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少女と戦争  作者: 長月あきの
第三章
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第三十六話 二人きりの会談その3

「ほお、その目的っつうのは?」


「僕をこんな目に合わせた神を殴りたい」


「はっ!」


 二度目の失笑。今度は激しく同意を含んだ笑いだった。


「そりゃあ俺とおんなじだ。いつかこの世界の神と同じステージに立ち、負けを認めさせる。そうすれば誰もが疑いようも無く俺が最強ってえ事になる。多少の性質の差はあれど、グリムワールにもう一度会うっつう目的はおんなじってえ訳だ」


「僕には少々恨みがあります。ホウセンさんは寧ろ感謝している位でしょうが……」


 セラムは指でこめかみを叩いてみせながら再び違う話を語り始める。


「僕らには日本人としての記憶があります。ですが、少し前から僕の記憶から日本人の部分が朧気になってきて、代わりにこの体の記憶が蘇ってきています。僕には何が自分の本心なのかが判然としない状態が暫く続きました。今はもう元の名前すら思い出せなくなってきている。ホウセンさんは自分の名前、憶えていますか?」


「当然だ。だがどうなっても俺は俺だ。今の俺こそが俺だ。それは例え名前を忘れても体が変わっても変わらねえだろうさ。結局自分のやりたい事があれば自我は揺るがねえ。これが『我思う故に我あり』の俺なりの解釈だ」


「流石ホウセンさん、と言うべきでしょうか。けれど僕は大分迷いました。記憶があやふやになり、この自我というものが本当に今の僕なのか、今考えている僕という存在が本当の僕なのか分からなくなっていたんです。いや、今も揺蕩っている。日本人としての僕、そしてセラム・ジオーネとしての僕、どちらも本当の、唯一つの僕なんだと今は思います。それを悟ったのが最近なんですが」


 セラムは手振りを交えて語る。その目に宿るのは狂気ではなく、深い知性だ。


「人は記憶だけでは自我を形成出来ない。だが僕らがこの体に宿したのは記憶だけのようです」


「どうしてそう思う?」


「ホウセンさんもこの世界に来て自分に違和感を感じたと思います。その違和感が無くなったのはいつ頃ですか? 随分早かったんじゃないですか?」


「そういやあ来たばっかの頃は食いもんの好みとか大分違いを覚えたなあ。片目がねえ視界っつうのも慣れるまでは大変だった。体が違うんだから当然って思ってたし、いつの間にか慣れたからあんま気にしてなかったな。まあ数週間っつうところか? そんなもんかと思ってたが」


「そうですか。ホウセンさんは元とそれ程違いが無かったのかもしれませんね。僕は性別からして違いましたから、最初は戸惑いましたよ。こっちのトイレ事情も辛かったし、道端に人のうんこやらが落ちてる街並にも嫌悪感を感じた。食材だって少ない。料理のレパートリーもかなり違った。といっても僕なんかはかなりマシな方でしょう。何せ大貴族だったので、この世界の基準から言えばかなり贅沢な暮らしでした。風呂だって入れたし、家に上下水道も引いてあった。とは言っても自分の体に違和感を感じなくなるのは、今思えばかなり早かった。自分のじゃない癖が出たりとか、低い目線やカップを持つ時の力加減の違い、そんな日々の違和感があったのは精々二、三週間です。飲み物の好みもそうだ。この世界に来てから好んで紅茶ばかり飲んでいるが、僕は元々珈琲派だった。もう重度の珈琲中毒でしたよ。それが珈琲を飲みたいと思ったのは暫く後の事だ。それこそ思い出した(・・・・・)


 セラムは席を立って棚の上のポットとカップとランプを机の上に運ぶ。ホウセンを待っている間に用意させておいた物だ。


「火をお願いしても?」


「いいぜ。こいつぁ珈琲かい?」


「残念ながら紅茶です」


「そいつぁ残念」


 ホウセンが指を近づけるとランプの芯が赤々と燃え陽炎が揺らぐ。


「正直それらは後から気付いたものです。しかしやっぱり今の自分がどういう状態なのかは考えていました。例えば魂というものがあってそれごとこの体に移植されたのか、元の体が変換されてこの体になっているのか、元の体は今どうなっているのか。はたまたこの体の持ち主は今どうなっているのか。一度死んで僕という存在が入り込んでいるのかもしれない。いやこの体の持ち主が『元々は日本人の男なんだ』などという妄執に取り付かれているだけなのかもしれない。色々仮説を立ててみました。けれどホウセンさんに狙撃されたあの日です。僕は神に会いました」


「グリムワールの奴にか!?」


 思わず声を荒げて身を乗り出すホウセンに、セラムはかぶりを振る。


「ニムンザルグの方です。こう、心の中で心と会話するような感じでした。その中で奴は言ったのです。この僕を『植え付けられた記憶』『造物主のお手付き』と」


 ホウセンは木の椅子が心配になる程に荒々しく背を預けると苛立ちを隠さず言う。


「つまりは何か!? 俺達ゃ記憶だけコピーされた玩具ってえ訳か? その目的も分からずグリムワールの奴に異世界に連れてこられたと思っていたら、偽もんの記憶でそう思ってるだけの道化に過ぎなかったっつう事か? この怒りも想いも作りもんの記憶だったってオチか!?」


