ユーリが興味深げに身を乗り出したところで、ゲルの周りが騒がしくなった。何事かと三人が外に出ようとした時、強烈な風圧がゲルを叩いた。
「……来たか!」
ホウセンが犬歯を剥き出しながら喜ぶ。その様子に、それが秘策その二なのだと二人が悟る。
果たして外に出た三人が見たものは、全長五メートル程の翼竜四体と、その背から降りてホウセンの元に歩いてくる女性兵士の姿だった。
「予め伝令を出していたのですが、どうやら追い越してしまったようですね。六将軍筆頭、マクシム将軍麾下竜騎士隊四名、参上致しました」
その女性兵士が将軍達に恭しく報告する。「おう」と軽い返事をするホウセンに対し、チカとユーリは驚き焦っている。
「お、お主マクシム殿に兵を借り受けたのか!?」
「よくそんな頼みを受けてくれたねえ。しかも竜騎士なんて貴重な兵を四騎も」
二人が驚くのには理由がある。六将軍筆頭マクシム、その男が擁する部隊は僅か二十騎のみ。しかしその二十騎こそがグラーフ王国の象徴として崇められ、マクシムの筆頭将軍としての地位を確たるものにしている一騎当千の二十騎なのである。
その部隊は全て竜騎士で形成されている。マクシムが自ら養成した者ばかり。筆頭将軍となってからも、マクシムはその僅かな部隊しか率いない。では何故そんな少数の部隊を率いる者が大国の軍の頂点に立っているのか。それは彼の数々の伝説が物語っている。
一介の騎士だった彼は、若くしてその人望と軍才から騎士団長に就任する。そんな折、彼は自分の騎士団が精強なものになる為にとんでもない夢想をし始めた。もし騎乗するものが馬ではなく竜であればその騎士団は最強足り得るのではないかという、誰が聞いても「あいつ頭がおかしくなったんじゃないか?」と返されるであろう事を言い始めたのだ。
竜。それはこの世界に於いて最強生物の一角として鎮座する種族である。神話の大戦でユーセティア神とニムンザルグ神のどちらの陣営にも付かず、両者の陣営に一歩も引かず戦った高潔なる種族。結果として竜族はその数を著しく減じ、原種の竜は一時期僅か一頭を残すのみになった。その一頭は神竜と呼ばれ、その子らは古竜として世界各地に生存する、超希少種である。その戦闘力は一頭で小国程度なら滅ぼしかねない程であり、その知能は人類を遥かに凌駕すると言われている。言われている、というのはそもそも話をした者どころか、目撃者すら殆どいないからだ。
但し亜竜となれば少し話は違ってくる。もう少し数は多いし、その戦闘力ももう少し弱いし、多くは知能も人類に及ばない。竜退治の物語などは吟遊詩人が語る鉄板のネタだ。しかしながらそれは物語上の話であって、例え亜竜であってもやはり竜種。亜人種も含む人類が到底敵う相手ではない。マクシムが目を付けたのは、まさにそんな亜竜の一種、翼竜だった。
彼はその構想を主に告げ休職を願い出た。その申し出に面食らったもののマクシムという男に可能性を感じて了承した、とは当時の彼の主の談である。実際は気でも触れたかと思い厄介払いでその願いを聞き入れたというところだろう。
しかしその数年後、彼は主の領内にワイバーンに乗って帰ってきた。多くの人々が仰天し、その英雄譚を聞きたがった。彼曰く、「古竜と直接会って交渉し、ワイバーンの一頭と卵を預かった」との事だった。実際のところは彼以外誰にも分からないが、何にせよその風聞は国王の耳にも届き、謁見を許された程だった。
その際、マクシムは国王に自身の戦略構想を説き、国王にいたく気に入られる。国王直属の独立部隊の長として就任したマクシムは、その軍才を如何なく発揮し各地の異民族や亜人族を平定していった。隊長騎がワイバーンという、目を疑う光景に晒された敵達は、皆狼狽えている間にマクシムの戦術に嵌っていったのである。こうして順調に戦果を重ねていったマクシムは順当に出世していった。そして六将軍となった彼は預かっていた国王直属の部隊を国王に返還し、自ら育てた人間のみで構成された部隊を率いるようになった。どうやらその間にも彼は古竜と交渉を重ねていたようで、その部隊は二十騎を数えるようになった。全員がワイバーンに騎乗する部隊、史上初の竜騎士隊の誕生であった。




