第二十九話 いざ人外魔境へその2
やがてセラム達が戻ってきて見たものは、ソファーで寝転がりながら菓子をつまむカゴメと、そのカゴメに膝枕をしながら本を読み聞かせるルチアだった。
「何やってんですか。ルチアも」
「おうセラムはん。どこでも寛げるっちゅうんは傭兵にとっての神技能やで~」
「はっ! つい言われるがままに」
邸の真の主の登場に場が改まる。ルチアも慌てて机の上を片付けその場を去ろうとする。
「ベル、髪を梳かしながらで良いから話を進めてくれ」
「仰せのままに。……ルチアは後でお仕置きです」
「ふええ~」
半泣きで下がったルチアを確認した後、ベルはセラムの髪を櫛で梳きながら静かにカゴメへの報告を始める。
「まず神の目関連ですが、場所の特定はおろか実在する証拠も見つかっておりません。ただ、かの賢者マクスウェルが二十年前に旅立ったのは神の目を探す為だという噂がありました。方々で神の目に関する情報を集めていた、その様子は実在を疑う事すら無いものだったという事です」
「マクスウェルってあれやろ? ノワール共和国の大規模魔法を開発したとかいう」
「正確にはその基となった複合魔法の開発者ですね。魔法以外の事も博学であった人物ですから、彼の賢者が探していたとなれば実在の可能性も高くなったと言えるでしょう」
「ええやん。正直雲を掴む様な話やったから一歩前進や。けどそのマクスウェルもあんま名前を聞かんくなったけど、今どこにおるんや?」
「旅に出た彼は十年前に消息を絶っています。最後に噂が有ったのはグラーフ王国北部……セラム様、少々失礼致します」
ベルは地図を机の上に広げると二人に見えるように指をさしてみせる。
「この辺りかと」
「めっちゃ寒そうやな……、殆ど山やないかい」
「実際ほぼ雪に覆われた地方ですよこれ。人も殆ど住んでいないんじゃないかな。こんな場所で消息を絶つという事は」
セラムの補足にカゴメが残念そうな顔をする。だが言わんとしたその可能性をベルは肯定しなかった。
「目的の物を見つけた、若しくは何らかの事情で隠れ住んでいる可能性もあります。少なくとも亡くなったという確たる情報はありません」
「んーそうか、おおきに。他に情報はある?」
ベルは話しながらも別のメイドから立派な服を受け取り、それをセラムに着付けに掛かる。セラムは若干煩わしそうな顔をするが、結局大人しくされるがままになっていた。小物も含めた服の構造が複雑すぎて独力で着る事を諦めたのだ。
「サングエスト病に関してですが、治療法についても発症条件についても不明です。が、感染症ではないかと言われています。症例が少ない事から感染力は低いようですが、感染者からの血液感染が疑われます。というのもとある情報が見つかったからでして、正直御伽噺の域を超えないのですが……」
「なんや、やけに歯切れ悪いな」
仕事の事に関しては常に理路整然と話すベルにしては珍しく要領を得ない。それがこれから話す事柄が言いにくい事なのだと雄弁に語っていた。
「信憑性の低い話だと認識して聞いてください。昔、凡そ二百年前にサングエスト病のように太陽の光を嫌う村があったそうです。尤もそれは最初からそうだった訳ではなく、ある日を境に徐々に、しかし急速にその症状が村人の間に広まったそうです。なんでも日光を浴びると火傷を負ったり苦しんだそうで」
「それ義妹の症状まんまやん!」
「ですがそれだけではありません。その村では他人の血を好んだと……いえ、殺人趣味という訳ではありません。飲み物として血を好んでいたそうです」
「なんやそれ……」
「まるで吸血鬼みたいだな」
「この話をご存じでしたか」
セラムの言葉にベルが驚く。元の世界の知識を思わず呟いてしまったのがいけなかったかとセラムは焦ったが、セラムの思わぬ博識ぶりは今更でもあったのだろう、ベルはそれ以上追及する事も無く話を続けた。
