第二十七話 今代一の将
鬱々たる足取りで帰路につく。ある種の諦めと開き直りの境地に達したとはいえ、その結果を身内に報告する事を思えば気分も晴れないというものだった。教会からは手段を問わず命を狙われている事がはっきりとし、周囲から見ても疑わしいのは明らかにセラムの方。教会から承った使命も見届け人というバルナバの姿が無いとなればどんな言い訳も立たない。
往路はなんだかんだ言っても騒がしい旅路だった。しかし向かいに座っていた者も今は亡く、俯く二人だけを乗せて馬車は揺れる。決して仲が良かった訳でもなく、それどころか最初から敵だったと判明した男であったが、それでもその死を悼む気持ちを止める気分にはなれなかった。
「それ、持ってきたんやな」
カゴメがセラムの手元を見て言った。セラムの手にはバルナバの折り畳み式小型クロスボウがあった。袖の中にさえ仕舞っておける小さなクロスボウは、本体の半ばまで刀が食い込んだ跡があり、最早主のいない只のガラクタに過ぎない。
「バルナバさんの居た形跡はもうこれと指だけしか残っていなくて……、放っておけなかったんです。何となくですけど」
「分からんでもないけどな」
バルナバの遺体は魔界の穴に持ってかれてしまった。誰よりも魔を恨んだその行きつく先が魔界では余りにも救われない。せめて一部だけでもこの世界に留めておきたかったのだ。
「なあ」
カゴメが重い口を開く。
「おっさん、行き道でセラムはんが作った料理を美味いって笑って食べてたよな」
「どうでしたかね。表情の変わらない人でしたから」
「絶対あん時笑ってたって。ちょっと、ほんのちょーっとやけど」
カゴメはミジンコを潰すかのように指を窄めてみせる。
「あんな風にさ、立場も超えて喜ばす方法っちゅうのもあるんやと思ったんよ。セラムはんはそういう道を目指すべきやないかな。今は大将だか少将だかやっとるけどさ。きっとセラムはんはそんな事をするべきお人やないと思う。もっと万人を幸せに出来る人やと思うんよ」
「そう、だといいですね」
セラムが肩を落とす。結局争いが生むのは悲しみだけなのだ。今までセラムは人を守ろうと戦い続けてきたが、その結果がこれだ。敵から嫌われ、味方から憎まれ、挙句一人の悲しい男を殺した。自分がやった事が憎悪を塗り広げるだけだったと気付けば疲れもする。
「ですがまだ歩みを止める訳にはいきません。僕が戦いを止めてもグラーフ王国は止まってくれない。降りかかる火の粉を払うのに僕は手に持った剣を振り回すしか手段を知りません」
そんな事を言うセラムにカゴメは「そうか」とだけ返した。代わりにセラムがカゴメに質問を返す。
「カゴメさんはこの任務が終わったらどうするんですか? もし良かったら僕と……」
「いや、ウチにはやる事があるからな。情報貰ったらそれを当てにまた旅に出るわ」
「残念です」
「そんな顔すんなや。一年間は情報集めてもらう約束やし、また会えるやろ。……あっ、敵として会ったら御免な。ウチは傭兵やし生活があるさかい、どっかでそうなっても恨みっこ無しや」
「ふふ、まあ最初は敵同士でしたしね。その時はお手柔らかにお願いします」
「ウチこそや。上位魔物にあんな啖呵切るお人とはやり合いたくないわー」
二人に少し笑顔が戻る。王都に着き馬車を乗り換えると、城内にあるジオーネ家別邸まではあと少しだ。
「そういや昨日泊まる前に手紙を頼んどったみたいやけど」
「ああ、あの書簡は明日帰還しますと女王様宛てに書いた物です。突然帰ると事が事だけに混乱を招きかねませんからね」
城側の受け入れ態勢を整えてもらい教会への対応の準備もしてもらわなければならない。任務の成否について直接的な事は何も書いていないが、アルテアやガイウスを始めとする優秀な人材は文体の調子だけでも察してくれるだろう。
そんな事を話している内に馬車は城に到着する。これからどんな顔で事の次第を報告するかを考えると頭が痛い。
「っし!」
