第三十九話 震天動地
震天動地。セラムの放った一計を表すならばこの一言に尽きる。敵も、味方をも置き去りにして決戦を取り決めた。
既に宣言は執行した。そう添えられた檄文には集うべき決戦の地をも記してある。敵味方問わず広くばら撒かれたその檄に、ある者は激怒し、ある者は賛同し、またある者は困惑した。面白い事に敵味方双方にそれらの感情が発生した。これが決戦をしようと促す文ではなく、決戦をする、それも場所を指定し敵にも既に教えてある、と言っている物だからだ。
味方にとってみればほぼ全ての人間に何の相談も無く、しかも敵に情報を漏らしているというのだ。そしてそれは敵にとっても、まるで試合の取り決めでもするかのようにあまりに正々堂々としすぎた通告であった。セラムのこの檄文は後に『万人我不知の表』と言われ、稀代の迷文として後世に残る。
「あああああ意味分かんない意味分かんない意味分かんない」
ジオーネ邸ではフィリーネが頭を抱えている。セラムの命令でアッピア出版に印刷を依頼した帰りからずっとこうである。そんなフィリーネにセラムは軽く肩に手を置き満面の笑顔で労う。
「お疲れ」
「お疲れ、じゃないですよ! あれ何ですか、あの檄文……いや劇物! あれじゃあ敵も奮起するし味方は怒るだろうし、ご主人反感買いまくりですよ! ご丁寧に『決戦の地マレーラ大平原』って書いてあるし!」
「いやあ参謀部で書いてもらったんだが、あれなら弥が上にも盛り上がるだろう? 敵も味方もこぞって見た事も無いような大軍でマレーラ大平原に集うぞう。とてもフェアな戦争だ。我々はウォーモンガーシップに則りってなもんだ」
「あああああ……っ」
魔物退治から帰ってきてから……いや、メルベルク砦の援軍に行ってからこのご主人は頭の線がぷっつりといかれてしまったとフィリーネが嘆く。
敵をも奮起させかねない文面の檄文を敵も含めた全陣営にばら撒くという、こちらの優位性をかなぐり捨てた無鉄砲な行為は戦争という状況では褒められたものではない。通常、此方の優位を、彼方の不利を少しずつ積み上げていって勝率を上げるのが戦争なのだ。
「本当、何考えてるんですかご主人!」
「当然、短期で戦争を終わらせる事さ」
そう、国益という観点で見て短期決戦は推奨される戦略だ。疲弊と溝が溜まってきた連合軍には尚更である。長々と戦争を続ける事程くだらない損失はない。一発で終わらせられるのならばそれに越した事はない。
「それだけ言うのなら勝つ算段が有るんでしょうね」
「いや、無いよ」
フィリーネの問いに事も無げにそう返すセラム。開いた口が塞がらないとはこの事だろう。
「まだ始まってもいない、準備すらこれからという戦闘に勝てるも勝てないも無いよ」
「じゃあどーするんですか!? 勝てるからこそ決戦を仕掛けたんじゃないんですか!?」
「そうじゃない、勝つんだ」
そこには自信……というより、確固たる決心があった。実際のところ、国を存続させる為には短期決戦よりも良い方策が思いつかない。長引けば長引くほど有利になる展望が見えない。勝ったとしてもその頃にはボロボロの、立て直しもきかないような状態の国が残るだけでは意味が無い。最悪共倒れすら有り得る。だからこその、係わる全ての国の為の短期決戦戦略だった。
そしてその係わる国々の反応は如何に……。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
ゼイウン公国領の都市ゲルスベルクでは、事の次第にリーンハルトが頭を悩ませていた。先だって連合軍の結成の誘いが来た時には事の進め方が少々性急かとも思ったが、時期としてはこれ以上無いものだった。兵力は前々回の戦いでフォーベック家とペトラウシュ家の兵を吸収し、前回の戦いではほぼ消耗無く事を終える事が出来た。一転攻勢を仕掛ける準備は万全といえた。
だからこそ連合軍の盟主となる事を条件に承諾もしたのだが……。
「こんな物を用意していたとはな」
リーンハルトは一枚の紙切れを摘み上げる。ヴァイス王国の印が押された檄文、これが市井にまでばら撒かれていた。聞けばグラーフ王国の支配地域にまで撒かれているという。これではヴァイス王国軍とノワール共和国軍を使いグラーフ王国軍を抑え、旧モール王国領の横腹を突くというリーンハルトの策が台無しだ。
「父上、今市街ではこの檄文を見て今こそグラーフとの正面対決に挑むべきとの気運が高まっております。もうこの流れを覆すのは困難かと」
「確かに士気は高まったのだがな」
イングベルトの言に頷きつつも、余計な事をしてくれる、とリーンハルトは顔を顰める。これではマトゥシュカ家が矢面に立たなければ収まらないだろう。盟主としての立場は手に入れたが、ヴァイス王国に体よく責任を押し付けられたような気もする。
「これもあの小娘の仕業だろう。まったく、敵に回せば凶悪だが、味方に付けても最悪な奴だ」
