第十話 不和
「カルロ中佐、俺はこの隊を抜けさせていただきます!」
そう転属願を突き付けられたカルロは困り果てた表情で相手の顔を見た。ワルターという名のこの男はセラム隊の中でも古株の部類である。
「お前もか」
今日まで何度この紙切れを渡されたか、もう覚えていない。あの戦いの後セラムには付いていけないという文句が絶えなかった。
「親友には何度も引き留められました。一晩考えろと言われ無い頭でずっと考えました。けどもう無理です。考えれば考える程あの冷血女にゃあ付いていけません!」
「貴様上官に向かって何という言い草だ!」
「何とでも言いますよ! あの女の元から離れられるならね!」
ワルターは興奮のままに捲し立てる。普段のカルロならば矯正ののち部隊全員を再練兵していただろう。だが長であるセラムが魔族だという噂が立ち、あの惨状の中生き残った部下を軍の規律だけで抑え込むのは不可能だった。「不可能をこなせ」と平気で言う組織であっても無理をさせて全く良い事が無い場合にまで「やれ」とは言わない。何よりカルロ自身、部下達の気持ちは痛い程よく分かった。
しかし、だ。カルロにはセラムに対する途切れぬ気持ちがある。それは同情ではない。恋慕ともまた違う。強いて言うなら敬愛。カルロには傍で真実の一部始終を見た事で心に芽生えた使命と、副官としての責任があった。
その二つがカルロの頭を下げさせた。
「すまない、どうかあと一か月、いや三週間だけこれを預からせてもらえないか」
軍隊に於いて上官は神に等しい。いわんや佐官が兵卒に頭を下げるなど驚天動地の極みだ。
「な、何を中佐! やめてください、それでは示しがつきません!」
文句を言いに来た筈のワルターが焦った。頭ごなしに叱られ殴られでもすれば軍を辞める位の覚悟で来たのだ。寧ろそれを望むまであった。当然それに近い反応が返ってくると思いきや、厳格な上官の予想外の反応である。
「もうすぐ少将が魔族ではないと証明する為に魔物狩りに旅立たれる。教会からの要請だ。その結果が出るまで待ってはくれんか」
面食らったままのワルターはすっかり最初の勢いを殺されてしまった。中佐にこうまでされてしまっては自分の我儘を突き通す事など出来はしない。
「……分かりました。その結果が出るまで保留で……お願いします」
部屋の扉が閉まる音がするまでカルロは頭を下げ続けていた。だから入れ違いに入ってきた客人に気付かなかった。
「お前さんは部下に対していつもあんな調子なのかね?」
頭を上げたカルロの先に老人が立っていた。歳の割に背筋が伸びているが、着ている服の所為で小汚い印象を受ける男だった。
「どなたですか?」
「儂はグリエルモという。セラムの嬢ちゃんから聞いておらんかね? 嬢ちゃんと軍棋を打ちに来たんじゃが」
「あいにく少将は……、あっ! 貴方がグリエルモ殿でしたか。少将から聞いております。私はカルロ中佐です。セラム少将の副官を務めさせていただいております」
途中でグリエルモという名を思い出し姿勢を改める。セラムの話では「我が師」と仰ぎ部隊に必要な人物という話だった。訪ねてきたらよろしく頼むとは言われていたが、まさかこんな老人だったとは。
「急にすまんの。……しっかし来てみれば兵舎はお通夜のようだしここ周辺は慌ただしいし、一体どうなっとるんじゃ」
カルロはグリエルモに事の経緯を説明した。メルベルク砦戦で起こった事、その後のセラムの行動、起こった魔族容疑、現在軍法会議の結果投獄されている事。そこまで聞いてグリエルモは深く溜息を吐いた。
「殺意が足りんとは言うたが、殺意に呑まれてしまったか」
「ですが、少将は変わりません。今迄のお優しい少将のままです」
グリエルモの残念そうな声にカルロは落胆させてしまったかと思いセラムの擁護をする。今では数が激減したセラムの味方が更に減ってしまうと焦ったのだ。
「まあ魔族にはなってないとしてもじゃ、きっと嬢ちゃんは今迄とは変わってしまっておると思うぞ」
グリエルモが言う。
「人は何かを得ても何かを失っても変わる。その変質を受け入れてくれんとなると嬢ちゃんも寂しいんじゃないかね?」
その言にカルロは言葉を詰まらせる。この隊で一番セラムの事を理解しなければならないと思いながらも自分はセラムの変化を受け入れる覚悟が無かったと気付く。
「こういう事は誰しも時間が必要よな。けれどもお主にゃ立場というもんがある。嬢ちゃんが戻ってきた時に精々受け入れてもらいやすくせんとな」
どうやら余裕を失くしていたのはカルロも同じだったらしい。今迄完璧だと思っていたセラムが「部隊に必要な人物」としてグリエルモの事を話した時は密かに疑問に思ったものだが成る程、これは確かにその通りだとカルロは認識を改めた。足りなかったのは年の功による経験と説得力なのだろう。完璧な人間などいない、そんな事は分かりきっていると思っていながらいつの間にかセラムにその理想と重責を負わせてしまっていたのだろう。セラムに頼りきりだった過去の自分を猛省しつつ、今度は彼女を助けなければと思い直す。
「さて、では儂も下のもんの不満を和らげる位はしようかのう」
「グリエルモ殿はこのままここにいてくださるのですか?」
「このまま見捨てるっちゅうのも寝覚めが悪いしの。嬢ちゃんがどう成長するか興味もあるし、近所に挨拶して田舎から出てきてしもうたから今から帰るっちゅうのもバツが悪いわい。上官でも全くの部外者でもない儂じゃからこそ出来る事もあるじゃろ」
背の小さいこの老人が、カルロにはこの上なく頼もしく思えた。




