第二十五話 バルナバその2
「疑わしきは罰せよっちゅう事かい。最初からそのつもりやったんやな」
震える声でカゴメが毒吐く。
「でも何故カゴメさんなんです!? 彼女を狙う必要は無いでしょう!」
「はっ、貴様は今まで水面下で何度この女に助けられていたのか気付いていないとみえる。俺が殺気を抑えきれん時に即座に反応し俺の動きを封じていた。貴様が思う以上にこの女は貴様を護ってみせていたのだ。だからこそ真っ先にこの女の動きを封じてしまう必要があった。皮肉な結果だがな」
そう言われれば確かにカゴメはセラムがバルナバに近づく事を避けるよう促していた。事あるごとに二人の間に入りバルナバを牽制していた。あれは単に馬が合わない相手である事と、護衛という任務上気が立っていたのだとばかり思っていたが、セラムは今更ながら如何にカゴメがこの任務に骨を砕いてくれていたのかを思い知った。
「魔物討伐の任を見届ける為に派遣されたというのは嘘だったのですか」
「確かにそれも任務の一つだ。だがそれがどうした」
「セラムはんは魔族なんかやない。現にオーク共はセラムはんを狙ってきたしセラムはんは止めもきっちり刺したやろが」
カゴメの助け舟も今のバルナバには届かない。鉄面皮どころか、冷徹で冷血で冷酷な人間になっていた。使命感がそうさせるのか、はたまた彼の激情こそがそうさせるのか。
「それも魔物を操って自分を狙わせたのかもしれん。俺を欺く為にな。それに魔物と魔族は仲間ではない。そこには上下関係があり、魔族が魔物を殺す事も実際にある事だ」
「悪魔の証明ってやつか……。そうでない事を証明する術は無い」
セラムの呟きには苦みが含まれていた。既にセラムが魔族であるという仮定で動いているのならばどのような反証を挙げても無駄だろう。
「魔族であると証明されてからでは遅いのだ。それは即ち何らかの壊滅的危機が訪れた後なのだからな。魔族が現れれば多大な犠牲が出る。時に国が滅んだ例があるように、魔族が現れる前に行動を起こす必要があるのだ。実際、俺が関わった事案には村が七つ滅ぼされたものもある」
バルナバは初めて表情を大きく歪めた。それはまるで己の不甲斐なさを悔いているかのようにセラムには見えた。
「俺もそんな村の出身だ。その犠牲の中には俺の家族もいる」
バルナバは話しながらゆっくりとクロスボウに矢を装填する。
「村の人は善良な人達だった。優しい両親だった。まだ幼い妹もいた。よく俺の後を付いてきたよ。魔族の出現はそんな平穏をいとも簡単に地獄に変える」
「だから魔族と疑わしい人は真実はどうあれ殺す、ですか」
セラムは突き付けられたクロスボウに対して半身に構える。大きく足を開き短剣を前に突き出すフェンシングのような構え、飛び道具に対して有効な姿勢を自然と取った。
「そうだ。だから大人しくここで殺されろ」
「だからといってここで殺される訳にもいきません。僕にはやらなければならない事がある」
「ならば精々足掻いて死ぬがいい」
「どうあっても、ですか」
「何千、何万の人間が死ぬよりはいい。例え無実の犠牲があろうともな」
二人の間に緊張が走る。命の危機に取り乱す様子もなく、かといって余裕を見せるでもなく落ち着いているセラムをバルナバは不思議に思い、その一挙手一投足に注目した。死ぬ覚悟を決めた訳でもこの状況を打破する策がある訳でもなさそうなこの年端もいかぬ少女が何故そんな態度でいられるのか、バルナバの油断の無さが引き金を引く事を躊躇わせた。
だからこそバルナバはそれに気付いた。セラム自身に動きが無いからこそ、唯一動いた物としてセラムの切り裂かれたスカートの間から覗く内腿に垂れる一筋の血液に。
(返り血か? いや、あんなに所まで血は掛かっていなかった。オークの剣を避けた時に怪我でもしていたのか?)
