「トワイスの冒険記」より抜粋その2
ニール氏は珈琲に口を付け再び語る。
「さて、何から聞きたい?」
「何からと言われましても……ここまで来たら全てを聞きたいところですが、まずはマクスウェルさんの事ですかね」
「ふむ、我が友か。奴は人間の中でも特別変わっていた。我が対等と認める珍しい人間だ。……本来の我の役目はここに近付く者を排除する事なのだがな。奴はここに何があるか、我の存在、それどころか我の好む酒すら知ってここに来た」
「ここに何があるか……?」
まるで私のような話だ、と思った。私もここにマクスウェルの遺産があると知って来ているからだ。私の場合はゲーム「グリムワール」の中でその情報を得ていたからだ。そしてマクスウェルが高度な医学知識を持っていた事を知っていた。その時は何も思わなかったが、ゲームの世界に飛ばされた事で、もしかして私と同じようにこの世界に来た人間がいるのではと思い至った。だからこそこの場に来たのは、か細い希望に賭けた藁にも縋る思いだったのだ。その必死が実ろうとしている事に私はかつてない程に歓喜していた。
「ここには神の目という神器がある。正直我にもそれがどのような物かすら知らなかったのだがな。何にせよ我は君達が神竜と呼ぶ存在からそれを守る役目を言い付かっていた。四百年近くもの間それを続け、我を祭る人間が現れ、神器目当てに来る者もいなくなって久しいある日、奴は現れた。『酒を呑もう』、そう言ってな」
まるで攻略法を知っているかのように、マクスウェルは振舞ったのだろう。
「それが我の好む古酒であると悟った時、我から攻撃の意志は消えていた。代わりに奴に興味が擡げてきた。どこから来た、何用で来た、何者だ、我の問いに奴は闊達に不可思議な答えを返してきた。曰く、異世界の記憶を持ち、ここにある『神の目』に用があって来た。ここに君がいるのはゲームを通じて知っていた、と」
「やはり!」
私は興奮を抑えきれず叫んだ。マクスウェルは私と同じ境遇だったのだ。
「我が『何者であれ神器を持ち出す事は許さん。立ち入るのなら灰となれ』と言うと、奴は腰を落ち着けてこう言った。『持ち出しはしない。というかあれは持ち出せるような物じゃない。ただ、使わせてもらえないか? 私の目的の為に』と」
「目的、とは」
「それが変わっているところだ。奴は神に会って話がしたいと言い出した。我が『ユーセティアか、ニムンザルグか』と問うと、奴はかぶりを振った。『この世界の創造神、グリムワールに会いたい』と、そう言った。『神話の存在にどう会うのか』と我は問うた。冗談を言っているのか頭がおかしくなっているのかと笑い飛ばした。ところが奴は大真面目に『グリムワールは存在する。私は一度異世界で会っている。神の目を使ってその存在を証明したいんだ』とほざいたよ」
「私も! ……私も会いましたよ。……いや、会ったと言っていいものか。ただ、声は聞いたし存在は確信しています。多分その神が私をこの世界に飛ばしたのだと思います」
どんな声だったか、と深く聞かれると正直困るところだが。何せその声は男か女か、老人か子供かすら判別がつかない、聞いた事は覚えているがその声は覚えられないような不可思議な声だったのだから。
「この世界に飛んだ、か。その認識が正しいかどうか」
ニール氏はふっと息を吐いた。その不安を煽るような言葉に私は聞き返さざるを得なかった。
「どういう事です?」
「記憶の複写」
ニール氏が細く長く息を吐く。
「奴はこの現象をそう言った。『神の目』を使ってその確信を得た」
付いてくるがいい、ニール氏はそう言って奥へと招く。私がその後を付いていくと、一際大きな広間に、特大の石板のような物が壁面に埋め込まれていた。
ような物、と言ったのは、その材質が分からなかったからだ。石のように見えるが、御影石よりも滑らかで黒曜石よりも深い黒。触れるとプラスチックのような感触だが、とても傷つきそうにない程に頑丈なのは感じ取れる。
「これが『神の目』だ」
「良いのですか? あなたはこれを守る為にここにいるのでは?」
私の小さな疑問をニール氏は鼻息で吹き飛ばした。
