第二十一話 混沌の使者
セラムはガイウスに会うために城の一室の前にいた。アドルフォの書状を確認し扉をノックする。
「ガイウス宰相、セラムです。是非一考して頂きたい案がございます。見て頂けないでしょうか」
「入りたまえ」
少し間を置いて返事が帰ってくる。扉を開け、ガイウスと一緒にいる人物を見てぎょっとする。
「アルテア様、こちらにいらっしゃったのですか」
「はあいセラム、先日はご苦労だったわね。無事で何より。見ての通り宰相と政務の途中でね。丁度いいから私にもその案とやら聞かせなさいよ」
「そこに掛けなさい。どんな案を持ってきたんだい?」
前も思ったがこの二人は自分に対して気さくすぎやしないか、とセラムは思う。仮にも一国の王女と宰相なのに。もちろん相手がセラム・ジオーネだからであって他の人間にはそんな事はないのだろうが。
ともあれ国王が病で倒れている今、この二人は実質のトップツーと言える。まとめて話せるのなら手間が省ける。
「……以上が軍制改革の概要です。この利点は命令系統の一本化と実力主義の評価基準にあります」
「なるほどね、いいじゃない。これで貴族が功績目当てに勝手な事したり大将がやられた途端壊滅状態になる事も無くなるんじゃない?」
アルテアは思った以上に賢いようだ。説明を聞いただけでセラムの狙いをずばり言い当ててくる。
「それにこの階級、ダリオ副将軍を除け者にするつもりかな?」
ガイウスは敢えて言わなかった後ろ暗い策謀を看破してくる。伊達に魑魅魍魎蠢く政界で宰相をやってないという事か。
「お二人には説明不要のようで。この案により分裂直前の軍内部を一新するつもりです」
「最初は混乱もあるだろうがやる価値はあるね。すぐに私の部下と一緒に施行した後起こるであろう事態とその解決策、公布する時の文面を詰めなさい」
「ハンコを押せるように準備はしておくわ」
トントン拍子に話が進んでいく。こういう決断の速さは民主主義国家ではあり得ないことだ。今この事態においてはありがたい。敵は待ってくれないのだ。
そう、敵の使者はすぐそこまで来ていた。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
数日後、軍制改革案の書類を作り終わったセラムの元にアドルフォが杖を突いて会いに来ていた。流石は歴戦の古兵というべきか、回復が速い。
「アドルフォさん、もう動いて大丈夫なのですか?」
「あまり無理は出来んが何とかね。今日は城の様子を見がてらセラム殿にこの杖のお礼を言いに来ました。これは良いものですな。動きやすくて疲れにくい」
「松葉杖の事ですか。お気に召したのなら何より。作ってくれた庭師もその言葉を聞けば喜ぶでしょう」
従来の一本杖では不便だろうとセラムが家の庭師に作らせた物だった。こういう形状の杖を作ってくれと言った時は不思議そうな顔をしていた庭師だったが、手早く注文通りに仕事をこなしてくれた。天辺と先には滑り止めの革も張ってある。
「セラム殿は変わった発想をしますな。この『松葉杖』、作りは簡単だが使う人の事をよく考えられた逸品だ。今まで無かったのが不思議なくらいですよ」
「それは良かったです」
予想以上の手応えにふと思いつく。これは商売になるんじゃないかと。
ジオーネ家は地位に見合った金持ちではある。だがセラムの野望を実現するにはまだまだ足りないのである。そう、生活レベルを現代に近づけるには。
最低でも捻れば水が出る蛇口とティッシュやトイレットペーパーの紙質の向上は早めに何とかしたい。トイレットペーパーは白以外認めない派のセラムとしては、今の硬くて茶が混じった色の紙で拭くのは辛いものだ。
もっともジオーネ家や王城が生活圏のセラムは恵まれている。くみ取り式便所や水道が設置されていない家の方が多いのが現状である。街に出れば公衆便所の数は圧倒的に少ないし、店に設置されているわけでもないから糞尿が放置してあるのもよく見かける。やりたいことが色々あるものの、個人でやれるレベルではなかった。
だからこその商売。松葉杖や消毒薬、ガーゼや脱脂綿等セラムが作った物を量産し、医療機関に販売すれば開発の元手になるのではないか。夢が広がる。
「ところでセラム殿、ここ最近ずっと働き詰めでしょう。顔に疲れが出ていますよ。そろそろ休んでは」
妄想の暴走をアドルフォの言葉で遮られる。確かにここ数日家で寝ていない。というかこの世界にきて三週間程になるが、丸ごと一日休みというのは無かった事に気付く。働いてはいるが仕事という感覚ではなく、やるべき事をやっていたらいつの間にか日が経ってしまったという感じだ。
元の世界では仕事自体は嫌いではなかったが、働くのは金のため生活のためで、休みの日はやはり嬉しいものだった。予定外に休みになった日など小躍りする勢いで喜んだものだ。そんな自分が、趣味の時間すら無い今を抵抗無く甘受しているのは自分でも意外だった。それが本当に生死や生きる意義に関わる事であれば休みが無くても気にならないという事だろうか。
ただ、体が疲れているのは本当の事だし、ここらでゆっくりと街をぶらつくのも悪くないなとセラムが思ったその時だった。
兵士が駆け寄り敬礼をして大きな声で甘い思いをぶち壊した。
「アドルフォ副将軍、セラム様、急報です!」
「何だ」
「グラーフ王国から使者が来ました。ガイウス宰相がお呼びです」
「そうか、すぐに行く」
アドルフォがセラムに向き直り申しわけなさそうに言った。
「すまんが休暇はまた今度になりそうだ」
せめて淡い夢を見る前なら良かったのだが。悔しさを溜息にのせて吐き出す。
「この仇はいつか取ってやりますよ」
「そうしてくれ」
二人は重い足取りで兵士の後を付いていった。




