第二十一話 対オーク戦
山を登り始めて二日目、三人は既に目撃情報から割り出されたオークの生活圏内に入っていた。元から余裕をみて掛かる日数を目算していたというのもあるが、山道がある訳でもなく険しい道程ながら食らい付いて来たセラムの予想外な健脚の賜物である。度重なる行軍で鍛えられたとはいえ、セラム自身も旅慣れた二人にここまで付いて来られるとは思っていなかったのだが、それでもやはり疲労の色は濃いものだった。……セラムの顔色が悪いのは疲れの所為だけではないが。
「大丈夫か? 少し休むか?」
同じ女性として苦しみが分かるカゴメが気を使ってくる。こういう時護衛役が同性というのはありがたかった。要らぬ気を張らなくても良いのは助かる。
「いえ、明日になれば更に辛くなるでしょうし、三日程休ませてくれなんて言える筈もありません。今日中に片付けるつもりでいきましょう」
「分かった。せやけどあんま無理はせんようにな」
「だったら山を舐めたような格好を正すべきだな」
バルナバが嫌味を言っているのはセラムの服装についてだ。
上半身は昨日と変わらないのだが下半身が異なっていた。普段はスカートの下にズボンを履いているのだが、昨夜寝ている時にズボンに血が染みてしまったので今セラムは珍しくスカートのみなのだ。替えのズボンを用意してこなかったのが痛い。
事情を察しているカゴメは敢えて何も言ってはこなかったが、やはりバルナバには言われてしまった。しかし尻が血塗れになった状態で過ごすのはどうにも気持ちが悪く、実用性よりも感情を優先させたセラムを責めるのは少々酷というものだろう。
幸いにもスカートの丈は長めで、編み上げのブーツを履いているので露出がある訳ではない。沼に嵌まったり蛭に張り付かれたりするような事があれば、まあセラムの自業自得というもので、諦めるしかないだろう。
「すみません、ハハハ。うちのメイドなんかは山でもスカートだったのでつい」
切り返しも精彩を欠いている。セラムは自分が苛立っているのを自覚し反省する。こんな時、「無神経な男が」と言いたくもなるが、元男としてバルナバに罪があるとはとても言えない。セラムは心の棘を抜き、二人に遅れないよう付いていく事に注力する。
全く平気という訳ではないが幾度の戦場で慣れている事態でもある。セラムは今自分の体を気遣うよりも、この状況を利用する方向で考えを巡らせていた。
「カゴメさん、オークは鼻が利き、尚且つ女の匂いに敏感です。僕が囮になって罠を仕掛けるというのはどうでしょう」
「……セラムはん、ほんま変わった貴族サマやな。利用できるなら不調も自分自身も使う言うんか」
カゴメは歩きながら視線を固定し軽く指を咥える。一点を見つめていた目が再びセラムに向くと、カゴメは熟練の傭兵の顔で口を開いた。
「状況次第で一匹ずつ相手にして、しかも先制攻撃出来るな。けどそれには相手の位置を先に知らんとあかん。何とかしてこっちが先に見つけるで。まあいくら奴らが鼻が利く言うてもこの森の中ならそう遠くからは嗅ぎ当てられんやろ。こっちの目と経験かて分は悪くない筈や」
森には樹木や土の匂い、虫や水の匂い等、意外なほど空気の密度が濃い。街中で普通に生活している時とは別種の「噎せ返るような」緑の匂いに包まれている。例えオーク共がトリュフを探すように近づいて来たとしても、此方を獲物として認識し方向を定めるよりも速く見つける事は可能だと思われた。
「おい」
バルナバが地面を指している。目の良いカゴメなどはその意図がすぐに分かったようで、纏う空気に緊張が混じった。
「オークの足跡、やな。ほぼ消えちゃあいるがぬかるんでもいない状態で分かるっちゅう事は、通ってそんなに間が無いんか?」
セラムもカゴメも追跡技術は持ち合わせていない為、これだけでは大した情報を得る事は出来ない。だがバルナバは違うようで、まるで狩人の如く答えてみせた。
「足跡は二体、連れ立って歩いているな。頂上の方に向かっている。歩幅と大きさから成体、今から半日も経っていないだろう」
「凄いですね。そんな事まで詳細に分かるものなんですか」
「魔物狩りをしていれば自然と身に付く」
バルナバの鉄面皮は動かない。だがこの無愛想も三日も一緒にいれば慣れるもので、二人は気にもせず会話を続ける。
「ならもう少し登りやな。罠張るんやったらそろそろええ感じの場所を見つけたいところやけども……」
そう言う間に少し開けた所に出る。歩いた感じ土が柔らかく、周りに木々も程よく繁っている。ここに罠を張りおびき寄せる事が出来ればとセラムが思案していると、隣ではどうやらカゴメも同じ事を考えていたらしい。
「ここに落とし穴でも掘れればいけそうやな。土も柔らかいし枝とかでいけるか?」
「カゴメさん、良い物がありますよ」
そうセラムが背嚢から取り出したのは、ヴァイス王国軍の工兵に正式採用された組み立て式円匙の小さいサイズの円匙だった。三分割されたそれを素早く組み立てるとカゴメから小さく感嘆の声が上がる。
「螺子式で組み立てるシャベルです。携帯用の小さいサイズですが一メートル程度の小さい穴なら多少楽に掘れるでしょう」
「足が取られる程度で十分や。早速準備しよか」
セラムとカゴメの二人で協力して落とし穴を掘り、枯れ枝や落ち葉を被せる。普通に歩いていたら分かる程度の偽装なのでどうかとセラムは思ったのだが、カゴメの返事は軽いものだった。
「上出来やって。何事も使いようってな。いつ遭遇するか分からん状況であんま時間も掛けとれんし、やつら中途半端に頭ええんや。せやからこんな作戦を取る……」
カゴメに耳打ちされた作戦をこそばゆく身震いしながら聞き終わり、セラムは感心した。カゴメは学が無いと自虐していたが、頭の回転は早い。即座に状況を把握し利用する器用さを持っていた。
「うし、じゃあ探索するとしようかあ」
「待て。俺が行こう」
今迄沈黙していたバルナバが唐突に言った。その申し出にカゴメは警戒するより驚きが勝ったようで口をあんぐり開けた。
「どういう風の吹き回しや?」
「どうせ貴様の事だ。小娘を一人にはせんだろう。しかし三人で行動しては先に敵に見つかる可能性の方が高い。遭遇戦となれば俺にも危険が及ぶ。ここで罠を張るのなら俺が探索してきた方が貴様らも都合が良いだろう?」
「それはそうなんやが……」
「信用してくださるのですか?」
「事ここに至って逃げはせんだろう?」
「……助かります」
「只の合理的判断だ。但しここを動いていれば逃げたと見做し教会に報告させてもらう」
バルナバが木々の奥へ消える。少しは信用されたという事なのだろうか。鉄面皮はいつも通りなだけに感情の動きは見えないが、そう思うとセラムの内に嬉しさが込み上げる。カゴメもまたやれやれといった表情で一息ついた。
程無くしてバルナバが足音を立てず戻ってくる。その指が山の奥を指していた。
「距離約百メートル、何かを探す様な素振りを見せていた。一匹だけだ」




