第五十三話 ブレージ対レオン
何も無い平原で二万の兵が陣形を組む。対するは戦意旺盛な軍勢。
「ゼイウン公国が俺の相手か?」
ブレージは無味乾燥な呟きを風に攫わせた。まだ敵の旗を視認できる位置ではないが、強軍だけが持つ落ち着きと雰囲気を感じられた。
陣を張る前、ユーリがブレージに問うてきた事がある。
「君はゼイウン公国出身なのだろう? これから戦う人間に同郷の奴がいるかもしれないが、君はこの戦いをどう思っているんだい?」
くだらない質問だ、とブレージは思った。そもそもがグラーフ王国に降ってからというもの、ホウセンに付き従ってゼイウン公国と戦ってきたブレージなのだ。同郷の人間と戦う事になると必ずこういった手合いの質問が投げ掛けられるが、ブレージからすれば何故そんな質問が出るのかが分からない。
グラーフ王国に降る事になった日を思い出す。あの時、グラーフ王国軍の奸計に掛かった自軍はブレージの部隊を切り捨て敵との睨み合いを選択した。捕虜になったブレージは当時フォーベック家の一軍として参加していたが、本来の主家はフォーベック家に仕えている豪族であり、三名家とやらには何の義理も感じてはいない。そんな奴らに義を通して死ぬのも莫迦らしく、自分と部下の命を懸ける価値は無いと考え降伏した。
降伏した後、与えられた最初の仕事は鍋や金物を磨く事だった。その時は何をやらされているのか理解出来なかったが、後になってグラーフ王国軍はそれらを木々にぶら下げ偽兵にしているのだと気付いた。今迄自軍が相手にしていたのは、躍起になって睨み合っていた相手は磨かれた鍋だったと知った時、ブレージは失笑するしかなかった。
何の事はない。ゼイウン公国の大権力者として偉ぶっていたフォーベック家の大軍は、その十分の一にも満たない寡兵に釘付けになっていたのだ。自分達を切り捨てたその判断は、今自分が手に持っている人も殺せない生活用品を基に下されたのだ。皮肉が効きすぎてフォーベック家の連中が哀れに思えてくる。
ブレージはこの作戦を立案したという総大将に、自分を部隊に加えてもらえるよう直談判した。当然却下されると思ったその願いは、意外にも即座に断られるような事はなかった。
「俺に付いてくるっつうこたぁ、主戦場はゼイウンになる。このままマトゥシュカ家領のメルベルク砦を強襲するつもりだからな。それがどういう事か分かってんだろうなあ?」
総大将はあろうことか、いち降将に過ぎないブレージに意志確認をした。或いは、斬首覚悟で赴き兵士に取り押さえられながらも懇願したその覚悟を汲んでくれたのかもしれない。
ブレージはその時の答えと同じ台詞をユーリに投げた。
「ひりつくような戦いを、生きているという実感をあの大将は与えてくれる。相手がゼイウン公国ならば尚更だ」
乾いた風が思考を攫う。荒野の中、ブレージは今一度自分が率いる部隊の陣容を顧みる。ブレージと同じゼイウン公国出身者など、戦奴以外ではごく少数だ。ブレージの命令を素直に聞くかどうかすら怪しい。実際、生粋のグラーフ王国人である副官の派閥といえるようなものが出来上がっており、彼の言う事しか聞こうとしない兵士がいる事も承知している。
ブレージはその副官に、低く落ち着いた声で言った。
「俺の姿が見えなくなったら遠慮は要らん。お前の指示で動かせ」
「言われなくともそのつもりです」
顔を正面に向けたまま動かさず答える副官に、ブレージは苛立つ様子も無く落ち着いた声で返した。
「安心した」
(この御仁、今笑ったか……?)
