第二十八話 いざ人外魔境へ
「畏まりました」
アルテアとガイウスが去った後、ジオーネ家別邸に到着したセラムとカゴメは休まる暇も無いままに各々の準備をする破目になった。セラムは授与式の準備に、カゴメは旅立ちの準備にである。
「本当に今日の内に発ってしまうのですか?」
「せやなー。名残惜しいけどセラムはん、ウチが敵として戦った事忘れとるやろ。ウチの顔知っとる奴や殺した奴の戦友や縁者がおるかもしれへん。流石に刃傷沙汰になるっちゅう事は無いやろうけど、ここに長居するのもあかんやろ」
「残念です。カゴメさんとはもっとゆっくり話をしたかった」
「っちゅう訳で早速集めてくれた情報を聞きたいんやけど」
その言葉を聞いたベルが作業の手を止めてお辞儀をする。
「申し訳ございません、少々お待ち頂く事は可能でしょうか。出来れば私から正確に伝えたいところなのですが、セラム様の授与式の準備で手が塞がっておりまして」
「ええよええよ、そのぐらい待てるから」
「あ、ちょっと待ってください。それって僕が式に出ている間に報告して出てっちゃうって事ですよね」
ベルとカゴメのやり取りにセラムが待ったをかける。
「そうなりますね」
「だったら僕が準備してる間、傍でベルが報告してくれないかな? 僕も一緒に聞きたいし、せめて見送りくらいはしたいんだ。授与式が終わってからだと遅くなっちゃうだろうしね」
「なりません。セラム様の身の回りのお世話をするのは私の役目、これだけは他の誰にも譲る事は出来ません」
「じゃあ僕の世話をしながら報告してよ」
「駄目です」
「ウチは別にかまへんで」
「駄目です。入浴や着替えもあるのですよ」
「う~、じゃあお風呂もベルとカゴメさんと一緒に入る。着替え中でも傍にいてもらっていいから」
「よっしゃ……なりません。貴族たる者相応しい振る舞いを……」
「頼むよー、大体旅の間一緒に寝たりしてたんだから今更だろう?」
「なんですと!? それはうらやま……けしからん。けしからんですよ!」
「あんたらちょくちょくブレてんで。そんな性格やったっけ?」
セラムが係わった時のベルは兎も角、セラムがこのように駄々をこねるのは珍しい。セラム自身子供っぽい言動だと自覚したようで、「体の影響か? それとも記憶が一部混じったせいか」と呟いた。
ベルは普段大人よりも大人っぽく、自分を押し殺してきたセラムがこうも強情になるというのが意外だったようで、貴族としては好ましくないかもしれないが滅多に無い小さな我儘を叶えてやりたいという気になり、表向きは渋々という態度を取りながらも了承した。
「分かりました、仕方ないですね。流石に入浴や着替えの間はどうかと思いますが、髪を梳かしている間など時間を作って同時に報告を行いましょう」
「ありがとうベル」
お礼を言うセラムを見るベルの優し気な眼を見ればその言葉程には渋っていないのは見て取れる。カゴメはそんな二人のやり取りを見て自分と妹を重ね合わせる。
(なんだ、お姉さんの前ではちゃんと子供らしい顔も出来るんやな)
カゴメはこの小さな侯爵様が年相応に甘える事が出来る相手がちゃんといる事に安心した。
「おおきにベルはん」
「今回は特別です。どうやらセラム様は貴女の事を随分気に入られたようですしね」
セラムにとっては数少ない対等に接してくれる人間の一人、味方陣営の中では初と言って良い人間だった。ベルを始め慕ってくれる者は多いが、主従の関係や立場の上下はどうしても付いて回る問題だったのだ。カゴメの方もまんざらではないようで、セラムもカゴメも、限られた時間の中で如何に長く濃密な時間を共に過ごすかに注力する価値のある相手だと認識していた。
「じゃ、僕が風呂から出るまで待っててくださいね。その間に話を進めないでくださいよ」
「心得ております。というか私はセラム様に付いておらねばなりませんから必然そうなります。その間……ああ、貴女でいいわ。ルチア、ちょっと此方へ」
「ふぁ、はい?」
通りがかったルチアは唐突に呼ばれ面食らう。
「暫くお客様のお相手をお願いします。私達が戻るまでで結構ですので。くれぐれも粗相の無いように」
「え、ええ~!?」
ルチアは突然の大役に狼狽えるが、ベルは意に介さずセラムと共に去ってしまう。
「大丈夫なのか? ルチアは新人だろう?」
「もう半年です。大丈夫ですよ、彼女なら……」
二人の声が廊下の奥に消えてゆく。取り残されたルチアはおろおろとしながらどうすべきかと手を踊らせていたが、そんな様子を興味深げにカゴメに眺められている事に気付くと、慌てて口を働かせた。
「あ、あの、お茶をお持ちしますね!」
「はいはい、お構いなく、よろしゅうな」
カゴメは謙虚なのか遠慮が無いのかよく分からない言葉でルチアを送り出す。間も無くルチアは盆に乗せたカップを音を立てて揺らしながらよたよたと戻ってきた。
「ど、どうぞ」
「新人さんかい? まあそんな緊張せんとウメエ!」
出された紅茶に喋りながら口をつけたカゴメがその美味しさのあまり奇声を発して妙な間になる。それがツボに入ったのか、ルチアは堪え切れず肩を揺らし目尻を指で拭う。
「ぷぷ……ふっ、そんなに美味しかったですか?」
「あ~さぞかし高級な茶葉つこうてんのやろな。……で、緊張は解れたか新人さん」
「あーはい……そんなに新人臭出してますかね?」
「モロな。けどそれだけやなくて……」
そこまで言ってカゴメは言い淀んだ。
「えっ、それだけじゃなくて、何ですか?」
「いや、気にすんな」
「ええ~気になりますよ~」
「……他のメイドさん達と決定的に違う所があるなって」
「何ですかそれ~」
無邪気に笑うルチアに笑い返して誤魔化す。「人殺しの目をしとらんからな」という言葉は腹の内に飲み込んだ。
「あのセラムはんの家やからどんな人外魔境かと思たけど、なんか質実剛健って感じやな」
「人外魔境って、何ですかそれ~あはは」
割と本気でカゴメは言っていたが、どうやらルチアは冗談だと捉えたらしい。
「けどそうですねえ。元々将軍家だったせいか、貴族趣味というよりは機能美を追求する感じはありますねえ。ジオーネ領の本宅はここより豪華ですけど、それでも上品だと思いますよ」
「そうなあ」
メイドさん達はあんたを除いておっそろしい集まりみたいやけどな、という言葉も腹の内に飲み込んだ。




