第十三話 カゴメ
一度刺客を追い返したからか、その後は特に何事も無く乗合馬車屋に辿り着く。
「おじさん、三人お願いします」
「あいよ」
馬車は六人乗りらしく、定員一杯乗せたい御者は客が揃うまで待つつもりのようだ。しかし先程のような場合を想定するならばなるべく無関係な人を巻き込みたくはない。それ以前に乗り合わせた人間が刺客という事もあり得るのだ。
「すみません、この三人だけで出発してもらえませんか?」
「いや、しかしなお嬢さん、それだとうちだって赤字になっちまうしな」
「でしたら二倍、いや三倍の料金を払います。それでどうでしょう」
「三倍かね。うーん、それならまあ」
「じゃあ決まりです。出発してください」
交渉の甲斐あってセラム達三人のみを乗せた馬車は走り出す。馬車の中というのはかなり煩い。幌が張ってあるのと車輪の音の所為でよっぽど大声で前に向かって喋らなければ御者に声は届かない。セラムはこの機会にカゴメと話し込もうと身を乗り出した。喋りやすそうというのもあるが、セラムと背格好は大差無いのに厳しい傭兵の世界に身を置くこの女性に興味があったのだ。
「ところでカゴメさん、さっき何であの通行人が僕を狙った刺客って分かったんですか?」
「あー、ウチは昔から目が良くってな。そいつの足取りや重心とか視線の動かし方、それに筋肉の動きなんかで狙っとる事が分かるんや」
「筋肉の動き!? それは目がいいとかそういう問題じゃないですよ」
「勿論実際感じる時はもっと色々なもんを掴んどるんやろうけどな。例えば空気の流れとか音とか勘とか、まあでもそこら辺は無意識や」
フィリーネが適任と強く推した理由が分かった気がした。この女性は殺気に対して途轍もなく勘が良い。魔物相手にセラムに止めを譲れるように行動不能に出来る腕前は勿論の事、不測の事態が起きないように全方位に気を配る力量を持つ、護衛任務に最適な人物だと理解した。
「しっかしセラムはんみたいな小さい子があの『魔人』なんてな。分からんもんやでホンマ」
「魔人?」
「あ、気ぃ悪ぅしたら御免な。どうもウチよう考えんと喋ってまうところがあってな」
「いえ、それはいいんです。それより僕は魔人と呼ばれているんですか?」
「ああ、聞いとるかもしれんけどウチはあん時メルベルク砦で雇われとってな、あそこにおった人間にはセラムはんは魔人て言われとったよ」
「そうですか」
とうとう人ですらなくなったかと自嘲する。本当に僕という存在は何なんだろう。将軍の娘として生まれた覚えは無い、さりとて日本人だと言い切る事にも違和感が出てきてしまった。セラム・ジオーネを演じるという役割に無理が出てきたという思いがセラムの悩みを加速させる。
「ど、どうしたん? そんな衝撃やったか? 嫌な事言うてもうたか」
「あ、いえ、そうじゃないんです。何言われても今更ですし、こんな商売やってれば悪名も利用できるなって思いますし」
「商売て。セラムはんは貴族やのに変わった考え方するねんなー」
「……僕は本当に貴族なんでしょうか」
「はい?」
迷いからかつい言ってしまった。何者でもない自分に、言い様もない不安が表に出てしまったのだ。
この体にある記憶がもし紛い物なのだとしたら、セラム・ジオーネとしての記憶も無い自分は一体何だというのか。記憶が無い……過去が無いというのは今迄歩いてきた道程が認識出来ないという事。縋る標が無く足元すら覚束無い状態で先も見通せない。
生きるという事がただただ恐怖でしかない。
「例えば、今迄これが僕だという根拠が呆気なく否定されて、今の僕を構成する物が崩れ落ちて、そんな中で恨みばかり買っていた事に気付いて、それで……」
巧く言葉に出来ない。いつも考えて喋るセラムが感情に押し出されるままに今を垂れ流している。それだけにその言葉は真剣なものに思えた。カゴメはいつものへらへら顔が鳴りを潜め、会話に興味が無さそうなバルナバですら一瞬視線をセラムに向ける。
「セラムはんがどんな家庭環境やったかウチは知らんし聞いても共感でけへんと思う。けど貴族っちゅうんはそれだけでウチらみたいな底辺を踏みつけた上で成り立っとる身分や。恨みなら嫌でも勝手に買う事になるやろうし貴族にゃ貴族しか分からん苦労もあるんやろうけど、それでも」
「責任がある」
ノブレスオブリージュ。貴族が貴族である為に持つべき自尊心。これが無ければ特権を振りかざす暴虐の徒と変わりがない。
「そうや。分かっとるんならええ。人並みの悩みを抱えるんはええけども、セラムはんはその特権で以て何千人も殺したんや。その責任は果たさんとあかん」
その時馬車が大きく揺れて止まった。御者が荷台に顔を向けながら声を掛けてきた。
「お客さん、今日はもう暗くなってきました。ここらで野宿になりますがよろしいですか」
「話は後やな。取り敢えず野宿の準備を済まそうや。こういう時は皆でやるもんやからな、セラムはんも一緒に手伝いいや。ほらあんたもさっさと動けや」
出口側にいたバルナバを蹴り出すようにして急かし、降りた後はセラムと行動を共にするカゴメ。厳しい事を言う女性だが、決して冷たい訳ではない。その場を仕切りセラムの仕事の量や質を軽めにするその態度は、寧ろセラムを只の年下の女の子として接しているような温かさを感じた。
今迄のカゴメの言動から、これが依頼人だからという特別視ではない事は明白だ。貴族等の特権階級を敵視しているようにすら思える言動とは裏腹にセラム個人に対しては負の感情を微塵も出す事は無い。セラムはこの女剣士の話をもっと聞きたいと思った。




