第十二話 魔物退治の旅へ
「さて、教会からの使者を待たせてはまずい。そろそろ行くとするよ」
「ではセラム様、こちらが旅に必要な道具と路銀、剣と鎧一式です。どうもセラム様の戦い方だと左手に負担が掛かるようなので、左手の平に硬革をあしらった革手袋を作りました。お使いください」
「ありがとうベル。しかしなんだな、教会も自分の家に帰る時間さえ与えてくれないとは」
「確かに慌ただしい出発となってしまいましたが今回ばかりはその方が都合が良いかと」
「ん、どういう事だい?」
セラムの疑問にベルが真面目な表情で返す。
「領内の方が危険、という事もありえます」
ベルから荷物を受け取り背負う。それを手伝いながらベルが言った「如何なる時も油断なさらぬよう」という言葉がセラムに自分が置かれている立場を認識させた。
この調子ではどこまで戦争に介入できるか分からない。今後の事も考えて早々に手を打たなければならない。セラムは牢の中で戦争を早期終結させる為に考えていた策を実行する事にした。
「ちょっとベルと二人で話させてくれないかな」
それを聞いたフィリーネがバッカスを連れて離れる。声を聞かれない距離まで離れた事を確認してベルに切り出す。
「ところであの新聞、なかなかいい出来だ。よくやってくれたな」
「あれの仕切りはプリシッラがやっております。その言葉を聞けばさぞ喜ぶことでしょう」
「なら伝えてくれ。今後も暫くお願いする。それともっと身近で下世話な話の方向へ振っていってくれ。例えばアイドル……はいないか、有名人の離婚騒動みたいな、毒にも薬にもならん話、だが民衆に近い距離で分かりやすい話題がいい。もし生産体制がしっかり整えば戸別に定期購読の勧誘をしてもいいな」
「畏まりました、伝えておきます」
「そしてベルにはすまない事をした。実はベルの先の遠征への同行について、公式にベル・レンブラントという名でゼイウン公国に伝えた」
「あらまあ」
「随分軽いな。僕は君の過去を殺したんだぞ」
「これは異な事を。私は十年前からベル・レンブラントでございますよ。そう生きていくととっくに覚悟しています。そう、あの日、セラム様の小さなお手が私の手を握ったあの日から」
ベルの淀みない返事にセラムが敵わないとばかりに肩を竦める。
「強いなベルは」
「全てはセラム様のお陰ですよ。私はこの人生を気に入っております」
そう笑顔を向けるベルを見て、セラムは次に頼む事柄を伝える時に強い覚悟を要した。それは幸せなベル達の第二の人生を曇らせ、過去を掘り返させる行いを強要するものだからだ。
しかし立ち止まる事は許されない。今はまだ。
「そして僕が旅に出ている間だが、二つ程やっておいてほしい事がある」
セラムの神妙な顔にベルが少しばかり違和感を感じる。
「メイド隊の半数でホウセンの居場所を探ってくれ。探り終えたら待機だ。そしてもう一つは……」
セラムの耳打ちにベルが顔を強張らせる。
「本気ですか」
「ああ。メイド隊には辛い記憶を呼び起こさせるかもしれん。人選は慎重に行ってくれ」
「……変わられましたね。以前のセラム様ならばそのような事、思いついても実行しないでしょう」
「幻滅したか?」
「いえ、そうさせる時代を恨みはすれどセラム様を幻滅するなどありません。例え外道に落ちてもその志の光に一点の曇りも無いのならば私達は付いていくのみです」
「すまないな、一緒に外れた道を歩ませる事になって。だが全ての悪逆非道は僕が背負おう。君達は命令されただけ、その責はこの僕にある」
「やはりセラム様は変わられました。しかし何もお変わりありません。私は最後まで敬愛するセラム様にお仕えします」
ベルが傅く事、そしてその高潔さはセラムにとって重荷にもなる。だがその重さがセラムをセラムたらしめんとするだろう。
「無事をお祈りしております」
「ご武運を」
「気ぃつけて行ってきてくだせえタイショー」
三人に見送られ、カゴメと合流して城から出る。門衛に挨拶した時、必要以上に体を強張らせた門衛を見てセラムの胸に寂しさが去来した。いつもならセラムが通る時にはにこやかに、もしくは明るい笑顔で以て挨拶を返してくれる兵士達が、まるで恐ろしい怪物を見るように緊張している。
「流石侯爵サマやなあ。国を代表する将軍サマなだけあって侯爵サマを見るとみんなピッとしてはるわ」
「この国ではもう将軍っていう階級は無いよ。それに侯爵様っていうのもやめてもらえると助かる。どうも言われ慣れてなくてむず痒くてね」