副官が目の端で捉えた事象を確認しようと振り向いたが、丁度ブレージが兜の面当てを下したところだった為にそれを確認する事は叶わなかった。
ブレージは主軍を三隊に分け、更にその両脇に騎兵を配置した。ブレージの位置からは敵もまた似たような配置に見える。
「両翼、前進」
ブレージの命令で左右の主軍が距離を詰める。敵もまたそれに呼応するように中央を前進させる。陣立てを見てもしやと思ったが、敵が近づいてきた事で確信を得た。
「あれはゼイウンの軍だ。俺はツイてる」
両軍は前進を続ける。敵の騎兵隊が動きを見せた。大きく迂回して横合いから突撃するつもりなのだろう。
「騎兵隊、敵騎兵を攻撃」
ブレージもまた騎兵を動かす。騎兵には騎兵でしか対応出来ない。今迄の戦いから騎兵の練度に大差が無い事は分かっている。このままいけばあと数分で主軍同士のぶつかり合いが始まるだろう。
とそこで敵の主軍が三つに分かれた。一隊は左翼に、そして二隊が右翼に殺到する。
(あれだ! あの回り込んだ右翼の端の部隊、あそこに敵将がいる!)
ブレージは敵陣の中央ではなく、一番大きな動きを見せた右端の部隊から敵将の気配を察知した。
「左翼、突撃! 右翼、方陣! 中軍五千は俺に付いて来い!」
ブレージは中央の隊の一部を率いて右翼を側面攻撃しようとする敵部隊に突撃した。その判断の速さが右翼を救った。間一髪のところで敵の一隊がブレージの隊へ矛先を変える。結果的には単純なぶつかり合いに移行、しかしブレージの狙いは敵将の首ただ一つだった。
「この敵将は随分と素直な用兵だ。しかし戦局を大きく動かすのは自らの働きでないと気が済まない、先陣を切る類いの勇将。俺の好みだ!」
右翼が激しく衝突する。先頭の兵士が馬上で槍を打ち付け合う。怒号と馬蹄音、そして重い金属音が全身を強く叩き、巻き上がる砂煙が静謐を破り荒野を戦場へと変える。
ブレージはその中にあって身を潜め、注意深く辺りを見定める。横薙ぎの槍を受け流し更に深く前進。その脇を突撃した味方兵士が轟音と共に二つに爆ぜ飛んだ。敵の剣に一刀両断されたのだ。
左程体は大きくない男だった。しかし血振りをするその剣は、たった今軽鎧ごと馬上の兵士を斬り抜いたのだ。信じられない膂力だった。男がそれぞれの手に持っているのは両手、片手両用の剣であるバスタードソード。いくら片手でも扱えるように重心が取られている剣とはいえ、それを二刀流にするなどという馬鹿げた奴を、ブレージは見た事が無い。しかし聞いた事はあった。
マトゥシュカ家次男、レオン・マトゥシュカ。
名家の子にあってその男は先陣を好むという。内乱こそ今は少なくなったが、小競り合いに魔物の被害と、戦いには事欠かないゼイウン公国を所狭しと駆けずり回ってこれを鎮圧、常に先頭で多くの敵を屠り兵を鼓舞するその姿から付けられた二つ名は「銀翼の刃」。マトゥシュカ家の「攻」を一手に担う武闘派の将。
「有名人だ。これはそそるな」
目標を定めたブレージは姿勢を低くしたまま突き出されたレイピアのように突進した。その勢いのままに馬ごと体当たりしつつ槍を繰り出す。
「むっ」
ブレージとレオンの間で火花が散った。蜂のように鋭い一撃を何とかその剣で受け止めたレオンが怒声を上げる。
「何モンだてめえ!?」
「レオン・マトゥシュカ殿とお見受けする」
ブレージはゼイウン流の槍捌きで二合、三合と打ち付ける。型通りの決まった斬撃、レオンにはこれが挨拶代わりの攻撃だと分かった。四合目、上段。やはり型通り。レオンは受けに徹して応える。そのまま鍔迫り合いに移行してお互いをぶつけ合う。
「お前ゼイウンのモンだな!? 裏切ったのか!」
「仕えるべき主ではなかっただけの事」
「そこに恥じ入るものが無いというのなら名を名乗れ!」
「俺はブレージ。あんたの事は噂に聞いていた。以前から一度戦ってみたいと思っていたよ」
(なんて厚顔な奴だ。しかし真っ直ぐで迷いがねえっ)
レオンは目の前の男が強者だと確信した。
「聞いた事のねえ名だ」
「そうだろう、まだ無名だよ」
その返事を合図にお互い相手の武器を跳ね上げる。双方とも二歩後退し間合いを計り直すと、ブレージが気迫のこもった笑みを浮かべた。
「あんたのような奴は大好きだ! 死んでくれ!!」