「どうでしょうね。この世界を創ったのはグリムワールで間違いないとは思いますが、地球もそうとは限りません。案外、自分で作った世界が思いの外退屈だったので自分が干渉出来ないものを手っ取り早く作ろうと地球人の記憶をコピペした、とかかもしれません」


 二人の横でポットの湯が沸騰する。まるで二人の心情を表しているかのように。


「何にせよグリムワールがとんでもない能力(ちから)を持っているのは間違いないでしょう。だがそんな事は関係無い。僕らを含め、この世界の人間は不必要に苦しんでいる。超常の存在だからこその深遠なる思慮だとか、そんなものは知らない。それらは実際に存在するかどうか証明出来ないからこそ尊ばれるのです。僕らはグリムワールの存在を知っている。奴はいる。ならばこの理不尽に一発殴ってやらねば気が済まない」


「成る程成る程、あんたの言う事はよく分かる」


 ホウセンは二人分のカップに紅茶を注ぎ頷く。


「俺達は極めて個人的な同志になれそうだ。その点は末永く付き合っていきたいところだぜぇ。だが俺達には立場がある。遠い目標よりも今は近い戦争の事だ。そうだろ?」


 ホウセンが差し出したカップをセラムが受け取る。その光景は敵同士の会談というよりも戦友同士の世間話のようですらある。


「そっちがなるべく早く戦争を終結させたいってえのは分かる。古来より包囲網なんつうのはそうそう何年も続かねえもんだ。国が違えば状況も考え方も違う。当然戦意の温度差や国力の差もある。そろそろ破綻が見えてきてんだろ? 戦ってんのはゼイウンばかり、ヴァイスはその使いっぱしり、ノワールは歩調を合わせる気すらねえ。戦争やってもう一年以上だ。厭戦感情だって溜まってくる。こんだけ若い男連中が徴用されて数も減り、その上怪我人が大量となってくりゃあ経済も限界が来る。同盟国同士の外交感情だって微妙になってんだろう。だがな」


 ホウセンは熱い紅茶で喉を潤し追撃する。


「俺達ゃ別に続けたっていいんだぜ? 局所で勝ち続けて略奪すりゃあいいんだからよ。長引きゃどちらが不利なのか分かり切った勝負だ」


 余裕綽々といったホウセンを鋭く刺すのは、やはりセラムの吸い込まれそうな狂気の瞳だった。


「つまらない揺さぶりを」


 その声は女の子が発したとは思えない、内臓が浮き立つような不安に響く声色だった。


「今貴方はこの話を受けた方が得か、それとも損か、その頭で考えている。会話の主導権を握りたいが為の嘘はお止めなさい。ここで軽い発言をすれば意志の軽重の違いで敗北しますよ」


 ホウセンはその目に射抜かれたかのように硬直した。歴戦の兵士、あらゆる強者を見てきて、絶対的な死を乗り越えてきたホウセンが、一瞬だが呑まれた。


(まじかよこいつ、今俺が言った連合の状態だって真実だっつうのに、こいつの意志を折れる気がしねえ。それどころかこいつは……)


 ホウセンは戦慄した。


(始まってもいねえ、海の物とも山の物ともつかねえ戦場で勝てると本気で思ってやがる……!)


 負ける気で戦う兵士なんていやしない。だが新しい戦場というものは誰しも不安になるものなのだ。勝てるだろうか、生き残れるだろうかという思いが一瞬でも頭をよぎらない兵士はいない。

 それは将とて同じ事だとホウセンはこの世界に来て知った。ただ表に出さないだけで、寧ろ責任の重大さは増し心を圧し潰しそうになる。だからこそありとあらゆる手を考えて勝ちの目を増やすのだ。


「それに分かっているのでしょう? 僕を決戦に本身にさせた方が得だと。そちらの方が御しやすい、そちらの方が面白い。もう心の中で決まっている事を欺くのはお止めなさい」


「……オーケイ、その話呑もう」


 ホウセンは目の前の少女からふっと威圧感が消えたのを感じた。紅茶にその小さな口をつける様は、元の友人同士のお喋りのような気配に戻っている。


「結構です。では今後も僕ら同士の情報は共有していきたいですね。神に会う方法なんていうのは荒唐無稽な話ですが、他にも僕らと同じような境遇の同志がいるかもしれませんし」


「あ、ああ、そうだな。中々会う機会を作るっつうのも難しいが」


「では僕の帰路についても保証してくださいね?」


「おう分かった。こんな所で死なれちゃあ残念過ぎる人材だ。まったく、面白え奴に育ったもんだぜ」


 そう言ってお互い笑いあった。この会談で初めて本当に笑ったような気がする。ホウセンはまるでかつての戦友との他愛のない世間話を思い出して懐かしくなった。


(懐かしい? ふっ、まるでこの嬢ちゃんが戦友のようだと)


 言いえて妙ではある。そう、この少女は戦友と言って差し支えない。お互い敵同士という点を除けば。


「じゃあな。今日は楽しかったぜ」


「僕もです。会えて良かった。……ではまた会いましょう」


「……ああ。またな」


 どこで、とは言わなかった。さようならでもなかった。この距離感が二人の関係を物語っていた。


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