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少女と戦争  作者: 長月あきの
第三章
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第四十四話 収奪その2

「誰が……っ誰がそんな事をせよと言った!」


 セラムが部下に怒鳴り散らす。セラムには珍しく激昂していた。幼き少女が放つ怒気に当てられ大の男達が硬直する。

 それはヴァイス王国軍の本拠に使う集落の住民を粗方退去させ、本格的な設営の前に一息入れようかという時期に起こった。

 見回りをするセラムの耳に部下達の笑い声が障った。それ自体は問題ではない。ただ、楽しそうというより下卑た笑いだったのが気になって、セラムはその内容に耳を澄ました。


「……んま大したモンが無かったな。……、……」


 よく聞こえないが、察するに集落から接収した物資の品定めでもしているのだろう。予想通り下品な内容ではあったが、多少の物資の接収は正規の軍事行動として認められているものでもある。


(だが僕の部下にああも品の無い輩がいたとは。……ああそうか、いつものセラム隊はここには居ないんだったな)


 部下は部下でも直属とは言えない者ばかりだった事を思い出す。工兵として経験豊富なセラム隊の面々は最前線での陣地構築や重要地の指揮指導を担っている。ここにはこの一年共に戦地を駆け巡った者達は一人として居ない。

 少しばかりの淋しさと監督者としての責務を想い、セラムは声が聞こえるテントに近づき耳を(そばだ)てる。


「けど女はなかなかの味だったぜ。この家にも女が二人もいてよ……」


 セラムは一瞬その言葉の意味するところが理解出来なかった。今迄の人生であまり耳にする内容ではなかったからか、それともこの体になって性欲を全く感じなくなったが故にそのような発想が出なかったからか、会話の内容が思考に浸透するのに三秒掛かった。

 そして烈火の如く憤怒したのである。


「そのそっ首叩き切ってやる!」


 指揮刀に手を掛けるセラムを部下が押し留める。


「お待ちください少将!」


「何故止める!?」


 二人がかりで上司を止める兵士と、その目の前で戦々恐々と直立不動を保つ兵士達。そんな修羅場に「こちらです中将」という声が聞こえ、男が入ってきた。ゆっくりと堂々とした佇まいに、顔を見ずともリカルドだと判り、セラムは刀を収め姿勢を正す。


(誰かが態々中将を呼んできたのか?)


 中将という立場の人間を呼ぶ事案にしてはあまりにも些細な出来事だとセラムは思ったが、そこではたと自身が少将である事に気付く。場を収めるには中将が出向くしかなかったのだろう。


「ふむ、偶々通りがかって良かった。まだ大事には至っていないようだ」


「これは中将閣下!」


 その場にいた全員が敬礼する。セラムも型通りの敬礼をするが、憮然とした顔は直っていない。


「軽く経緯は聞いた。そこの者達は謹慎しておれ。追って沙汰を下す。セラム少将は一緒に来たまえ」


「「「はっ」」」


 手早く指示だけ飛ばし外套を翻すリカルドの後を、セラムは中将の手を煩わせてしまったという気まずさと、何も言わぬリカルドに少しの不安を覚えつつ付いてゆく。

 何か失策をしたのでは、しかし自分は正しい事を言っている筈だ、と悶々としながらセラムが本陣のゲルに入ると、リカルドは人払いをして二人きりになってから漸く口を開いた。


