第五十五話 兵の質と魔法の力
北方ではグラーフ王国軍の将、オットーがたった数百人の部隊に攻めあぐねていた。いや、より正確に言えば戦闘はまだ始まってもいなかった。全ては敵本隊の遥か手前に陣取っている一部隊の所為である。
「うーん、あの明らかに罠な部隊、ちっとも動きませんね」
オットーがじりじりと距離を詰めても動く気配すらない。まるで戦場という名の舞台の中央で出番を待っている役者のようだ。気が付けば確かにその部隊を中心に敵味方が相対している。
見え見えの罠。しかしどう動くかが読めない。
(潰しに掛かった瞬間に伏兵が襲い掛かるのか? お誂え向きにこの辺りは草の丈が高い。川の傍だからか、腰くらいまである。伏せているか、穴でも掘っていれば発見しづらい。それとも避けて進軍すると奴らが何か仕掛けてくるのか? 奴らは間違いなく魔法使い隊だろう。となれば何が飛び出てくるか……。しかしそう見せかけてただこうして時間を浪費させるのが目的かもしれん)
まず潰したくなる鬱陶しい虫。しかし猛毒を孕んでいるかもしれない虫。ただひたすらに我らを睥睨する様は、まるで雀蜂のようだ、とオットーは思った。
机上の作戦は慎重かつ大胆なオットーも、ここで戦場経験の少なさが表に出た。何をしてくるか分からない敵に対して、まず見定めようと構えてしまったのである。勿論、それが不正解とは言えない。罠と分かっていてもどんな罠なのか分からない状況なのだ。そこに踏み込めというのは厳しいだろう。
しかし結果的にはどちらも迂闊に動けない緊張状態を作り出してしまった。こうなると始めから動かないと決めているであろう敵部隊に分がある。こちらは「敵がいつ動くか分からない」という意識を常に働かせてしまう。次にどう動くか決めかねている後手の状態であった。
それをオットーの後方で見ていたチカが聞こえよがしに舌打ちした。
「ったくホウセンの奴、な~にが『期待を裏切るような開幕にはさせねえ(キリッ)』じゃ。あのオットーとかいう若造、てんでダメダメではないか」
自分より一回り以上年上の男をつかまえて若造と言ってのけるチカ。しかし戦闘経験が豊富で判断力に優れる将軍である。直情型のチカにはこの睨み合いの状態が無駄に思えてならない。
「私ならば鋒矢の陣であの部隊に速攻を掛けるわい。ここで足を止める事自体敵の思う壺だと何故分からんか」
チカが親指の爪を噛む。こういう時のチカは副将のバルトですら近寄らない『怒り』状態なのだ。その怒気に周りの部下も緊張を張り巡らせる。
オットーは後方から感じる剣山のような気配を察してげんなりした。
「これ後からお叱りかなあ。どうにも気の強い女性って苦手なんだよね……」
強者の気配は戦場を真っ直ぐ駆け抜け件の部隊へと届く。部下達が悪寒を感じて身を竦ませるのを、静かに、しかし声量のある声で指揮官が鎮める。
「落ち着け。決めた事をただ実行すれば良い」
ジョージであった。万を超す敵部隊に対し、敢えて三百人の自部隊を本隊から孤立させるように前に置き平然としている。並大抵の肝ではない。
魔法使い隊の運用は独特だ。大規模魔法は何重もの魔法を編み上げ構成し、全員の拍子を合わせ寸分違わず発動させる超難易度の技だ。それには並外れた集中と落ち着き、そして時間が必要になる。通常であれば一発撃つのに七分以上掛かるところを、ノワール共和国の精鋭魔法使い隊は常軌を逸した訓練により、威力を保った大規模魔法を八分で二射出来るまでに至った。しかしそれはあくまで訓練中の、集中出来る条件が整った状態での記録であり、実戦で可能とは限らない。
そう、こちらが戦場に慣れるまで相手が立ち止まってくれるような事が無い限り。勿論通常であればそのような事は起こり得る筈もないが。
ジョージは再び前方を見据える。その先には部隊を展開しつつもすぐに動かさなかった敵の指揮官。
