第五十八話 術策対暴威その3
「にしてもあれは五稜郭でも参考にしたのか? 最低でも二方向から射線が通りやがる。あれを突き崩すのは並大抵じゃねえな。まるで平野を縦断する要塞だぜ」
ロスティスラフは得意の突撃戦法で押してはいるものの、ホウセンの言う通り簡単に崩せるような様子ではない。ホウセンは二隊に分けた部隊のもう一方を覗き見る。
「お、あっちの方は防壁がねぇ所があるじゃねえか。固めて使っても資材が足らなかったのか、それとも罠か」
その方向、ヴィルフレドが対応する戦線では、既にグラーフ王国軍の一部が塹壕まで辿り着いていた。その箇所は土塁と土塁の間が広い。その代わり形状が特殊で、ジグザグではなく緩やかな曲線を描いた塹壕に縦の溝が幾条にも走る、半月の櫛のような形をしていた。
その櫛型の堀に敵が取り付く。
「今だ、かかれい!」
グラーフ王国軍の指揮官の号令で隊列から騎馬隊が分離する。左右に広がり一気に塹壕を突破せんと砂塵を巻き上げ疾走する。
「掛かった!」
レオから歓喜の声が上がる。同時にグラーフ王国軍騎馬隊の先頭が崩れた。
「何だ!?」
「縄です! 縄が張ってあります!」
足が止まる騎馬隊、そこに矢の嵐が襲い来る。
「確かに騎馬隊は強力、ですがそれは条件付き。騎馬の長所は速度、騎馬の強さは衝撃力にあります。よってちょっと足を止めてしまえばこの通り」
「こんな荒れ地じゃあ走れば砂が舞い立ちますからねえ。奴ら自身の所為で足元の縄にすら気付かない。これが戦場でなくて一人で走ってればそりゃあ分かるでしょうが、何分集団じゃあ急には方向転換出来ない」
ヴィルフレドの言葉にレオが相槌を打つ。足を止めた騎馬隊は只の的、倒れゆく前列を救えず残った部隊が反転していく。
「セラム少将の作戦に我々も協力した甲斐がありましたね。騎馬隊全員で縄跳びさせられた時は何事かと思いましたが、飛距離以外にも効果的な縄の高さを計る為でしたか」
この結果にレオが唸る。彼が侮っていた若造達が次々とその実力を示していく。ヴィルフレド、そしてセラム。今迄国を支えてきた、中堅となった自覚もある彼だが、激しく移り変わる時代の波に抗い乗り切る力が最早無い事を痛感せざるを得なかった。
(世代交代、か……)
若者が育つ頼もしさと自らが引っ張ってやれない不甲斐なさ。そんな自尊心を吹き飛ばした張本人はというと、その整った顔を崩さぬままに厳しい目をしていた。
「まだです。次は歩兵が来ます。私達の出番はもうすぐですよ」
ヴィルフレドの言葉通り、騎兵に遅れて歩兵が追いついてきていた。
「縄など切れば良い。防壁には近づき過ぎるな、一斉射撃を食らうぞ。このまま突っ込んで内側から食い破ってやれ!」
歩兵隊は櫛型の堀の縦溝部分を無視して塹壕を越えんと走る。歩兵の視線の高さとその速度ならば縄を見落とすなどという抜けは無い。そのまま櫛の歯を埋めるように兵で満たされる。
堀には当然入らない。狭い穴の中で戦えば数の利が無くなるばかりか足が止まる。落ちてしまう者は当然いるが、無尽に広がる堀を地道に攻略していくよりも、それを乗り越え内側を占領してしまった方が早くて被害が少なく済む。
――つまりその結果。
「今です」
戦笛が鳴らされ、左右の土塁近くに簡易的な橋が渡される。人力で持ち上げられた木製の橋は、塹壕を縦断するように下されると、その下部に付いている刃により自重で縄を断ち切り地面に食い込む。そこをすぐさまヴィルフレド率いる騎馬隊が踏みしめ戦場の両翼に展開する。
「槍隊、構え!」
「弓隊、射て!」
「騎馬隊、突撃!」
一糸乱れぬヴァイス王国軍の連携攻撃。それに対しグラーフ王国軍は縦に走る堀が邪魔で横に進めない、隊列を組み直せない、命令すら満足に届かない。
「分断された!」
これは罠だと分かってはいた。しかしその罠がどんな罠なのかと気付いた時には、もう遅かった。櫛の歯から出ようとする兵士には騎馬隊がもぐら叩きのようにその衝撃力の制裁を思う様食らわせる。塹壕を越えようにも槍に邪魔され中々突破させてくれない。その上頭上から矢が自由に空を舞っている。最早グラーフ王国軍は一塊にされつつも機動力と指揮系統を奪われ、乱戦に持ち込む事すら許されない状態だった。
「騎馬隊は! 我が軍の騎馬隊は何をやっておる!?」
グラーフ王国軍の指揮官が怒声を上げる。騎馬隊はこの櫛型塹壕に嵌らず後方へ下がった筈だった。それが、敵の騎馬隊の姿しか見えない。
「駄目です! 敵の騎馬隊に邪魔されて此方の援護に来れない模様!」
