第三十話 どうせならある程度の大きさの胸になりたい
その日の夜、セラムは夜のハーブティーを濃い紅茶にするようベルに頼んだ。正直疲れているのだが、眠気に打ち克ってやるべき事を済まさなければならない。ただでさえ投獄と魔物退治という時間の損失があったのだ。お陰で色々考える時間を得たものの、戦時中は何事も速度が命だ。
「紅茶をお持ちいたしました」
「ありがとうベル。そのままこっちに来てくれ。……座ってくれていい。見上げるのは疲れるんでね」
ベルを呼び止めたのは確認したい事があったからだ。帰ってきた直後は忙しかった為に後回しになってしまったが、本来ならば即行動に移さなければならない急ぎの案件である。
「僕が旅立つ前に頼んでおいた件を聞きたい」
「ノワール共和国の件と、ホウセン将軍の居場所ですね。ノワール共和国の方はそろそろ着いて任務を遂行している頃でしょう。ホウセン将軍の居場所は既に掴んでおります。現在間者に監視させております」
昼間とは打って変わってセラムは策謀家の顔になり、ベルもまたその秘書になる。
「そうだ。ノワールの工作には誰を向かわせた?」
「デメトリアです。彼女の判断で他十五名のメイド隊がノワール共和国に行っています」
デメトリアはメイド隊の中でも最年長の三十二歳である。彼女もまたゼイウン公国の内乱の際、ベルと共にエルゲントに救われた一人であり、以降メイドとしてセラムに仕えてきた。
「僕はなベル、子供の頃デメトリアが苦手だったんだ。怖くてね」
「! セラム様、ご記憶が戻ったのですか?」
「多少ね」
セラムは時々小さい頃の記憶を夢として見るようになっていた。日本人の男としての記憶はあるのだが、同時にグリムワールのセラムとしての自分も確かに自分自身だと思う。自己認識が綯い交ぜになりながらも存在しているのが今のセラムの自我だった。
「あの目が子供の僕は怖かった。態度も他のメイドに比べたら冷たかったしね」
「彼女は敢えて突き放しているようなきらいがありましたから」
「だろうな。でも最近何故怖かったのか分かった気がするんだ」
「それは何故ですか?」
ベルの疑問にセラムは一拍置いて答える。
「彼女、人を殺しているだろう? それも数多く」
セラムの答えにベルは少し辛そうに頷く。
「はい」
「しかもそれだけじゃなく、多分汚い事は殆どやらされたんじゃないかな。考えてみれば当然だ。メイド隊は全員ヤルナッハ家の暗部を担っていた女性やその候補生だ。その中で最年長という事は一番汚れ仕事の経験が多いという事だ」
「その通りです」
「改めてすまない。僕は今迄この十年、父上が守ってきた君達の平穏を壊してしまった。諜報まではまだ兎も角、今回の仕事は君達がヤルナッハ家でやっていた仕事と同じだろう。ベルにも辛い命令をさせてしまった」
セラムは表情を沈ませるが、ベルが息を漏らした気配で顔を上げる。ベルは存外に優しく微笑んでいた。
「その様な事をご心配なさっていたのですか。我々がセラム様に仕えているのは只の義理や使命感だとでも思っているのですか? 勿論それらが無い訳ではないですが、何よりセラム様を愛していて、セラム様のお役に立ちたいからこそ今迄誰一人欠ける事無くお仕えしているのですよ」
ベルはセラムの頭を抱きかかえると安心させるように頭をぽんぽんと叩き言葉を続けた。
「我々はセラム様がどんなに表面上変わろうとも、根底が変わらない限りどんな命令でも遂行します。デメトリアだってそうです。彼女は不器用だからセラム様と距離を置いてきましたが、セラム様を大事に思う気持ちは私に引けを取りません。彼女はこの度の任務も必ず遂行しセラム様の元に戻ってくるでしょう。ジオーネ家に暗部が必要とあらば我々がそれを引き受けます」
「……べう、くうひい」
その谷間に顔を埋めたセラムが呻いた。ベルは「あらあら」とセラムの頭を豊満な胸から剥がす。
「ついお可愛らしくって」
「まったく……」
セラムは先程の言葉と頬に残った柔らかな感触によって二重に照れながら咳払いをする。そのままに会話を続けるとどこまでも恥ずかしい事を言いそうだったので、別の話題を振って誤魔化す事にした。
「ベルはその胸が標準搭載されているのが卑怯だと思う」
「はい?」
「僕にもそれだけ胸があれば色々楽しいと思うんだよ。折角女になったからには大きい胸の感覚も味わいたいじゃないか! いや、女性の胸の大きさに貴賤は無いと思ってるよ? けれどそれとこれとは話が別だ。どうせならある程度の大きさの胸になりたいと思うのは当然の女心だと思うのだよ。いや、僕が巨乳好きという訳ではなく。そもそも僕が女と言うのも憚られる話なんだが」
早口で捲し立てるのを見てベルにもこれがセラムの照れ隠しだと気付く。本当にお可愛らしい、という言葉を喉元で抑え小さく笑う。
「大丈夫ですよ。セラム様はまだまだ成長期ですから、これから大きくなりますとも」
「そうかい? ベル位になるかね?」
「ええ、ええ。まっ、セラム様の頃には私はもっと大きかったですけど」
「駄目じゃネェか!」
夜が更けてゆく。
こんな他愛もない、しかし貴重な日々が続きますように。
そう願った。これから歩む道にそんな贅沢が許される訳がないと知りつつも。