セラムが自分の頬を叩き気合を入れる。セラム達が力を振り絞り馬車の荷台から地面へと足を踏み出すと、門衛が槍を立て敬礼し門を開けてくれた。
重く木が軋む音と共に視界が開ける。その奥には信じられない光景が広がっていた。
兵士が整列してセラムの到着を出迎えている。その殆どはセラム隊の面子である。全員ではないが、ざっと見ても二百人近い人数で剣を掲げている。まるで凱旋したかのような待遇だ。
「これは……」
「どうなっとんのや?」
セラムもカゴメも戸惑いながら歩みを進める。疎まれながらの帰城を予想していたのでこれは逆に居心地が悪い。新しい嫌がらせかとすら思う。
しかし兵士の路に沿って歩いた先には更に驚くべき人物の姿があった。アルテアとガイウスが立って待っていたのである。幾らここが城内といえど、女王となったアルテアが謁見の間と執務室と寝室以外にいる事は滅多に無く、況してや屋外に立っているなど式典以外ではあり得ない光景だろう。
「アル……女王様!」
セラムは駆け寄りかけた足を止めその場に跪く。それを見たカゴメも周りを見回しながらそれに倣った。
「セラム、よくぞ無事で帰ってきました」
アルテアの声は優しい。セラムが顔を上げると、アルテアは目の前まで歩み寄ってセラムの手を取り、ゆっくりと引っ張り上げるように立たせた。
アルテアの笑顔が至近距離にある。セラムは周りに聞こえない位の小さな声で疑問を発した。
「アルテア様、どうして……?」
その問いにアルテアもまた耳元で囁くように答える。
「教会が態度を翻したの。あなたに魔族容疑を掛けた事実は無いってね。事情は分からないけどあなたが魔族になったら不都合があるみたい。だから国としての方針もあなたが魔族という事実は無いと公言する事にしたわ」
セラムにとっては全くもって寝耳に水な話だった。魔族容疑が晴れたという喜びよりも、教会の意図不明な行動に対する不安よりも、バルナバの信念と犠牲は何だったのかという虚無感が先立った。
「事実は無いって、じゃあバルナバさんは……、教会からの派遣員は」
「そのような人物はいない、そうよ」
「そんな……っ」
全てを無かった事にされた。容疑と一緒に、バルナバの存在自体も、他ならぬ教会に。
「嬉しそう……ではないわね、思ったより」
「複雑です」
セラムのその表情と教会からの見届け人がいない事実から察したのだろう、アルテアはセラムの肩を抱き寄せる。
「辛い思いをさせたようね。あなたにはいつもそんな役回りばかり押し付けてしまっているわ。せめてこの件に関しては全力で守らせて頂戴」
アルテアは体を離すと元の毅然とした振る舞いに戻る。アルテアが女王として立つと、今迄君臣且つ友人の労いという感動的な場面に涙していた兵士達も姿勢を正し静寂を保つ。
場が静まったのを確認し、アルテアが凛とした声を発した。
「セラム侯爵、掛かる嫌疑を晴らす為単身魔物討伐に志願し、よくぞこれを討伐し無事に戻ってきました。その勇気を讃えると共に先のゼイウン公国救援の活躍を評価し、碧烏勲章の授与を決定する!」
湧き上がるように兵士達から歓声が上がった。
「武功を讃える勲章の中で碧って言えば二番目に凄い勲章だ。一番上の紫烏勲章は王族にしか与えられないから実質貰える中で一番上だぞ」
「三代続いて碧烏勲章かあ。しかも先代エルゲント将軍の二十八歳を大きく下回る十三歳での授与だぜ。ぶっちぎりの最年少だ」
「いや、でも戦功を考えれば納得かも。なんせ四万のゼイウン軍が陥とせなかったメルベルク砦をたったの二千で、しかも交戦からたったの一日半で陥としちまったんだからな」
「間違いなく今代一の将ですね」
感嘆の声がセラムにも届く。それを額面通りに受け取り喜ぶ事は出来なかったが、政治的な判断が多分に含まれている事は理解出来た。
「ありがたき幸せ」
その勲章を教会に投げ込んだらどんなに胸がすくだろうと思いながら頭を下げる。だがアルテアやガイウスの厚情を思えばその気持ちを押し込む事は容易かった。
「授与式を本日午後三時に執り行う。良いな、セラム侯爵」




