第五十九話 術策対暴威その4
ヴィルフレド隊が奮闘している頃、左翼でも敵の猛攻は激しさを増していた。カルロは守りを固め一層矢群を増しているが、敵の足は止まる事がない。左翼中央から聞こえたあの轟雷のような号令が聞こえてからだ。敵の必死さが増している。
「中佐! 敵歩兵に取り付かれます!」
「……っ守兵、白兵戦用意!」
まだ目標数の四分の一も減らせてはいない。脱落した敵兵は数百人といったところ、敵が二隊に分かれているとはいえ、目標数を大幅に下回ったまま接触を許してしまった。いや、そもそもこの敵は退く気はあるのか。それすらも定かではないように思えた。
(いや、こんな序盤で総攻撃という事はあり得ない。少将の言った通り情報が少なすぎる段階なのだ。威力偵察なのは間違いない。少将は正しい……!)
カルロは自分に言い聞かせるように弱気を振り落とす。勿論、セラムに目標数を言われたからといってそれを鵜呑みにしている訳ではない。当然、兵にも伝えてはいない。
セラムは指揮官同士の話として終点の目安を示したに過ぎない。実際はその想定以上である事も十分考えられる上に、仮に想定通りだったとしても、敵がこの軍の被害の配分を多めに設定している可能性だってあり得るのだ。そんな仮定の話を兵に伝えてしまったら、想定以上に敵が退かなかった時に士気ががた落ちしてしまう。
(少将は私の指揮を信頼してくださってああ仰ったのだ。そのつもりで作戦を立てよとは、敵がそれより少ない被害で退却すれば罠の可能性があり、指揮官が終わりの見えない戦いをしていては戦局を正しく判断出来ないからあのように話してくださったのだ。その信頼を、ここを任される意味を、期待を、裏切ってはならない……!)
「後方部隊に土塁上へ矢を運ばせろ! 決して切らすな! 槍兵を孤立させる事の無いよう間断なく矢の雨を降らせい!」
カルロ隊と敵の軍が衝突する。その様子は、中央のセラムからも見えた。
「タイショー、敵ぁ中央には来ないっすね。左右に援軍を出した方がいいんじゃないですかい?」
セラムの護衛として傍にいるバッカスが言う。セラムは敵軍を睨みつけたまま苦々しく返答した。
「それは出来ない」
「そうなんですかい? うちらはこの中央に一番兵を集めてる。敵さんは中央と左右それぞれの隙間を縫って突撃してる。んで、主に敵を相手してるのは左右のヴィルフレド大佐とカルロ中佐でしょう? そりゃあ中央だって敵と交戦しちゃあいるが、端っこの方だけだ。ここら辺の兵を分ければ……」
「と思うだろ?」
セラムはバッカスに振り返りその目を見る。表情はいつも通りにやついているように見えるが、その目には少々余裕が無いようにも感じる。
「お前も戦術的な目でものを言うじゃないか」
「す、すいやせん。俺みたいな学の無い人間が大層な事を言って……」
「いや、そのまま考えを吐き出せ」
セラムは鷹揚に続きを促す。
「へえ、ここの兵を半分左右に分けるくらいでいいんじゃないかと」
「半々にか?」
「へえ。右は土塁が少ねえし、左は……多分敵がつええ。なんとなくですが」
「なんとなく敵が強い、か。言い方がお前らしいな」
くっくと声を漏らすセラム。再び敵軍に向き直り指で指しながら言葉を続ける。
「いい機会だ、僕の講釈を聞け。お前の言う通り右翼側は土塁が少なく、左翼は恐らく敵が強い。さっき敵の号令が聞こえただろう。左翼中央からだ。あそこに敵将がいる。そしてあの声質から、敵将は猛将だろう。戦場慣れして、鍛え上げられた大声だった。そんな将が率いる兵は皆勇ましい」
「だったら何で援軍を送らねえんで?」