「村人同士で血の交換をしている内は良かったのです。が、彼らの中に旅人の血を求めた者がいた。そう、彼らが吸血鬼と呼ばれた所以です。この話は瞬く間に広がり、彼らは教会に魔物認定され迫害を受けました。ところがその中の一人が魔族となり、吸血鬼達を導き護り始めたそうです。その魔族の異名は『夜の王』、夜の間のその魔族は無敵だったと。あまりの強さに教会側が人間と吸血鬼、お互い接触しない事を条件に不干渉協定を結んだ、と」
「あり得んやろ。奴ら自分らがどうなっても魔族を滅ぼすような集団やで。魔族と協定とか、一気に眉唾もんになったわ」
「私もそう思います」
「だが事実だったら何故そんな話が広がらなかったのか。当時としてもそんな強大な魔族が現れたら大事件だったろう?」
セラムがそう疑問を呈すると暫しの沈黙が流れた。だがこれに対しての答えはどうやら三人共同じだったらしい。
「「「……教会の隠蔽」」」
何しろつい先程身を以て体験したばかりだ。今迄の常識ならば眉唾な話と一笑に付す事も出来ただろうが、今となっては笑えない。
「なんか逆に信憑性出てきたわ」
「しかし二百年前だろう? 流石にその夜の王も死んでるんじゃないか?」
「いえ、そうとも限りません。人間社会に不干渉を決め込んでいる魔族は何体か存在の噂がありますし、魔族になったら長命になる場合もあるようです。恐らく体のつくりも人間のそれとは違うのでしょう」
「で、肝心のところやけど、その吸血鬼になる病とサングエスト病がおんなじっちゅう事なんか?」
カゴメが厳しい語調で詰問する。当然だろう、もしそれが事実だとしたら義妹は今こうしている間にも人を襲い魔物扱いされているかもしれないのだから。
「そうだとは言いません。……が、そうではないとも言い切れません」
「っ糞が! 直す術は無いんかい!?」
「残念ながら此方も治療法は分かりませんでした。ここに高名な医師や薬師、治療術師のリスト……目録を書いておきました」
差し出されたその紙をひったくるようにしてカゴメが目を走らせる。その中の名前の一つにカゴメが反応を示した。
「マクスウェル……ってさっき話に出てきた賢者ちゃうん? 医者なん?」
「彼は旅に出て以降行く先々で人を治す事で生計を立てていたようで、新種の病気の発見やその治療で名声を得ています。サングエスト病の治療に一番期待出来る人物です」
「ほほう」
そこまで言ったところでセラムの着付けも終わったようだ。少々背丈が低く衣装に着られている感があるが、元より品のある顔立ちをしている所為か、軍の式典用の礼服を着こなすと上級士官の貫禄を感じられる。
「まあまあ、これは立派ですセラム様」
「そうかい?」
「似合うてるでセラムはん」
用意された服がスカートではなかった為に、セラムは拒否感無くその言葉を受け止めた。背筋を伸ばし敬礼なぞしてみれば気分は立派な軍人である。気分も何も実に軍人なのだが。
「丁度報告も終わったところです。カゴメ様はこのまま出発なされますか?」
「そうな。明るい内に出たいし、まー行くわ」
「なら見送ります。本当にありがとうございましたカゴメさん」
「なに、仕事や。こっちこそあんがとな」
報酬を貰ってジオーネ邸を後にするカゴメを、セラムはその後姿が見えなくなるまで名残惜しそうに手を振っていた。
「また会えると良いですね」
「そうだねベル。何となくだけどまた会えるような気がするよ。……さて、授与式に行こうかあ!」
セラムはその日、最年少かつ初の女性での碧烏勲章を賜る。これによってセラムはヴァイス王国内のみならず、近隣諸国にも今代きっての名将であると認知される事となるのである。




