第十六話 テントの中で
その夜、テントを二つ張り男女別で眠る事にした一行は、バルナバ、御者の男、カゴメの順で見張りをしようという話になった。これにはセラムも見張りをすると申し出たのだが、子供にそんな事はさせられないという御者の男とカゴメの意見と三人で十分だというバルナバの意見により却下された。現在はバルナバが見張りで表に残り、セラムとカゴメは同じテントで横になっている。
「そういや馬車の中での話が途中やったな」
真っ暗闇の中カゴメの声が聞こえる。テントに入ったばかりなのでお互い起きている事は分かっているし、普段ならまだ眠るには早い時間だ。話をするなら今の内だろう。
「厳しい事言うたけどな、セラムはんはその歳でよう頑張っとるとは思うで。ただウチみたいなんとは違って世の中を変えられるような立場のお人や。それだけ期待もされとるんちゃうか?」
「僕なんていっつも自分の無力さを嘆く矮小な存在ですよ」
「あんま卑下するのは嫌味に聞こえるで。少なくともホウセンの旦那は期待しとったけどな」
「ホウセンさんが?」
敵に期待されるというのはあまり良い意味ではないように思われるが、ことホウセンに限っては少しばかり意味合いが違う。
「ああ。俺と対等に話せる唯一の人間かもしれねえ、とか言うとったで。そん時は敵さん相手に何言っとるんやこの兄さん思たけどな」
最強に拘り強者を求める彼の台詞なのだ。同郷だからというだけの理由ではなく認められていると思いたい。
「セラムはんにはきっと味方からも期待が掛かっとると思う。それは重荷かもしれへんけど、ウチもこの世の底辺を味わった一人としてセラムはんみたいなまともな権力者には期待してまう。この世を少しでもマシにしてくれるんちゃうかってな」
この世の底辺、その言葉に現代日本で聞くような軽々しい底辺という言葉とは違う重みを感じた。重い流れから逸らそうとセラムは意図的に話題を変える。
「そういえばカゴメさんの報酬は変わってましたね。通常の金銭とは別にサングエスト病を治す薬か『神の目』の情報を向こう一年間で分かる限り、でしたっけ」
「そうや。セラムはんらには期待しとるで。なんせどこにおるか分からん筈の敵対しとった個人傭兵の居場所を短期間で探り当てたくらいやからな」
一週間でセラムとジオーネ家に縁の無い護衛を探すという無理難題をベルに伝えた結果、メルベルク砦壊滅後にヴァイス王国に滞在していたカゴメを僅か五日で見つけ出して連れてくるという離れ業をメイド隊はやってのけた。
カゴメ曰く、メルベルク砦付近で魔物の大群が暴れていた為にグラーフ王国軍に合流する事は諦めて避難していたらしい。特別報酬は貰い逃したが給金は日当で貰っていたし、契約はあくまでメルベルク砦の防衛なのでそのまま逃げても砦自体が無くなった事により契約違反ではないという理屈らしい。尤も正面からやりあっていたゼイウン公国に留まるのは流石に身の危険を感じていた。そこでヴァイス王国に目を付けた。ゼイウン公国とヴァイス王国は同盟国なので国境警備は緩い上に魔物騒動で避難民も少なくなかった。その避難民に紛れてヴァイス王国に逃げ込んだそうだ。
適当にぶらぶらしとったら突然メイド姿の女が声を掛けてきた時は何事かと思ったで、とカゴメは笑っていた。
「神の目……その名の通り神の目の如く世界の全てを見通すと言われる伝説上の神具。僕も今回ベルに聞くまで知りませんでしたが、サングエスト病という病気を治す為の代替手段という事ですか?」
「そうや。ウチの義妹を治すんや」
「サングエスト病、これも寡聞にして知りませんでしたがどのような病気なんですか?」
「日の光に当たると徐々に衰弱して死に至るっちゅう奇病でな。何でも症例が少ないらしく医者も匙投げよった。どんな病気でも治す薬とかあればええんやが、言い伝えがある神の目が見つかればそれ使えば何か方法が見つかるんちゃうかと思てな」
「カゴメさんの大切な方なんですね」
「ああ、ウチの生きる意味っちゅうやつや」
そう言うカゴメの声音は優しく、縛られた生き方にも納得しているように思えた。
「ええもんやで、そういうのがある人生っちゅうのは。セラムはんにはあらへんの? そういうもんは」
「生きる意味……あります。……ありました。けどそれも最近分からなくなってきて」
「見失ってもうたんか」
「というか、最初の地点で間違っていたような気もします。守る……という誓いは、約束は……いつの間にか変質してしまっていて」
「何を守るんや?」
「最初は確かに自分の中にあったんです。守りたい人が。約束した人が。ですがそれもいなくなり、守るという誓いだけが独り歩きして、その人の代わりを求めるように手当たり次第を守る事で自分を慰めていたような気がします」
皮肉なものだ。過去の記憶があやふやなものになった事で自分を客観的に見る事が出来るようになるとは。
「今では自分を大切にしてくれる人、自分が大切にしたい人全てを守ろうとして、でもそれも小さな僕の手からはすり抜けてしまって。今ではこの誓いも本物なのかすら怪しく思えてしまって」
「ええやん別に」
訥々と語るセラムの言葉をカゴメが遮った。
「ええやん、偽物でも。それは綺麗なもんやと思うで」
義妹の話をしている時と同じ優しげな声音。
「全てを守る為に生きる、きっと大変で辛いかもしれへんけど、それだけに生半可な気持ちじゃでけへんやろそんなの。偽物でもそんなのを今迄ずっとやってたんならそれは本物と変わりあらへんし、そういう生き方なら胸張っておてんとさんも見上げれるっちゅうもんやろ。好きやでそういう生き方。ウチが言っても無責任やろうけど、貫き通せば本物になるんちゃうか?」
「貫き通せば」
自分の全てが朧げで、形作る事が出来なかったセラムの心にその言葉はじんわりと染み込んだ。
「義務感やのうて自分がしたいと思ってやれるのが一番やけど、ひたすらに理想を求め続ける人生も貫き通すうちに一つの答えが出来上がるんちゃうかな。セラム・ジオーネの人生の答えが」
「セラム・ジオーネの……人生」
記憶の中の男のものでもない、記憶にない少女のものでもない、現在のセラム・ジオーネの人生。
「……ありがとうございます。漸く僕が救われたような気がします」
「ウチもう寝るわ。……くっそ、マジに語るのハズいわー」
カゴメがごそごそと寝転がり背を向けたのを感じ取りながら、セラムは薄ぼんやりと見えるカゴメの後頭部に感謝を捧げた。