「右翼、見えるか? 騎馬隊が展開し始めただろう? それに比べて左翼はというと、未だに隊列を保っている。左右で用兵が違うのは戦況の違いもあるだろうが、指揮官の違いだろうな。安易に隊列を崩さないところが左翼の軍が手強く、総大将がいる証左になっている。敵将がいるんだ、あそこには間違いなく騎馬隊がいる。なのに、だ」
「単純に土塁が多くて固いからってえわけじゃないんで?」
「誘ってるのさ。僕らが堪え切れなくなって中央を薄くするのを。僕らが援軍を送ったら敵の尾は騎馬を展開して中央を叩きに来るだろう。多分その時になれば左右どちらの軍からも来るぞ。これが理由の一つ」
セラムは指を立てて示してみせる。まるでバッカスに戦術を教授するかのように。
「もう一つの理由は単純。二人を信じているのさ。お前は知らんだろう。ヴィルの頭の回転の速さと防戦の巧さを。カルロの堅実で堅固な用兵と思慮深さを。彼らは並大抵な指揮官には負けん」
そう言って口の端を上げて見せる。部下を信頼する、これもまた将に必要な資質なのだと。
「……敵が並大抵じゃなかった時はどうするんで?」
「その時に応じて行動するさ。信頼する事と放置する事は違う。絶対に見捨てない、けれど過保護になって戦局を見誤ってはいけない。……これが一番難しいんだがな」
セラムの笑みが自嘲に変わった。そんなセラムを見てバッカスは流石タイショー、俺なんかよりずっと考えている、と黙する。
(……けどタイショー、俺ぁ嫌な予感がするぜ。あの左の奴はきっとつええんだ。こういう時の俺の勘は当たるんだよ)
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
ロスティスラフは笑っていた。味方が景気良く死んでいる。だが敵の焦った表情を見ると笑いが漏れてくる。あと一息押してやれば恐怖に駆られる表情だ。
ロスティスラフは兜を下げた。自ら素手で殺したという熊の頭蓋骨で作られたお手製の兜を。その威容に、異様に、味方すら恐怖する。暴威を体現したかのような存在からくぐもった大音声が戦場に轟いた。
「騎馬隊、突撃いぃア!」
化け物に統率された軍がその声に呼応し一斉に鬨の声を上げる。相手の士気を砕く迫力で地を這う大蛇はぐにゃりと潰れ、ヴァイス王国軍を圧殺せんと押し寄せる。
「中佐、敵が……!」
「焦るな! 脇に広がった騎馬隊の方面はまだ縄が無事だ。敵が勢いづこうともこの防御線はすぐにどうにかなるものではない!」
カルロは的確に突出した敵に狙いを定め弓を引かせる。無駄無く点で戦力を集中させ敵の侵入を阻む。最適化された陣は確かに猛攻を跳ね返していた。騎馬に対しては縄と堀が、歩兵に対しては堀と槍がそれぞれ行く手を阻む。前列の敵には矢が降り注がれる。これ以上無い鉄壁の陣。
だが……。
「突っっっ貫ゥンゥィァ!」
間近で獣の咆哮のような号令が炸裂する。その声に突き動かされるように敵の騎馬隊がなりふり構わず一点に向かって飛ぶ。
ある者は縄に絡まり、ある者はその奥の堀に落ち、次々と投身自殺をしていく。その異様な光景が続いた後には、馬と人間の道が出来ていた。
一際大柄な影が飛び、その道を足場に塹壕を越える。獣の頭蓋を被ったその姿は、凡そ人間とは思えない風貌をしていた。
「か、囲め! 塞げ!」
ヴァイス王国軍の兵士が一斉に仕掛ける。次の瞬間、五人の兵士が吹き飛んだ。ロスティスラフが手に持っていた金棒を横一閃に振り抜いた、それだけだった。
「ふしゅるるる……」
兜越しに獣が被食者を前にしたような狂笑を浮かべた気がした。その後ろから次々と騎馬が塹壕を越える。鉄壁の陣は、今破られたのだ。




