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少女と戦争  作者: 長月あきの
第三章
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第六十話 術策対暴威その5

「タイショー、見えてやすか? 左翼の陣」


「ああ、最悪だ。というかお前肉眼であれが見えるのか。凄いな……」


 セラムは望遠鏡越しに敵の指揮官を捉えていた。あってはいけない事が起こっている。まだ針の一穴ではある。だが、その小さな穴が堤防をも決壊させるのだとセラムは知っていた。


「此方が動かないとみて一点突破に切り替えたか。戦術眼だけでなくそれを可能にするあの将の武、厄介な」


「タイショー、今からでも援軍を送った方が」


「分かっている。だが……」


 あの尋常ではない将を止めるにはそこらの兵卒では難しいだろう。しかし迅速に止血せねばこの防衛線は壊死してしまう。特にカルロは戦力の配置を最適化して必要最低限の戦力で受けている。一度破られたあの穴は致命になりかねない。


「バッカス、お前に足の速い兵を千付ける。あいつを止めてこい」


「ええ!? 俺がですかい!?」


 バッカスが驚くのも無理はない。一兵卒から始めて今迄昇進を重ねているとはいえ、今のバッカスはついこの間曹長になったばかりだった。分隊の指揮官というのなら兎も角、いきなり千人を率いろというのが無茶な話である。尉官、しかも大尉級でないと道理が通らない。

 しかしここは無茶も道理も世界の裏側まで吹っ飛ばした先にある戦場なのだ。


「いくらタイショーでも無茶苦茶だ。俺ぁ気楽な傭兵上がりで、今迄軍の指揮なんてしたこたあねえんですぜ!?」


「兵を率いた事ならあるだろう?」


 セラムはバッカスの肩を叩き真っ直ぐ眼を見つめた。


「今迄僕はお前を一騎当千の(つわもの)と思って扱ってきた。だがそれは間違いだった」


「何を……」


「僕がゼイウンで敵に捕まった時、仲間を逃がす為の決死隊をお前が率いたそうじゃないか。それだけじゃない、山道で敵の奇襲を受けた時も、敵を追う命令を受けたお前はごく自然に兵を率いてみせた」


 言われてみれば、とバッカスは気付いた。あの時は意識していなかったが、どちらも指揮官としてセラムに随行していた訳ではなかった。成り行きで兵士達の隊長のような役回りを引き受けていたが、今にして思えば不思議なくらいだ。それ程の指揮権がある階級でもなし、どころか、自分より階級が上の兵もその列に加わっていたような気がする。


「お前と一緒なら確実な死が待つ戦場でも付いていこうという莫迦が存外多いんだ。なんだかんだ言って兵卒にお前は好かれている。戦場での勘も鋭く危機を切り開くだけの武力もある。セラム隊の中なら誰もがお前を認めている」


「だからっつっても俺にそんな権限は」


「なら今からお前は戦時昇進で中尉だ」


 即断即決。セラムはよく迷い慎重に物事を考えるが、こうと決めた時は周りの人間全てを置きざりにしていく程に素早く、頑固だ。絶対に考えを曲げないし、それを貫徹する。そしてその責任は自分が背負う。だからこそ生き残れたと言える。そしてカルロのような人間が胃を悪くするのだ。


「今迄その武を手放すのが勿体なくてつい僕の護衛として傍に置いていた。けれどお前は一騎当千の(つわもの)というだけでなく、万夫不当の将だ。お前になら左翼の危機を打ち破れると信じている。お前にしか出来ない」


「……タイショーの安全は大丈夫なんで?」


「案ずるな。そう簡単にやられる程やわじゃないさ。それに先頭を突っ走る訳でもない。中央で指揮を執るだけでそうそう危機には陥らんよ」


 少し心配性な大男は、その言葉に屈めていた背を真っ直ぐに伸ばし敬礼した。


「バッカス中尉、拝命致しマシタ!」


 バッカスが跳ぶように自分の馬へ駆け出していく。セラムが手を振ると兵がその後を追う。獲物を追う猛獣のようなその一団は、瞬く間に今一番激しい戦場へと飛び込むのだった。


   ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


「おらおらおらあ!」


 狂獣の一撃が兵士を爆ぜた血袋に変える。一振り五殺、ロスティスラフの武は今この戦場で至上を極めていた。その金棒で後背の兵の道を拓いていく。

 カルロとて並みの将ではない。ただ手をこまねいている訳ではなかった。しかしながらこの数の差、敵将の武、対抗するには後一押しが足りなかった。


「落ち着いて固めよ! 散らず急かず事前の通達の通り動けい!」


 カルロの兵は気を発せず敵の足を止めるに徹する。それが最善、しかしそれだけではじきに戦線が崩壊するのは目に見えていた。だがそれでも愚直に守る。守り続ける。何故なら信じているからだ。カルロという男は、直属の上司である少女将校を骨の髄まで信じているのだ。

 その信仰の甲斐あってか、福音は間も無く訪れた。バッカス隊の馬蹄の響きだ。


「ちいっ、もう来たのか。予想以上に早え」


 ロスティスラフが唸る。戦術を突破に切り替えたのが間違いだとは思わないが、期待通りの戦果は挙げられていない。


「食い破るぞオゥラアア!」


 ロスティスラフの命にグラーフ王国兵から鬨の声が上がる。未だ勢いはグラーフ軍側が勝っている。このまま暴れまわる事を選択し、ロスティスラフは手近な敵に狙いを定め金棒を振り上げた。

 敵兵の怯える顔をその目に捉えた、と同時にその頭を飛び越える巨影が視界に映った。軌道を変え頭の上を薙いだ金棒に衝撃が爆裂する。散り吹雪く火花と辺りを叩く金属音。振り下ろされた死の一撃をぎりぎりで防いだのだ。