「これから何を言われるか、敏い君なら察しているとは思うが……」


 意地の悪い言い方だ、と椅子に肘を掛けるリカルドを見て思う。


「君を止めた理由は分かるか?」


「彼らの肩を持つのですね、中将は」


 リカルドが椅子に座ったが為に目線が同じになったセラムは、目の前の偉丈夫の目を真っ直ぐに見て言い放つ。


「彼らは罪の無い、我らの戦争に巻き込まれただけの一般人を凌辱したのです! 後から聞いてみれば宝飾品等の私財も巻き上げたと自白しました。死して然るべきです!」


 背筋をピンと張り腕を後ろに組んで声を荒げるセラムの眼には何の気後れも無い。上官として、そして人間として当たり前の事を言っていると確信した眼だ。


「では何の罪で彼らを死罪にすると?」


 何を当たり前な事を、と言いかけたセラムがその口を止める。強姦罪、強盗罪、不法侵入罪、平時なら幾らでも罪状が付くだろう。しかしそんな事を言い出せばここにいる集団は皆殺人罪で起訴されるべき人物だろう。


「略奪に関する軍規は第九条第二項に『自国ニ於ケル如何ナル略奪・暴行行為モ犯シテハナラナイ』とある。また、同十二項に『同盟国ニ対シテモコレニ準ズル』という文言がある。しかしここは自国、又は同盟国かね?」


 セラムは押し黙った。言うべき言葉が、出てこない。何か言わなければならない。だがどうしても言葉が見つからない。


「もしここがヴァイス王国の領土だと主張などしようものなら周辺諸国は黙っていないだろう。ここは空白地帯だ。だからこそ秩序が保たれる。しかし敵国ではないとはいえ、これを保護するような軍規は存在しない」


「それは……」


「もし上官命令で略奪行為を禁じていたのなら話は別だが、彼らの隊長はそんな命は出していない。君も、私もだ。彼らを罰するとしたら第十八条八項の『軍ヲ妄リニ騒乱セシム事ヲ禁ズ』を適用する位か。しかしそれもちと強引だな。何せ彼らは特別な事をした訳ではない」


 セラムはその言葉に、これが軍の様態として当たり前だという認識が浸透しているという現実を垣間見て血が沸騰した。目の前の人物が上官だという事も忘れ捲し立てる。


「これが平常ですって!? 強奪し強姦し強要する事が!? ここの住民が何をしたっていうんです! これでは我が軍は只の犯罪集団だ! 移動する災害でしかない! 僕らには大義があった筈だ! それを見失って欲望を満たすだけの集団に何の義がある!?」


 リカルドは荒い息を立てるセラムが落ち着くまで何も喋らなかった。その眼が映す感情は冷たいものではなかった。慈しむような、大きく包み込む父親のような眼であった。そんな眼差しに、やがてセラムの威勢も萎んでゆく。


「もう一つ、我が軍の様態を話すとしよう。敏い君なら理解出来る筈だ」


 次に出たリカルドの言葉は、軍の統率者として冷静な目で全体を把握していた事を示していた。


「君の隊は士気が高い。これは君自身の大徳によるものだろう。それに自分の娘、妹のような歳の君が上司ならば部下とて品の無い行いはすまい。寧ろ道の手本とならねばと率先して善行を積む者もいよう。だがここにいるのは違う部隊だ。戦争の為に募兵した貴族の部下として従軍してきた者も多い。募兵といっても実際は強制徴募だ。当然、そのような者は士気も低い。望んで来た訳ではないから不満も多い」


「……だから、何ですか? こっちは最前線で戦いまくってたんですよ。それなのに僕の部下はそんな行いはしちゃいない。死ぬような目にも、死にたくなるような辛い目にも遭ってきた奴らがです。無関係な人を犯す理由にはならない!」


「落ち着け」


 セラムの目が座り、冷たい怒気がその奥に沈殿している。見た目は小さな女の子だが、こうなった時のセラムにはリカルドですら少々の恐怖を感じる。


「誰もが後方にいた訳ではない。多くの者がヴィグエントを始め戦場経験はある。それに募兵された者達は長く故郷に帰られていない者も多い。戦争が始まって既に一年以上、兵達にはかなりの負担を強いているのだ」


「だからこの程度の事はお目こぼしせよと?」


「そうだ」


 セラムの嫌味にリカルドは厳格に即答する。


「士気が低下した部隊など役に立たんどころか足手纏いにしかならん。断続的に、何らかの手段で褒美を与え士気を維持せねばならん。兵士には何らかの役得があると思わせねばならん」


