第六十四話 今後の指針
セラムの予想以上に、彼らは天井に透かして見たり二枚の資料を交互に見比べたりと忙しく紙を触り、しきりに感心していた。敵対心や騙し合いも忘れてまるで童心に返ったように眺める者すらいた。セラムが軽く咳払いすると、諸将ははっと我に返り背筋を正す。
(掴んでいる情報はこれだけでは当然あるまい。どこまで知られているかそこが知れん。恐ろしい諜報力だ。ヴァイス王国はそういう面では後進国だと思っていたが、これでは評価を改めねばならん)
セラムの横の堆い紙束を横目に見、ノワール共和国の軍政務代表、モーガンの頬に冷や汗が垂れる。その場を仕切っているセラムは内心ほくそ笑む。
(なんて思ってくれれば御の字。正直こんなのは諜報力じゃなくて事務能力の賜物だ。特に過去のデータなんてお粗末な物だったし、他国のデータはメイド隊に頼っている部分もあるからな)
他方、リーンハルトは無表情のまま指で頬とこめかみを押さえる。
(やはりヤルナッハ家は徹底的に根切りにしておくべきだったな。外交官時代のガイウスの顔を立てている場合ではなかった。……まああの場ではここまでは読み切れん。それなりの利も確かにあった。痛し痒し、全ては結果論か)
諸将の手元に配られたのはたった二枚の紙切れ。しかしその有用性、そしてその底知れなさは非公開の資料の束が雄弁に物語っていた。
熱心にグラフを見ていたゼイウン公国の将の一人が言う。
「確かに戦力差が分かりやすい。……見たところグラーフは補給に難があるようだが」
「その通りです。我々が決戦に踏み切ったのも、長期戦を見越して防衛線を張ったのもその分析があったからです。……尤も、今迄の戦い方をされてはその補給という弱点もあまり関係ありませんでした」
「というと? ……ああ、そうか」
更に隣の将が問いかけてすぐに納得する。彼らはその理由を身を以て知っているからだ。
「恐らく考え至った通り、略奪です。敵の物資を減らし経済その他に打撃を与えつつ自身の補給とする、確かに補給手段としては非常に有効な手段です。ただし奴らはそれに頼る比重が大きい。これは裏返せば自らの輜重能力の貧弱さを物語っています」
この戦争で、ヴァイス王国は略奪という手段を使っていない。それはヴァイス王国軍が清廉潔白で道徳観念が行き届いているから、……ではない。単純に戦闘領域が自国とその友好国でしか展開しなかったからという理由でしかない。セラムにとっては精神的に非常に助かる展開ではあったが、それを抜きにしても結果として良かった点がある。補給という観点から戦略を立てる切っ掛けになったからだ。
ガイウスが収穫の余剰分で戦闘をする計画を立て、アドルフォが無駄無く糧秣を輸送する戦略を発し、セラム達現場指揮官が滞りなく自国の物資で作戦を遂行する。自国完結の戦略基礎が出来上がっていた。勿論そこには輸送効率を上げる規格化された馬車やコンテナといった新装備品の効果もある。糧秣の関係で非常に厳しい兵数で工夫するしかなかった過去の努力が報われる時が来たといったところか。
「ですが何もないこのマレーラ大平原に大部隊をおびき寄せ釘付けにした結果、奴らは今初めて全てを自分達で用意しなければいけなくなっています。そこでまずゼイウン公国にお願いしたい事が御座います」
「なんだ。申してみよ」
リーンハルトが重厚な声で促す。
「敵の補給路の分断をお願いしたいのです。レーダーチャートで見られた通り、グラーフと真正面から対等に渡り合えるのはゼイウン公国以外にありません。また、地理的にも他に適任がいません」
「それならば当然やっておる」
「そうでしょうとも。ですが重要な事です、今一度確認したい。まず陸路は旧モール王国領東側の補給路を分断出来ていますでしょうか。そして一番の要点が海路。海軍というのは技術力の差が戦力の差に直結しやすい。漸く不凍港を手に入れたばかりのグラーフならばまだ主導権を握れるでしょう。しかし技術力はいまに追いつかれてしまうかもしれない要素です。ならば今の内に徹底的に海上封鎖して敵海軍を粉砕してもらいたい」
「陸路もモール王国の港近辺の海上封鎖もやっておる。……が、今一度その首尾を確認し見直すとしよう」
「この季節ならば更に北の港でも使用が可能な筈。出来ればそこまで封鎖すれば、と思うのですが……」
「無茶を言う。幾ら我が国が海軍に一日の長があるとはいえ、完全に敵領を広範囲に渡って封鎖し続けるのは無理だ。全くやれんとは言わんが、それをやると旧モール王国の海上封鎖に綻びが生じかねん」
「致し方ないところですね。まあ北方から海路で運び込んだところでここまで運ぶには陸路で長距離を走らねばなりませんし、最終的に旧モール王国領を通らねば輸送出来ないのですから問題ないでしょう」
「ふむ、一つ良いかね?」
ノワール共和国軍務代表のブラッドリーが質疑の意を示す。
「なんでしょう」
「我々はここらの地理に詳しくない。だからかもしれないが少々理解しかねる。なぜ補給路が大平原の西側にしか無いと断言出来るのかね? 我々が占領している東側や南側が無いのは当然としても、北側から運び込まれるというのはあり得ないのかね?」
「当然の疑問ですね。お答えします」
セラムは黒板に簡単な地図を描く。
「大平原の北側ですが、大きな河によってグラーフ王国領土とマレーラ大平原とが分断されています。これはグラーフ王国領土にある山脈から流れる大河で、南西に延びグラーフ王国領と旧モール王国領を分け海へ至る支流と、その手前で大きく曲がってマレーラ大平原北側を横切り更に細かく分かれる本流とに分かれています。この本流から更に分かれた支流が我が国の王都付近を通ったり我が国とノワール共和国の境界線になったりしている訳ですが、これは余談ですね」
セラムはすぐに講義くさくなる自身の癖を恥じて話を戻す。
「さてマレーラ大平原の北、特に敵が展開している西側の北方の地理はというと、山岳が険しくほぼ人の住む所ではありません。それ故橋が架かっておりません。簡易的な橋を架けるという手段もあり得るかもしれませんが、川幅は広く主要の輸送路として使う為にはかなり大規模な工事が必要でしょう。この半年足らずの準備期間でそれが叶うとは到底思えませんし、この戦闘以降の経済効果も望めませんから作るだけ損です。以上を以て陸路での輸送は旧モール王国領東側を通りマレーラ大平原へと至る道以外に無いと断言出来ます」
「成る程」
ブラッドリーが納得したところで再びリーンハルトが口を開く。
「一応言っておくが陸路の輸送を全て封じきれるとは保証しない。我々は未だ旧モール王国領の解放を成していない。睨みは利かせるが限界はある」
「もとより承知です。ですが妨害があると敵に意識させるだけでもかなりの効果が望めます」
「うむ」