 その影は一際大きな馬に乗った男だった。その立派な馬に釣り合う巨躯の持ち主で、その眼光としなやかな筋肉は猫科の大型猛獣を思わせた。その男は見慣れぬ長物を肩に担ぎ歯を剥き出して言った。


「よう、そのイカした兜はどこで売ってんのよ」


 面白い奴だ。ロスティスラフは楽しくなりそうな予感に身を打ち震わせた。


「いいだろう? お手製のお気に入りだよ。名前も付けてあんだぜ、テディってんだ」


「……俺の周りにゃあ愛用品に変な名前を付ける奴ばっかだな」


 呆れるその男の脳天へおもむろに金棒を振り下ろす。人馬を一瞬で肉塊に変える筈の一撃だったが、衝撃と共に敵の長物に止められた。


「俺の一撃を止めた奴ァ初めてだ。てめえの名は?」


「バッカスだ。只のしがない傭兵……だったんだが、何の因果か中尉殿にされちまったよ」


 岩をも砕くと豪語する膂力を涼しい顔で受けきるその力に、ロスティスラフは感動を抑えきれないでいた。この世界に俺と力比べで互角の人間がいたとは、と。


「簡単に壊れてくれるなよ」


 金棒を振りかぶる。その瞬間、目の前に切っ先があった。


「うおう!」


 寸でのところで身を捻り躱し、強引に攻撃に移る。例え腰が入っていなくとも当たれば頭が潰れたトマトになる威力、しかしその重撃に相応しい大音量の金属音が鳴り響き、必殺が防がれた事を知る。

 一旦距離を置くと、バッカスは手を振りながら呆れている。


「お~いてえ、受ける度に手が痺れやがる」


「俺の攻撃を受けて痺れるで済むのかよ。てめえの力もその武器も大したもんだ。正直驚いたぜ」


 お互い軽口を言う余裕を見せる。しかしロスティスラフはその言葉以上に驚愕していた。


(こいつ、強えだけじゃなく速え。単純な力比べなら負ける気はねえが、こいつのはそれだけじゃねえ強さだ……っ)


 間合いを計る。お互いまともに食らえば一撃必殺の威力だろう。ただの一回でも読み違えれば待つのは死。

 ロスティスラフはにやりと笑った。


(関係ねえ。俺はいつでもそんな戦場に身を置いてきた!)


「おぅああああああ!」


 迷い無く突っ掛ける。剛対剛。重対重。しかしながら暴対武。似ているようで若干噛み合わない二人の攻撃は、危うい均衡を保ちお互い肉体への接触を許さなかった。


「ふんん!」


 しかしやがてその均衡も崩れる。袈裟斬りに振り下ろすロスティスラフの金棒を、バッカスが打ち下ろすようにいなす。自然と持ち上がった石突がロスティスラフの眉間めがけて突き出される。

 熊の頭骨で作った兜が砕かれた。ロスティスラフはのけぞるものの馬上で踏ん張り、交錯した人馬が再び向き直る。


「あああ! 俺のテディがっ!」


「素顔の方がずっと男前だぜ。てめえのその(つら)見りゃオーガだって裸足で逃げださあ」


「許さねえ!」


 全体重を乗せた一撃を、バッカスは両手で得物を持ち受け止める。伝わる衝撃に馬が堪らず嘶いた。

 そのままの態勢でバッカスが口を開く。


「よう、こんなとこでゆっくりしてていいのかよ?」


「あン? どういう意味だ」


「もう包囲は完了してんぜ」


 ロスティスラフが周りを見渡すと、ヴァイス王国の兵が整然と隊列を成していた。いつの間にか味方が追い詰められている。バッカスが一騎打ちでロスティスラフを留めている間に、カルロは埋められた塹壕線に代わって兵列で以て再び防衛線を築いたのだ。


「今なら見逃してやる。とっとと兵を纏めておうちへ帰んな」


「……ちぃっ」


 ロスティスラフはその場を離れると、素早く兵を纏め上げ退却していった。地平の彼方でがなり声が響く。


「バッカス! てめえの面ァ覚えたぞ! 絶対俺が仕留めてやる!」


「捨て台詞まで完備たあ面白え野郎だ」


 バッカスは一歩も動かずその後姿を見送る。


「宜しかったのですか? 奴だけはここで仕留めるべきだったのでは」


 付いてきてくれた部隊指揮官がバッカスに尋ねる。バッカスは苦笑していた。


「そうしたいのはやまやまだが……そりゃあ無理だ。なんせ馬が動かねえ」


 そう言ったバッカスの馬はまるで生まれたての小鹿のように脚を震わせていた。最後の一撃を受けた衝撃は、何より馬の限界を突破させていたのだ。


 この戦いでロスティスラフ隊は二か所で敵の防衛線を突破目前まで追い詰めていた。一か所は当然ロスティスラフの武で切り拓いたもの。そしてもう一か所は中央のセラム隊が布陣していた部分、お互いの隊の端であった為目立たなかったが、一人の兵の猛攻でヴァイス王国軍は追い詰められていた。

 その兵は粗末な一般兵の鎧の下に一際ぼろい服を着ていた。片手は思うように動かないのか、片腕のみで剣を振っていた。どう見ても只の歩卒だった。一つ違うのは強力な風の魔法を操り戦場を圧倒していた事。

 間近でその男を見た兵士は語る。


 ――顔を覆う兜の奥から覗くそいつの目を見たよ。そいつの目は、我が少将殿の名を絶叫するそいつの目は、まさに狂気そのものだった、と。


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