「その結果が中立国の私財と女ですか」


「ここは国ですらない」


「分かっていますよ」


 うんざりだとばかりに腕を広げるセラムに、あくまで冷静なリカルド。


「ならば君に代案はあるか? 言っておくが軍事費に慰安費は積んでおらん。この先行き不透明ないくさにこれ以上の戦費の上乗せは出来んぞ」


 不満は当然ある。略奪、強姦をした兵士達に対してしこりも残る。しかしどうしようもない部分もある事はセラムにも理解出来ていた。これが全志願兵の軍隊ならば違っただろう。道徳教育が行き届いた国民ならば変えられただろう。福利厚生と娯楽が行き届いた組織ならば防げただろう。

 だが現実はそのどれもが足りていない。無理やり戦場に引っ張られ、いけ好かない特権階級の人間にこき使われ、環境は最悪。勝つ見込みも不透明な戦場で死の恐怖に苛まれ、お偉方は後方の安全地帯で連れてきた女を侍らせている。何か月も家に帰れず、戦傷や病気で後遺症でも残ろうものなら保障すら無いままに放り出される。彼らもまた被害者なのだ。


「……僕が組織した楽隊を招集して慰安に当たらせます。信賞必罰をもっと明確にしましょう。そして改めて略奪行為の禁止を命令します」


「足らん。必要なのは今なのだ」


「……要塞化が一区切り終わったら豪華な飯を出しましょう。その日は酒も解禁します。普段の飯も一品増やし、補給が途切れないようにアドルフォ大将に掛け合います。戦費には僕の私財の一部を当てます」


「そうやって毎回私財を使うつもりか? 尤も他の貴族も私財で戦費の一部を賄っている者は多いがな」


 言葉が続かない。今すぐに思いつく事など、とっくにやっている事ばかりなのだ。貴族だって裕福な者ばかりではない。中には借金をし、身を切る思いで軍の要請に応えている者もいよう。これ以上を周りに求めても、まず真面目で善良な者達から潰れていく。かといってセラムだけで全てを支えられる訳もない。


「これ以上は集落も無いのが幸いだ。有っても敵の占領下になっているだろう。戦時下に於いて保護の必要性が無い所ばかりだ。同じ悲劇は味わわなくて済む」


 リカルドのその言葉は、セラムの弱い部分を突いた。気付いてしまったのだ、リカルドの意図に。セラムは俯き震える声で問うた。


「……だからですか。僕にこれを教える為にわざと僕に設営をやらせ、この状況を放置していたのですか」


「君は純粋で固い意志を持つ。その一方で脆い。私に言わせれば、危うい。君は人間的に完成しているが、まだ若い。敏い君ならば不条理を呑み込み、打ち克つ術を見いだしていけるだろう」


「甘やかしてはくれないのですね」


 セラムが顔を上げた。その顔は弱弱しく泣き笑っていた。


「守ってほしければその立場を降りるがいい」


「いえ、ありがとうございます」


 リカルドの厳しさに、亡き父親の背中を見た気がした。


(随分と厳しい世界を生きていたのだな、エルゲントのお父様は)


 思えば日本では自分一人の責任で収まる世界で生きてきた。グリムワールに来てからは気付かない内に誰かに守られ生きていた。改めて自分の言動、判断一つで大量の人間が傷つき悲しむ事になると思い知らされた。甘ったれて生きていたと思い知らされた。


「せめて……、せめて被害者の方々に直接謝りたい……っ」


「それはならん。君が謝ればこの戦争の非を国が認めたと同義になる」


「分かっています……。僕は少将ですからね」


 リカルドはあくまで厳しく、憎まれる事を厭わない。セラムにとってこれ以上無く貴重で、必要な人物だった。


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