「こうまでいい様にされているというのか! 彼我の騎馬隊との数は、練度はそうも違うというのか!」
実際のところ騎馬の数は左程の違いは無い。但し、練度は段違いだった。事前の情報ではヴァイス王国とグラーフ王国の騎馬隊の練度はほぼ互角、ヴァイス王国軍は機動力で、グラーフ王国軍は走破力と武装で勝るという分析だった。それがどうだ、いざ戦ってみればまるで子供をあしらうかのように戦場を支配されている。
否、全体から見れば情報は間違っていない。しかしこのヴィルフレド率いる騎馬隊だけは突出していたのだ。隊の練度も、ヴィルフレドという将の器も。
グラーフ王国軍にとって不幸だったのは、ヴィルフレドが未だ名を馳せていない若将だったという事だ。今迄ヴィグエントを守り抜けていたのは、ヴィグエントの防衛機構が優秀な物だったからだというのが一般的な認識だった。即ち彼の軍にヴィルフレドを知る者はおらず、その騎馬隊の精強さを正しく認識してはいなかった。ヴィグエントの侵攻部隊に参加していた者がいても、その将とこの軍が結び付く事はなかった。
彼、ヴィルフレドがヴィグエントの守護神と言われるようになるのはもう少し先の事である。
ヴィルフレドは騎馬隊を三隊に分けて運用していた。二隊で櫛型の出口を左右から叩き、一隊で敵の騎馬隊を抑える。並の将では敵の騎馬隊に突破口を開かれてしまうだろう状況でも、三隊それぞれが相互に支援しあい上手く敵の機動力を削いでいた。そして機動力さえ無くなれば弓の餌食である。どうやらヴィルフレドは運用が難しい防御陣地を巧みに使うのに長けているようだった。特徴的な機構を柔軟な発想力と鋭い機転で最大限に生かすのがヴィルフレドという将なのだ。
「適当なところで態と中央を開けなさい」
戦闘前の作戦でヴィルフレドはレオにそう伝えていた。レオがそれは何故か、もしきっちりと嵌ったら殲滅する好機なのではないか、と問うと、ヴィルフレドは優雅に微笑んで言った。
「もし完全に退路が断たれたと知れば敵は死に物狂いで塹壕の突破を目指すでしょう。敵は前に向かっており、狭く身動きが取れない状態で方向転換は困難ですからね。塹壕線の内側を占領してしまえば勝ち目はある、突破出来れば寧ろ被害は少ないと考えるでしょうから。もしそうなれば我々がそれを防ぐのは無理というものです。確かに殲滅は出来るでしょうが、その時の此方の被害は甚大なものになります。少将の命令は『守れ』との事ですから、敢えて逃げ道を作る事で敵の士気を削ぐのです」
理路整然と語る上官に、レオも納得せざるを得なかった。死兵を相手にするのは得策ではなく、逃げる敵を叩くのは楽だ。言われてみれば正にその通りで、異論の挟みようが無い。
「ならばその時にご命令ください」
心服するだけの価値のあるこの歳の離れた上官に、レオは素直にそう言えた。この若者に従うべきだ、そう思えたからこその言葉だった。しかしヴィルフレドは光を反射する金髪を揺らしてかぶりを振った。
「それは出来ません」
「何故ですか。大佐麾下、我々ヴィルフレド騎馬隊は大佐の命こそ至上のものとします」
「その時、きっと私は敵の騎馬隊を抑えるのに手一杯になるでしょう。戦場全体を見る余裕が無いのです。ですのでレオ少佐、貴方が判断して命令を下してください」
「自分がですか」
「このような機を見極めるのは私より寧ろ貴方のような熟練の将の方が長けているでしょう。信頼しています」
(これだ。計算か天然か、この歳若い大佐殿はてらいもなくこうやって部下を褒めるのだ。立場上妬み嫉みやっかみを受けやすい御仁だが、中々どうして憎めない)
レオはこれが打算的なご機嫌取りなのではないかと疑いを捨てきれないが、それでも良いかと心にもたげた闇を払拭する。能力があって、それを驕る事無く、自分の能力も認めてくれる上官なのだ。ただ歳が若いだけで敵意を持つのはいい加減やめようじゃないか。
「……はっ。了解しました」
ヴィルフレドは自分を信用して任せてくれた。ならばその期待に応える事だけを考えよう。レオのその邪念の無さが功を奏した。敵の焦燥が限界を超えかけたその時、不自然に見えない程度に騎馬隊は動きを制限した。それはこの上ない潮合だった。
「退けい! 退けえい!」
号令と共に必死に後方へと流れる敵軍。それを叩くのもそこそこに、ヴィルフレド隊は架け橋を渡り配置を戻した。
張っていた縄は切られ、所々塹壕が埋まり、皆疲労の色が濃い。ヴィルフレドでさえ小さく息を整えた。それは、この勝利が決して楽なものではなかった事を示していた。