……いや、あれは。
バルナバはある可能性に辿り着いた。そして気付いてしまった。彼女が女である事を、生々しく。
(不調そうに見えたのはそれが原因か)
そう、彼女は魔族かどうかの前に妹と同じ女の子なのだ。その気付きがバルナバの判断を鈍らせた。
セラムが不意に手に持っていた短剣を投げつけた。唯一の武器を惜しげもなく手放すその奇行にバルナバは思わず防御態勢を取ってしまった。不細工な投擲など無視して引き金を引くべきだったのだ。少なくとも普段のバルナバならば躊躇なく確実な始末を選んでいた。
「ぬっ」
クロスボウで短剣を弾きセラムの動きを追う。バルナバの右に向かって走りこんだセラムに狙いを付けるべく構える。この時バルナバの意識は完全にセラムに向かっていた。
「今です!」
だからこそその奇襲は成功した。明らかに動きが鈍ったカゴメでもクロスボウをバルナバの指ごと斬り飛ばし、半ばよろけ倒れこむようにバルナバを押し倒し抑え込む事が出来た。
「ぐぅっ」
「観念しい」
地面に転がされ首に刀を突き付けられたバルナバにセラムが近づく。見下ろし、見据えるその瞳には確固たる信念が宿っていた。
「俺を殺すか? 先般ゼイウン公国でやってみせたように魔物に食わせるか? 魔族は滅ぼさねばならん! 貴様は死ぬべきだ!」
「色々誤解はありますが、例え魔族だろうが人間だろうが確かに僕は死ぬべき人間なのかもしれません。魔族ではないにしろ負った罪は消えない。僕が歩まんとする道は修羅の道、結果として僕が殺す人間の数は魔族と比肩するものになるのでしょう。ですが!」
セラムは右腕を横に振り左手を胸に当て大きな声で宣言した。
「僕は生き方を、そして死に方を決めた。カゴメさんと話して死ぬべき時と死に方を決めた。それは今この時ではない! 僕にはまだやる事がある! まだ殺されてはやれない!」
セラムの目から雫が飛び散った。多くの人が自分の死を望んでいる。怨嗟と怨念と正義を以て誅殺せんとその身に意志を刺してくる。その思いを、想いを、重いを。踏みにじり、踏み固め、足場にして登らなければならぬ頂がある。
「……何故泣く」
「ごめんなさい。ごめんなさい。でも僕はどんな犠牲を払っても誓いを守ると決めたんだ」
大切な人との約束を守る。大事な人を守る。その為なら何でもしよう。邪魔をするのならそれが神でも殺してみせよう。
そんな意志の強さに負けたのか、バルナバの体からふっと力が抜けた。
「観念したようやな」
「バルナバさん、僕は人を殺したい訳じゃありません。冷静に今日の結果を認めて魔族容疑を晴らしてください」
「……甘いな」
バルナバの手から鏃が伸びた。まだ毒矢を隠し持っていたのだ。
「カゴメさん危な……っ」
しかし鈍くなったカゴメの反応は間に合わず、バルナバの腕は蠍の尻尾のように素早く動いた。
「!」
その毒矢は覆い被さっていたカゴメの体を避けバルナバの腹に深々と刺さっていた。
「あ、あんた……」
「何故……」
バルナバは口角を上げるのみでその問いには答えず、毒が回り震える親指で自分の左胸を指す。
「バルナバさん!」
バルナバの瞳孔が激しく開閉する。虚ろなその目には涙を湛えるセラムが映っていた。
「ア……アンリ」
その名がかつて亡くしたバルナバの妹の名である事は誰も知らない。ただ朧げな意識の中、その震える手はセラムの頬を撫でようと伸ばしているように見えた。
「アンリ……兄ちゃんは……」
幽かな声が虚空に消える。それっきりバルナバは動かなくなった。
「なんで……なんでこうなるんです!」
セラムが苛立ち紛れに地面を叩く。やり場がないというその心理が分からないでもないだろうが、カゴメはセラムが求めていない論理による真実に対する推理を言ってみせる。現実主義で論理主義なカゴメらしい物言いだった。
「殉教すれば教会に迷惑が掛からんっちゅう事やろうな。強引な手段で容疑者を殺そうとしたのも、おっさんの証言がなけりゃ証明する事もでけへん。教会とうちら、世間がどっちの言い分を信じるかなんて火を見るよりも明らかやからな。任務が失敗した時は死ぬように予め決めとったんやろな」
言いながらカゴメはバルナバが指で指した辺りを探る。左胸の内ポケットには木箱入りの薬瓶が入っていた。カゴメはすんすんと臭いを嗅いだ後、躊躇無くそれを飲み干す。
「解毒剤ですか?」
「ああ、おっさんの最後の目ぇは騙そうとかそういう気配は無かったからな」
それにはセラムも同意するところだった。死して尚敵に回るとしても、この旅の仲間として、ヴァイス王国方面魔族討伐隊副長としてではなく只のバルナバという男として、最後の誠意を見せたのだろう。バルナバの死に対して何の感慨も無いように見えるカゴメのこの行動こそが、信念ある一人の男の死に様に対する敬意の表れだった。