「そうなん? けど依頼人でお偉いさんやしなあ。何て呼べばええですのん?」
部外者の元敵が一番畏れも無く距離感を詰めて来てくれるというのが実に皮肉。
仕方ない。これも自分が犯した業だ。
「侯爵でも少将でもない、只のセラムでいいよ。特に敬語もいらない」
「ほんならセラムはんって呼ばせてもらうわ。ウチ敬語使いこなせる程学もあらへんし助かるわー。あ、あれ教会の人ちゃうか?」
城から出れば早速白装束の神父のような格好をした男が待ち構えていた。細身だが服の上からでも筋肉質だと感じられる雰囲気を持った、陰気な顔をした男だった。
「貴様がセラム・ジオーネか。見届け人を務めるバルナバだ」
セラム達はバルナバが口を閉じて暫くして、あまりの無愛想さにつんのめる。どうやら必要最低限の事しか喋る気は無いらしく、じっとこちらを見ているだけでそれ以上動く事すら無い。
「ってそれだけかい! 一緒に旅をするんやったらもうちょいこう、自己紹介とか握手とかするもんちゃうの?」
「自己紹介は済んだ。それ以上の事をする必要は無い」
「っかあー、可愛くない。そもそもおっさんやけど。このおっさんと三人で旅せなならんのかい」
「カゴメさん、初対面の人に言い過ぎですよ。暫く一緒に旅するんですから仲良くしましょう」
「あーまあな、ウチはどうも考えなしに口に出るところがあるさかい、どうか許したってえな」
「俺の役目を果たすのに仲良くする必要は無い」
バルナバが顎でさっさと歩けと指し示す。差し出した手を無視されたカゴメはしかめっ面で「かあー可愛くない」と連呼していた。まったく以て同感だが魔族と疑ってかかる任務上馴れ合う気ははなから毛頭無いのだろう。
セラムは諦めて乗合馬車屋へ向かって歩き出す。この旅に於いてセラムと縁のある者の助力を得る事は出来ない。当然セラムやジオーネ家で用意した馬車等も使用不可という訳だ。徒歩では距離があるので乗合馬車に乗り付近の村まで行くつもりだった。
一人は同行者の様子を気にしながら、一人は黙々と、一人はぶつくさと不満を言いながら歩く。いたたまれない空気の中二十分くらい歩いた頃だろうか、飽きる事無くぶちぶち文句を言っていたカゴメが不意に刀を抜き、近づいた通行人の男に突きつけた。
「なっ!? カゴメさん……っ」
街中である。人通りもそれなりにある中の白刃の煌めきに場がざわつく。どうみても傍を通ろうとしただけの通行人に対し凶行に及ぼうとする凶悪犯という構図だった。
刃を突き付けられた男は硬直し、群衆は何事かと歩みを止める。だがバルナバは何ら感情を動かす事も無く歩みを止めただけだった。セラムは焦ってカゴメを諌めようとしたが、カゴメは刀を下ろさず口を開く。
「その右手に握ったもんをゆっくり出しいや」
男は顔を引き攣らせたまま懐に入れていた右手をゆっくりと外に出した。その手にはナイフが握られていた。
「!」
カゴメの行動に驚いていたセラムもそれを見て男が刺客だったと悟る。カゴメは気付いていたのだ。この男が何気なくセラムに近付きそのナイフでセラムを殺そうとしていた事に。
近くを通った通行人はこの男だけではない。セラムから見ればこの男の挙動に何ら怪しい点は無かった。セラムは冷や汗がどっと流れるのを感じた。
「くぅっ」
男はナイフを投げ脱兎の如く逃げる。カゴメは男が投げたナイフを即座に刀で叩き落としたが、セラムを一瞥して追うのをやめた。
「請け負ったのはあくまで護衛やからな」
そう言うとカゴメは刀を鞘に納める。群衆の輪が出来かかっているのに気付き、セラム達は早足でその場を去る。
人通りが元に戻ったのを確認しカゴメがセラムに話し掛けてきた。
「あんな人目を気にせず狙われるとはなあ。セラムはん、よっぽどの恨みを買ってはるん?」
「そのようだ、あまり信じたくはないが。……これは早いとこ王都を出た方がいい」
「にしてもおっさん、まったく動かんかったな。流石に薄情ちゃうか?」
「任務外だ」
「っかあー、またそれかい。任務任務って、おんどれは決められた事しか出来んのかい」
どうやらバルナバは例え途中でセラムが殺されるような事があっても助ける気は無いらしい。セラムにとってはそれも想定内だ。
(しかし……)
寡黙というよりロボットのような男と関西弁でぐちぐちと不満を垂れる女剣士、そしてちんちくりんの侯爵。
(何ともまあ妙なパーティーの珍道中だ)