そのオットーは部隊全体に命令を伝えていた。何もしていなかった訳ではない。味方が今後どういう展開になっても動揺せぬよう、指示が浸透するのを待っていたのだ。
「いけます」
伝令兵がオットーの下へ戻ってきた。迷いなくオットーが前方に腕を伸ばす。その合図で万を超す兵士が前進を始めた。その瞬間だった。
前方から響く馬蹄の音。僅か三百人の敵が臆する事無く向かってきたのだ。その部隊が光を帯び、その光が高速で飛んできたように前線の兵士には見えた。
「掲げ!」
指揮官の指示で構えた盾が爆発する。最前列の兵士の一人がその衝撃に面食らいながら何とか踏みとどまり、横の戦友を見やる。
かつて戦友だったものは顔が焦げ倒れていた。
「何だ!?」
「炎だ!」
「只の炎じゃない! 魔法だ!」
初めて見る強力な魔法の斉射。一部の魔物が攻撃に使うのを見た事があっても、それは所詮単体が使うものだ。軍隊が戦列を成して用いる様を見るのは初めての事だった。
そのまま目の前まで迫ってくる敵の魔法騎兵。その先頭にまるで役所勤めのようなスーツ姿の男がいた。
ジョージ・『ウォースパイト』・ウィンストン。その名はこの戦闘を以て広く知られる事となる。
「実戦レベルでは騎射は出来ぬといっても、これだけ集中して事に臨めれば一発くらいは今の我々でも可能だ」
グラーフ王国軍が前進する瞬間を見計らって突進し、速度を緩めぬまま魔法を撃ったのだった。そのまま突撃せんとばかりに距離を詰め、敵の慄いた顔を肉眼で捉えると左へ方向転換する。まるで敵を小馬鹿にするように敵の眼前を横切っていったのだった。
しかしこの挑発行為を、意外にもグラーフの兵は堪えた。誰一人として前に出る者はいなかった。
そして轟く戦鼓の音。
「雁行の陣!」
敵がジョージ達の行く手を遮るように斜めに隊列を変えていく。喊声と共にせり上がるその様はまるで津波のようだ。
ジョージ隊は更に左へ曲がり自軍の方へ駆けてゆく。それを追いかけるようにグラーフ王国軍が雁行の陣で猛烈に前進する。ノワール共和国の兵からはまさしく怒涛の如く見えただろう。しかしそれでも彼らは集中を乱さなかった。この役目を進んで買って出て危険を一手に引き受けたジョージの漢気を思えば、今更心を動かすものではなかった。
「発射!」
ジョージの合図で、全力で逃げるジョージ隊の一人が天空に光の矢を放つ。予めこの一人だけは騎射に参加せず、攻撃用でないこの魔法の準備をしていた。
それはノワール共和国軍の魔法使い隊に向けた発光信号だった。
「放て!」
魔法使い隊がジョージ隊の後方目掛けて大規模魔法を放つ。極大火球が放物線を描いてせり出した敵の右翼に向かって幾つも落ちた。
走るジョージの後方で大爆発が起きる。グラーフ王国兵は爆風に吹き飛ばされ、或いは撒き散る炎に巻かれ散り散りになる。
「突撃い!」
炎の中から声が聞こえた。倒れ伏す味方を踏みつけながら更に進むグラーフ兵の一団がいた。
鬼気迫る敵の猛攻、それでも魔法使い隊は集中を続けた。それすらも織り込み済みだったのである。
抜け出た一団が魔法使い隊に迫ろうとした時には更に大規模魔法の射出は終わっていた。さながら地獄が顕現したかのような最前線。魔法使い隊にまで辿り着いたグラーフ王国兵達も、護衛部隊に阻まれその刃は届かない。そして外側へ回り込んだジョージ隊が壊滅した敵の右翼を一撃離脱で潰していった。
オットー隊の右翼は壊滅。しかし左翼は逆にノワール共和国軍に対して優勢に事を運んでいた。ジョージがいなかったこちら側は大規模魔法も有効打にはなり得ず、迫る敵に集中を切らした魔法使い隊は二射目の大規模魔法を不発、歩兵同士の近接戦闘へと移行していた。そして純粋な兵の練度では比べ物にならない程の差があったのである。
一刻後、両軍は痛み分けで戦いを終えた。戦列が左右に流れ自然と闘いが収束していく中、型に嵌った時の魔法の破壊力と、ノワール共和国軍の基本戦闘力の弱さが浮き彫りになったのである。