「私と同郷の人間が現れたら使わせてやってくれというのが我が友の願いだ。普通の人間や魔物どもに見せる気は無いが、我が友の願いとあらば吝かではない。何せ奴はこの世界の真理を解き明かし面白い変化をもたらす可能性を示してくれた」
古竜に認められる存在というのが同郷の人間らしいというのは少し誇らしく、そのお陰でニール氏が協力的になってくれているのは嬉しいが、少々のプレッシャーも同時に感じる。件のマクスウェル氏がどれ程優秀な人間だったかは推して知るべしだが、私自身は別段特別な人間ではないからだ。
「我は長らくこの使い方もわからず守っていたが、奴は試行錯誤で数日の内に使いこなしてみせたよ。なんでも『パソコン』なる物に似ていたのだとか」
言われてみると、下部にコンソールのような物がある。QWERTY配列のキーボードを模したそれは、私には馴染み深い物だった。
「英語?」
試しにキーを打ってみると、石板に光る文字が浮かび上がった。
「その古代語が読めるのか。なんでも基本的な機能は奴のいた世界のプログラミング言語と一致していて、その機能の階層が深くなる程独特なプログラミング言語に変化するのだとか。まあ奴が言っていた事そのままを言っただけで、我には理解できんかったが」
そういえばこの世界でも会話の中で英単語混じりの日本語を聞いた事がある。それが古代語と言われる事自体は知っていたが、文字を見るのはこの世界では初めてかもしれない。
「奴はこれを見てこの世界が自分のいた世界を模して創られたものだと仮説を立てた。他には遥かな未来の世界説、逆にこちらの世界を模して自分のいた世界が創られた説なども立てていたが、有力なのは前者なのだそうだ。そして『神の目』を解析し、その使用に成功したところで奴は一つの確信を持った」
ニール氏がコンソールを操作すると「please speech input」という文字が浮かび上がった。
「ニール」
すると石板一面にこの広間とニール氏、私の姿が表示される。
「凄い……」
「我も奴に少々教えてもらってごく一部の機能は使えるようになった。どうやらこれは見たい所を自由に見られる装置らしい。まさしく『神の目』というわけだ。しかも自分が知っている所や存在ならばどこでも見れる。指定方法は色々あるらしいのだが、我が知っているのは名前指定の一部だけだ。今は我が映るように設定した」
驚愕の一言だ。この中世然とした世界で、これだけが明らかに浮いている。映している角度からその方向を振り返って見てもカメラの存在は無い。ただ壁や天井があるだけだ。まさしく神の存在を感じ取れる神器。しかしこの神器は私のいた世界に通じるテクノロジーだった。
「奴はこれでまず一人の男を映し出した。奴は言ったよ。『ここに映っている人間は元の世界の自分だ』とね」
「……! 待ってください、これは過去も見れるのですか?」
当然の疑問だったろう。しかしニール氏は予想していたかのように小さく笑いながら首を振った。
「ここに映るのは現在の姿だ。……もうわかったろう。君も恐らく元の世界では何事も無く生きている。奴は神が記憶だけをこの世界の人間に複写したのだと仮説を立てた」
「そんな……!」
衝撃だった。もしその仮説通りだとしたら、今ここにいる自分はまごう事無くこの世界の人間だ。つまり、私には帰る世界など無いという事なのだ。
「全ては仮説だ。例えば魂がここに飛ばされたのかもしれんし、こちらにいる君は元の世界の君がみている夢かもしれん。ここに映るものすら真実とは限らないのだから」
「そんな……そんな現実を突きつけられて彼は、マクスウェルはどうしたんですか?」
「ここに住み着き来る日も来る日も研究に明け暮れたよ。全ては神に会う為と、魔法の研究をな。彼女がここに来るまでずっと」
ニール氏が遠い目をする。世界中……いや異世界ですら見通せる機械、五百年近くを生きる竜、その竜に友とまで言わしめる人間、神に会う為の魔法。全てが想像もつかない話だった。
古竜は語る。それは百年前、この近辺の国同士が争っていた時代へと帰着する。
「トワイスの冒険記」より抜粋