この一連の流れには、メルベルク砦を崩壊させ多くの魔物を活性化させた一人の少女の影が見え隠れしている。まるで触れれば爛れる劇薬を懐に入れているような感覚だ。
「こうなっては一早く行動を起こしこのいくさの主導権を握るしかないのでは」
「そうだな。今回は私が直接出る。イングベルトよ、お前は留守中の守備と補給を頼む」
「了解致しました」
胸の銀翼が鈍色に光る。かつてない程の戦乱を予感させる光だった。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「あんの魔族が!」
ノワール共和国ではフラウメルが檄文を握りしめて吠えていた。あまり聞かない議長の怒声に、隣にいた秘書がびくりと震える。先だっての外交官との会見で連合軍の結成を提案された時には「国内で議会を開く」と一旦帰ってもらったが、その議会の結論が出る前の出来事である。
会見の二日後に開かれた議会では意見が割れたものの、連合軍に参加するという方向でほぼほぼ決定はしたのである。その具体案を詰める前のこの仕打ち、まるで「遅い」と尻を蹴り上げ急かすようなこの檄文に、フラウメルが腹を立てるのも無理はない。
「既に国内のあちこちにこれが広まっており、収束は困難です。村を滅ぼされた一件もあり世論は出兵一色になっております。もう引っ込みはつかないのでしょうか」
秘書の言葉に弱気が見える。無理もない。元々戦いなど経験した事の無い人間なのだ。本格的な戦争になるとなれば怯えもする。戦争が始まり一年以上も経つというのに何を呑気なと思うかもしれないが、今迄どこかで自分は戦いには巻き込まれないという漠然とした安心感があったのだろう。自分の周りでは死人がいなかったので単純に現実味が無かったのかもしれない。
かくいうフラウメルも戦いの経験などありはしないが、これでも始まってしまった戦争を何とか回避しつつ軟着陸させようと舌戦を交わしてきた人間なのだ。そこが安全な防壁の中で引き籠っている市民とは一線を画すところなのかもしれない。
「派兵するのは良いんです。この前の議会でそのように大筋は決まりましたから。しかしどのような規模で、どういった形で派兵するかなどは決まっていない。そんな状態で徒に世論を煽るような事をされたものだから、つい言葉を荒らげてしまいました」
「にしても教会が正式に認定しましたし、彼女は魔族ではないのでは?」
「じゃあ悪魔です。徒に人心を惑わせるのだから似たようなものですよ」
ユーセティア神に仕える天使という存在がいるように、ニムンザルグに仕える悪魔という存在もいる。どちらも神話のような話でしか語られないものであるが、それ故に比喩表現としてはしっくりくる語であった。
「しかしまずい事になりましたね」
「ただでさえ好戦感情が高まっているところに、ですからね。確かに大戦となればこれさえ勝てば戦争を終わらせ、良い形で講和する事も可能でしょうが……」
秘書の言葉に頷かざるを得ない。確かに勝てば理想的な決着と相成るだろう。最早国に被害の無いままに講和という線は無くなった。村が一つこれ以上無い程に酷く蹂躙され、ノワール共和国の誰もが明日は我が身と危機感を覚えた。犯人が捕まらないままにグラーフ王国との……いや、ユーリ将軍との緊張も高まりが静まる事は無い。
和平派は鳴りを潜め、最早全面戦争は不可避だろう。
「腹の括り時ですか」
フラウメルは瞑目し、諦めの言葉を発する。この議長としての任期は前任者が決めた戦争を被害を出さぬ内に収束させる為のものと定めて務めてきた。しかし事ここに至っては如何に勝つかに視点を変える他無いのかもしれない。
「フラウメル議長! 貴女はずっと和平派として戦ってきました。支持者だってそんな貴女だからこそ支えてきたんです。今更その筋を違えては来年の選挙だって危うくなります!」
フラウメルの任期は後一年。それは議長としてもそうだが、議員としても任期が終了する。尤も交代制の議長とは違い、選挙に当選すれば再び議員として任期は延長される。地元での支持基盤も固いフラウメルは次期選挙でも当選確実とされていた。しかしそれはフラウメルが和平派だった為であり、もし本格的な戦闘の上でよろしくない結果となればそれも怪しくなる。
そんな秘書の言葉にフラウメルはこの国の腐敗を見たような気がした。確かに都市の代表になるのは大事だ。その為の選挙も大事だ。しかし政争をやる為に議員になった訳では無い筈だった。
「選挙だとか、もうそんな事を言っている場合ではないのです。今は国家存亡の危機。私はアッシュ・トパの議員であり、ノワール共和国の議長ではありますが、その前にノワール共和国の一国民なのです」
権力を握る為に選挙をしている輩や選挙の為に選挙をしている輩と一緒に働いている内に忘れそうになる理念。だがフラウメルは忘れてはいなかった。例え権力を維持する為に汚泥に塗れた手段にこの手を染めようとも、その信念だけは醜悪に染まるまいと固く誓っていた。
フラウメルは高潔な人間ではない。だが正しく政治家だった。




