第五十七話 術策対暴威その2
「あんな言いきっちゃっていいんですかいタイショー?」
セラムが振り向くとバッカスが梯子を登ってきたところだった。
「カルロを莫迦にするな。あいつは敵が僕の予想を上回ってきた時の事も考えて作戦を立てているさ。両翼にカルロとヴィルフレド、これは僕の最も信頼する布陣だ」
「へえへえ、俺は単純ですからね。ああ言われたらそれ以上考えたりはしないっすわ」
少し拗ねたようなバッカスに苦笑してセラムが続ける。
「心配するな。お前に期待するところは別にある。あの二人とは違った強みがあるのさ」
「まあ俺にゃあ腕っぷしだけですからね。タイショーは俺が護ってみせますよ」
(確かに一騎当千の強者だが、お前の強みはそれだけではないのだがな)
セラムは含んだ笑いを軽く握った手で隠した。今言ったらバッカスは浮かれてしまいそうだと思い、その称賛は胸に留めた。
「総員、配置に付け!」
カルロの号令で兵士達が各々武器を構える。
「行きますよ。後は手筈通りに」
ヴィルフレドの命令で部下が顔を引き締める。
今回の敵は規模が大きい。それ故軍勢の指揮が執れる者達を分けて配置した。左翼にカルロ、右翼にヴィルフレド、そして中央にセラム。リカルドは後方で総指揮と予備隊を兼ねる。
「結局望遠鏡は量産出来なかったな。あれが各指揮官に渡れば随分と戦争が変わるんだが。まあ四つ出来ただけでもかなり違うか。取り敢えずカルロとヴィルとリカルド中将に渡したが……、まあ少なければ敵に奪われる心配が無い分利点もあるか」
そう言いながら再び望遠鏡を覗く。敵の軍勢は二隊に分かれ縦列突撃をしてくる構えを取っていた。
「来るぞ来るぞ来るぞ来るぞ! 全軍、戦闘用意!」
弓手が矢を持ち、槍兵が得物を握りこむ。
そしてそれを待ちかねたかのように敵軍の前進が始まった。
セラムが築いた塹壕線は特殊な物だ。基本はジグザグに平野を縦断しており、凸型になった部分には所々で高い土塁が塹壕を護るように前面に立っている。この土塁は塹壕を掘る過程で生まれた土砂と持ってきた木材を組み合わせた物で、塹壕の内側から傾斜が両端に這っていて土塁上に上がれるようになっている。塹壕が途切れる事の無いようその傾斜には地下道が作られていて、穴の中を行き来する兵と土塁の上に上がる兵が立体交差して配置に付く。
張り出した部分を土塁で守りつつ敵を突端から十字射撃、深く入り込んできた敵には凹型の部分からも矢と槍の嵐をお見舞いする。五稜郭のような星形要塞を参考にセラムが設計した塹壕線である。
しかし残念ながら資材と土砂の量の関係で全ての凸型部分に土塁を作れた訳ではない。そのような所はまた別の工夫を凝らして守りに適した形にしていた。
敵は兵の厚い所を避けて突撃してくる。カルロ、セラム、ヴィルフレドのそれぞれの間を二部隊が食い破らんと猛然と走る。
「ヴィルフレド大佐、我々が突撃しますか」
レオ副長の言葉にヴィルフレドはかぶりを振った。塹壕に籠っている兵とは別に騎馬隊は待機している。橋を渡せばいつでも敵に突撃を掛ける事が出来るようにだ。
「如何にも美味しそうに横腹が開いている、と見せかけてあれは罠です。ここはまだ、敵が網に掛かるまでじっくりと待ちましょう」
迫る敵。
――待つ。
迫る敵。
――手に汗が滲む。
迫る敵。
――命令はまだか、誰もが逸る気持ちを抑え堪える。
せま
「矢、番えい!」
セラムの命令が手旗により素早く伝わる。待ちかねたとばかりに中心から順に、細波のように弦が引き絞られていく。
(伝達が遅い……いや、これでも十分早いのか。訓練は十分、だのに伝達手段が悪い。無線でもあれば、とは思うが……いや、詮のない事を考えるな)
セラムは波紋のように広がる戦闘準備の動きを目の端に捕えながら、焦りを顔に出さないよう細心の注意を払う。
皆恐怖を精一杯踏みつけながら留まっている。その恐怖に気持ちが切れてしまった時、焦りが射程外にいる敵に飛んでいってしまう。そしてその焦りは伝染する。万の兵の誰か一人でも気持ちが負けてしまえば堰を切ったように皆番えていた絶好の機会を手放し、大事な一斉射を無駄にしてしまう。だからこそセラムはぎりぎりまで命令を下さなかったのだ。末端に向けて早目の命令を下した結果臆病者に足を引っ張られるよりは、間に合わず一部が無抵抗に殺される方が幾らかマシだ。
迫る敵。まるで目の前にいるかのように錯覚する。強盗のように血走った目の集団が殺到する。
「よーしよしよし、いいぞ。……てえー!」
風を裂く鋭い音が一条。次いで連続する弦を弾く音。豪雨のように降り注ぐ矢。戦場に響き渡る阿鼻叫喚。
敵の足が鈍る。戦列による長射程からの一斉射は確かに効果を上げた。あとはこれを続け敵を減らすのみ……
「す・す・めえい!」
戦場に震え渡った轟雷のような声が一瞬止まった敵の足を押し進めた。倒れた味方を踏みつけ更なる敵が殺到する。
「何だあの化けモンみたいな声は。こっちまで聞こえたぞ」
セラムを驚かせたのはロスティスラフの号令だった。戦意を保ちにくい戦奴を前に進まざるを得ない圧力で前進させるその指揮能力は、セラムの予想を超えたものだった。被害を物ともせず走る敵軍。最前列の隊列が崩れ横に広がっていくが、弓の射線に晒されようが構わず突進してくる。否、前に進まなければ後ろの味方に踏み潰されるのだ。
「おいおい、無茶はしねえんじゃなかったんですかいタイショー?」
敵の荒ぶった様子にバッカスが言う。望遠鏡を覗き込みながら、セラムの頬に冷や汗が垂れる。
「流石にあれは例外だろう。戦奴の中でも特に荒っぽい奴らを集めてるんじゃないか。戦奴とはいえ調練はするだろうし、指揮官の性質の問題だろうな。見てみろバッカス、奴らまるで賊の様相だぞ」
そう言いつつセラムは使っていた望遠鏡をバッカスに手渡す。バッカスが覗き込んだ戦場、その更に奥ではホウセンが同じように戦場を眺めていた。
「成る程なあ。取り付きやすい所には前面に防壁、それを避けていくと前と左右からの集中攻撃を受ける仕組みかぁ」
戦場の後方でホウセンが呟く。普通なら見えないような距離でも、ホウセンの独自魔法、操術により光を操り屈折させ望遠鏡のようにして遠く戦場の様子をつぶさに見ていた。
「普通なら堀の後ろに防壁を作るんだが、まあ資材が足らなかったんだろうな。自然を利用しようにも平坦過ぎるからなあ。低い防壁を全面に作るよりゃあ集めて効果的に使おうっつう工夫が見えるな」
ホウセンが褒めているのは確かに改良された塹壕線の造りの事だ。此方の射撃を避ける為にただ穴に籠っているだけではない。巧みに防壁と組み合わせた塹壕は、正しく勝つ為の防衛機構だった。




